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孤独死の後始末 - 高江洲敦「事件現場清掃人」

高江洲敦/事件現場清掃人 死と生を看取る者
を読みました。

ノンフィクションのジャンルの中でも、
特に好きな特殊清掃の本。

もともと私がノンフィクションに興味を持った本のうちの一冊が、
この著者の「事件現場清掃人が行く!」でした。

その第二弾という事で、書店で見かけた瞬間0.1秒で買った訳ですが、
読み進めるのがもったいなくて、しばらく積んでいたものです。

読み始めてからも、読み終えるのがもったいなくて、数ページずつチビチビと読んでいきました。

ちなみに「事件現場清掃人が行く!」の前に、吉田太一「遺品整理屋は見た!」を読んでおり、これが私の特殊清掃ものを読んだ最初でしたが、一発でハマりました。
その後、同じ吉田太一の第二弾「遺品整理屋は見た!!天国へのお引越しのお手伝い」、特掃隊長「特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録」、
フィクションですが、さだまさし「アントキノイノチ」(これはやはりフィクションなので迫力は数段下だったなー)、
と読んできまして、
本書で6冊目となるでしょうか。
……だよね?他に忘れてないかな……。

という訳で、まあ今後も特殊清掃関連本が出れば、すぐに買う予感がするのですが、
なぜここまでハマってしまうのか。
それを言葉にすることはなかなか難しいのです。

まず、相当グロいです。
文字なのに、思わず目をつむってしまうシーンもあります。
これから読もうとする人はお気をつけください。

最初に思ったのは、
「これほどまでに凄まじい仕事をする人がいるのか」
という事でした。
「大変な仕事」という意味では、究極の一つだと思います。
「「仕事」だからやらなきゃいけない」
という言葉の、なんと空虚なことか。
そんな言葉では到底語りつくせない。

それと共に、「孤独死」について考えさせられる。
「遺品整理屋は見た!」などでは、
家族に絶縁されており、一人で死んでいった人が多く書かれていました。
あれはあれで、かなりくるものがあった。
ごみ屋敷の中から、子供が小さい頃に作っていたものや描いていた絵が大切に閉まわれていたのを見つけたのを読んだときは、かなり辛かった。
本書では、さらに、
「行旅死亡人」が出てくる。
つまり、氏名も住所も分からない、
死体の身元引受人が誰もいない、という死体である。
それが、例えばアパートの空き室から、大量のごみと共に発見される。
著者は「これこそが本当の孤独死である」と言う。
この死体にも、親がいて、祖父母がいて、子供時代があったはずです。
どんな子供時代だったのだろう。
そして、なぜこのようになってしまったのだろう。
こうなってはもはや、誰にも分かりません。

特殊清掃ものは、
清掃人の仕事の凄まじさ、死体の人生の凄惨さと共に、
清掃人と死体の無言の対話を感じます。
そこに、人の「生き様」と「死にざま」という対極にあるものが出会い、深く考えさせられます。
そんなエピソードを読めば読むほど、考えさせられるんです。
それを求めて、私は特殊清掃ものを読むのでしょう。

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