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疑う力。いい子が危ない!家の中でできること。


オーディション詐欺。朝、そんなニュースが飛び込んできた。

オーディションに合格しました。だからレッスンをうけませんか?というもの。

新成人を狙った詐欺。パパやママには相談しちゃダメよ。だってあなたはもう大人でしょ?と詰めていくらしい。詐欺られた金額2億円!

バカだな、ではない。呑気に構えていると自分もいつか新手の詐欺に引っかかる。この国の人は騙しやすい、なんて文字を目にしたことがある。


契約

新成人の若者たちが結ばされたのは契約。

以前であれば10代の若者は契約など結べなかった。親(法定代理人)の同意なしでは契約を結んでも取り消せた。けれど今、民法上18歳は成人

ここが狙われる。

そう、実にずるがしこい人がいる。

そこに人を惑わす力のあるものが提示される。それは文字。契約書と書いてあるだけで神聖で正しきものに見える。

けれど、その契約書を書いているのは人や会社。

もちろん人にも会社にもそれぞれの考えがある。

その人に、その会社に「得になる」ことが書いてあることだってある。

それが契約。

だからちゃんと読まなきゃ後で後悔することになる。


ありがたいもの

わたしたちは自分が生まれる前からあったものや、始める前からあったルールになぜかとても弱い。

そこでよく耳にするのが「決まりだから!」というもの。

そう、決まりだと従わなければならないという刷り込みがわたしたちの中にかなりしっかりある。

それがちゃんとしたものだと信じてしまっている。

校則がネット上にアップされるという。強制ではないけれど文部科学省が見直しをしてはと動いたということ。
「校則、ネット公開を」日本経済新聞2022年7月23日より

わたしは高校生のとき月曜の全体朝礼のあと、何度も先生に呼び止められて髪を注意された。そうしたら娘も中高で注意された。赤いと。

なぜ黒が正しいのか、なぜ黒が真面目だとおもえるのか、きっと一度だって議論されないままルールになったにちがいない。

こうした「上が決めたルール」と「決まりだから」はとても相性がいい。

どうかんがえても一方通行。議論を重ねたにちがいないという足跡がさがせないし、従う側の人々がそんな議論を求めているふうもない。

法律も、社則も、校則もありがたい気がするもの。

ちゃんと守らなきゃはみ出し人間のような気がしてしまう。

そんなふうに刷り込まれてしまった。

考えちゃダメよ。従うのがいい子なのよと。


疑ってみる

働き方を考えはじめたとき、法律をみていくと、なんじゃこりゃ!と思うような法律にちょいちょいであった。

一つの法律の成り立ちを追いかけてみる。

そこから段々と分かってきた。

法律こそ、時代にそぐわなくなったら変えなきゃいけない。もちろん、わたしがここでいっているのは労働法の話し。

凡そ70年前に決められたルールが今では本当に使いづらいってことがあるのは当然のこと。

しかもその法律が、あの契約のように、誰かの、ある大きな組織の「得になる」ように考えられているとしたら。そんなことだってなくはないと思う。だって、どちらも人が作るものだから。

だから、立派そうなものほど、神聖そうなものほど疑ってみる必要がある。

日本の法律は輸入品。けれど、輸入先の欧米のそれとはかなり違う。

日本の法律には、日本独自の精神性のようなものが盛り込まれているとわたしは感じられてならない。決してこの日本のスタイルを崩さないぞ!という強い意志のようなものがそこにある。

だから完成した法律をありがたいものと受け取る前に、考えなきゃだめだと思う。なぜ、今この時代にそんなことを強いるのかと。

契約も法律も人が作るもの。

どれも立派そうだけれど、一度は考えてみたい。

これって本当に誰を守るものなの?と。


おわりに

考えることが生意気だとされていたわたしたちの時代。けれど、時代はそんな生き方をあざ笑う。

それはルールだからって考え方は、時にかなり危険なことだと思う。

そして最も危険なのは知らないこと。

だから家の中で小さなころからルール約束事の意味を話したい。18歳なんてあっという間にやってくる。

そのルールはちゃんと議論されたのかその法律は誰を守るものなのかその契約にはどちらかが得をする仕掛けがあるんじゃないのか、そこのところのベースが家の中で築かれるとかなり強いとわたしは思っている。


※最後までお読みいただきありがとうございました。


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