専業主婦になりたいあなたへ
こんな仕事もう嫌だ、専業主婦になりたい!
今でもそんな女子の声が聞こえてくる。
若者の声
一週間ほど前、ここnoteに日本の専業主婦には2つの問題があると書いた。
一つが主婦年金で、もう一つが最低賃金枠で働く主婦のパート。
妻はかつて年金にさえ入れなかった。その妻たちが昭和60年代に基礎年金にはいれるようになり、しかもそれが無償ですよといわれた。
けれどその年金の財源が底ついてしまった。すると、この国では年金のみが社会問題としてクローズアップされるようになった(内容の詳細は下の記事で)。
それが主婦という生き方だ。
ここは問題多き場だと思う。
すると同じテーマで配信したStand.fmにコメントが届いた。長く教育職に就かれていた女性の方からだった。その方が、
といわれる。そして、
とも。
これが現実社会の声だと思う。現実は変わっていそうで変わっていない。わたしもそれをよく感じる。
コメントを下さったひかりさんには感謝。
安住の地
確かに、今でも男性の基幹職を中心にしたこの社会で女性が働き続けることは並大抵のことではない。理不尽なことが山ほどあるし、辞めたくなるし、逃げたくもなるし、体を壊す人だっている。
だからこそ女性たちは安心して暮らせる場所を探したくなるのだと思う。
けれど残念ながら専業主婦は、その安住の地でなはい。忘れてはならないのが、主婦には2つの問題があるということ。
かつては女性なら誰もが羨む場だったのがこの主婦の座だ。けれど実のところ、ここはその昔から平等とはかけ離れた場だったのだ。この場から抜け出せなかった人なら、遥か昔からそのことに気づいている。
わたしもその一人だ。
欧米と日本の専業主婦は違う
欧米では、妻が家庭に入るか否かは夫婦の問題に過ぎない。夫になにか問題があった時、妻はまた働く道を選べばいい。欧米で主婦になるというのは、生きる上での選択肢の一つだと思う。
けれど日本は違う。
日本で専業主婦になるということは、権利の一部を差し出す行為とどこか似ている。そして、それと引き換えに女性は保護される側の身になる。
そうはいっても妻は夫に直接保護されるわけではない。夫が国と企業が作り出した国の形に橋をかける。その夫を通して妻は保護される。
夫は橋。だから夫に不具合があると、妻はその保護下からみごとに放り出されてしまう。
それならと、慌てて働こうとしても、これがそうは簡単に働けない。元主婦を待っているのは最低賃金のパートの世界だからだ。そう、主婦は保護された時に、同時に労働者としての権利を差し出してしまっているのだ。
それが欧米と日本の専業主婦の大きな違い。
専業主婦は嫌われる
ではなぜ、日本では専業主婦が忌み嫌われるのか。
それは欧米と比較するとよくわかる。
欧米では女性たちが平等に働く権利を求めてきた。
けれど、日本の専業主婦は保護されることを選んだ。
たとえ自らそれを望んでいなかったとしても、そしてその道しかなかったとしても、結果的にそうなってしまっている。
だから専業主婦は同性に忌み嫌われるのだ。
だから常に、なぜあなたは自分の人生を自分で切り拓こうとしないのかと問われるのだ。
母を尊敬する
けれど、今でも専業主婦になりたいという女性がいる。
わたしは49歳で学生になった。その当時机を並べた学生さんたちは現在子育て中の30代。30代といえば若い。だから昭和とは違うマインドで生きていると多くの人が思っているに違いない。けれど、わたしは学生になって、彼女たちの母親の大半が専業主婦であることを知った。そしてその母親を尊敬している女子が大勢いることも知った。わたしと同年代の母親と娘たち。そういえば、我が家にも彼らと同世代の子供が居る。
だから届かないのだと思う。
もう男性の給料は上がらない時代だと呼びかけられても、家の中には尊敬する専業主婦の母がいる。母たちは、
●そんなに無理して働かなくても、いずれ家に入るのだから
●まだ子供がこんなに小さいのに、この子を置いてまで行く価値のある仕事なの?
●もっと家庭を大切にしなきゃ
と繰り返し娘にいう。母は本気だ。悪気などない。なぜなら自分がそうして無事に生きてきたのだから。だからこそ、それが正しかったのだ。
そうして尊敬する母親の言葉は、娘たちの心に沁みていく。
保護
こうして専業主婦になりたいと口にする若い人が今もいる。けれど忘れてはならないのが、母はたまたま幸運だったということ。橋を架ける夫に問題がなかったのだ。けれどもしも、
●夫の勤め先が倒産や買収されたら、夫が失職したら、
●夫が倒れたら、夫が死んでしまったら、
●離婚したら、
彼女たちは今とは全く異なる道にを歩いていたに違いない。それが保護されるという生き方なのだ。もちろん保護されるということが悪いのではない。けれど大人の女性が誰かに保護されるという生き方にはやはり問題があると思う。
それは大人としての権利の一部を社会に差し出すこととよく似ている。
つまり自ら弱者側に立つことを選ぶことと似ているのだ。
おわりに
若い女性の心に今でも尊敬する母の言葉は優しく届く。けれどその母でさえ、夫に何かがあったなら娘に専業主婦という生き方は選ばせないに違いない。
母が愚かなわけではない。それぞれが置かれた場所で必死で生きてきた、それだけは本当だ。この国の形はちょっとやそっとでは読み解けず、だからこそ今でも女性は主婦枠へと流されていく。
ただ、守ってくれるはずの夫に何かがあった時、人はその枠に気づき愕然とする。それが大人が誰かに守られて生きるということだと思う。
それでもあなたは専業主婦になりますか?
※最後までお読みいただきありがとうございました。
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