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女性を取り巻く現状 - ジョアン・ハリス他「Because I am a Girl わたしは女の子だから」を読んだ。

こりゃあ、すげえ。

私がノンフィクションにハマり始めた7~8年前に本書の事を知り、
そこからずっと読めずにいたが、
今回、ようやく読む事ができた。

全部で7エピソードから成り、
それぞれ著者も違うが、
基本的にはテーマは一つ、
この世界で、女性がどのような扱いを受けているか、
である。

中でもラスト2編「チェンジ」と「送金」の作品は半端ない。
本作品集はフィクションとノンフィクションが入り混じっており、
一見するとどれがどれか分からないが、
全部読んだところで、もう一度「はじめに」を読み返すと、
この章でなんとなく大体のところを書いている。

それによるとラス1は小説のようなので、
それを加味すると、
私が一番評価するのはラストから2番目の短編だろうか。
こちらはルポルタージュである。

かといってラス1も半端ない。
その辺の文学、
ましてやその辺の大衆小説など軽く吹っ飛ぶぐらいの熱量があり、
ショッキングである。
ストーリーにややご都合主義な所があり、
途中『これ本当か!?』と思いながら、
上記のようにこれが小説という事が分かったら、
さもありなんという感じはしたのだが、
それでも「はじめに」によると、
この内容がほとんど現地の人たちが、
「これは本当に起こっている事だ」と評価したという。
まあ、それはそうだろうと思わされる。
細かい所はご都合主義のように見えるが、
大部分にしては、この地域(この短編ではそれはドミニカ共和国)にて実際に起こっている事なのだろう、おそらくは今でも。

そうしてラスト2編まで読んだ後、
改めて訳者(角田光代)の「まえがきにかえて」と、
NGO(「プラン」という。「Because I am a girl」をスローガンに、世界中で女性が受けている不当な扱いを変えていこうという団体)役員の「はじめに」を読むと、
この2編にこそこの内容が集約されていることが分かる。

つまり本書は、
まずざっと読み、
(特にラスト2編に)衝撃を受けた後、
改めて最初に戻って「まえがきにかえて」と「はじめに」を読むのが良い。

とにかく、自分の無力さを感じる。

ともすると私たちは募金こそがこういった世界を変える一番いい方法と思いがちだが、
本書を読むと決してそうではない事を感じさせる。
なにしろこういった国では政府が腐っている事も多く、
どれだけ募金しようとも、
途中の手数料、税金、そして着服によりどんどんそのお金はすり減っていくのだ。
末端の、
こういったお金を本当に必要としている地域にたどり着く頃には、
雀の涙ほどになっているか、もしくは全く無くなっている。

それに加えて、
NGO「プラン」の現地の人達も、
「本当に必要なのはすぐに援助をする事ではない」
という事をスローガンに、
(現場で一番必要とされているのは早急な対応なのに!)
直接的な支援を避けているようにも感じる。
ちなみにそれをとことんまで追及しているのがラス前の「チェンジ」であり、それに対するNGOのスタッフによる返答は正論を説いているかもしれないが、私にはどこか(うさん臭さと言ったら悪意があるので)もどかしさを感じたのである。

それでも、このスタッフが言っている事は正しいのかもしれないし、
実際に現地をなんとかしようという意識は本物であると確信に近い思いがある。
少なくとも(現在のところ)何もしていない私たちとは違う。

結局、
私たちがこういった世界を変えていこうと思ったら、
まず最初にすべきは、それを知る事なのだろう。

その後でそれでも募金をするならそれで良し、
あるいは別の手を思いつくかもしれない。

少なくとも、何も考えずに機械的に募金だけをすればいいと思うよりは、
もう少し世界が変革する方向へベクトルが向くと思うのだ。

(追記)

それにしても、ラス前「チェンジ」は、
よくぞこれを本書の中に入れた、
という程の作品である。
本編ではNGO「プラン」に対して批判的精神を持って、
現状を訴えようとする。
「プラン」が本作を掲載しないのは簡単だったろう。
しかしあえて掲載した所、
少なくともそれだけでも「プラン」が評価できると私は思った。

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