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【楽に生きるための考え方】家族の呪縛から解き放たれよう

つい昨日、突然届いた妹からのメッセージに嫌な気持ちになった。
要約すると、産休中で暇だろうから電話して祖母の話し相手になってあげてほしい、というものだ。
既読もつけず返事を保留にしているのだが、どう返事するか考えていて、ふと「家族の呪縛」というフレーズが頭に浮かんだ。
「ああ、これが家族の呪縛なんだ」と思うとともに、何故、どこに嫌悪感を抱いたのか、家族というものについて振り返ってみようと思った。
今はお腹の子が第一である。
ストレスを溜めないためにもどう対処すべきか、家族との付き合い方も含め、考えたことを書き記しておこうと思う。

家族構成

うちは元々4人家族で、中学生の時くらいから父方の祖母と二世帯の形で同居している。
私は入籍を機に家を出たが、4つ下の妹は、特に出る予定のないまま実家で暮らしている。

父、母ともに家族への愛情は深く、それが感じられる幸せな家庭で育ってきたと思っているが、個人として接する上で、それぞれの良い所や悪い所について思うところはある。

家族は最も身近で影響力の強い反面教師

まず、父は家族への思いやりがある分、感情的になることが多く、気に障ることがあると声を荒げることもある。
母と口論になった際も怒鳴ったりするので、母は怯んだりしないタイプだったが、その声を聞くのが嫌だったから喧嘩が始まったら子供部屋に避難するようになっていた。わざとらしく部屋を出て行ったし、落ち着いた後で母が迎えに来たりもしていたので、親自身も察していたと思う。(それでもなくなりはしなかったが)
そのせいか怒りという感情への嫌悪感は人一倍大きく育ったと思うし、夫を好きになったのも、穏やかで怒鳴ったりしない(そもそも感情の起伏が激しくない)人だったからだ。
今でも感情的になっている相手に対すると、自動的に分厚いシャッターが降りてくる。この人はそういう人だ、と一度思ってしまうと距離を置くようになり、刺激しないように気を遣う相手として扱ってしまう。

一方母は逆に合理的で、人の感情について一定の理解はあるのだが、自分が抱かないものだから少し配慮が足りなかったり対応に下手なところがあった。
私はどちらかというと母よりの性格だったので、家族の中では母と話すのが一番楽だった。
いいなと思う考え方や言動は取り入れやすかったし、そうした内面的な話もできたのでより自分や他人の深い理解を追求できた。
しかし父との口論を聞いていると母が余計なことを言って火に油を注ぐことも多く、正論ではあるのだがもう少し上手くやればいいのに…などと子どもながらに思うこともあり、そこから感情的な相手の対処法を学んでもいた。

また、妹は、本人は冷静なつもりでもかなり感情に振り回されるタイプで、一番厄介だ。
私とは気にするところが違い、割と神経質で、かと思えば内弁慶なので家族に対しては遠慮なく不躾な言動を取る。与えられている自覚や感謝は薄いのに求めるものは人一倍多い。
昔から一緒に買い物やライブに行くことも多く一般的には仲の良い姉妹だが、4つ離れていても大人になってからも事あるごとに喧嘩しているくらいには合わない。
それを理解しているので、なるべく刺激しないように気を遣って接するのだが、それが結構疲れるので、可愛い妹だとは思っているがあまり長時間一緒にいたくない相手だ。
ただそんな彼女の言動を見て、自分を省みることができたのは良かったと言える。

ちなみに祖母は、父と近いタイプで、家族への思いやりはあるのだが思い込みが強く、自分が正しいという考えを全く崩さない。
そのため価値観の相違などで誰とも対立することがあるし、理想を押しつけてくるので若い頃から両親(特に母)も苦労していたらしい。
自分が良しとするものを与え、その分の見返りを求めるタイプだ。

こういう家族の中で周りを見ながら育ったので、世の中には色んなタイプの人間がいることを早いうちから知ることができたし、それぞれの考え方の違いを実践方式で学ぶことができた。
こういうタイプはこう考えているからこうしたら喜ぶ、とか、ここでこうしてはいけない、とか、扱い方を覚えられたのは、今も社会で活きている力だ。
(もちろん社会には他にも色んなタイプがいる)

親しき仲にも礼儀あり

上記の分析は母との会話を通して得た見解もあり、すべてが正しいわけではない。学生の頃はまだ自分も未熟で、それぞれへの対応も完璧に行ってきたわけではない。
ただ家族相手にも「気を遣う」ことを覚えてからは、かなり衝突はなくなった。
ああ、これが「親しき仲にも礼儀あり」ということか、と思った。
家族も他人と同じ人間だ。夫婦だって元々は赤の他人。子どもや親だって、どれだけ一緒に生活していても別の個人なのだ。それぞれ性格も考え方も異なり、その時々の感情を抱く。そのことを忘れて甘えていると、お互いに不満が溜まっていく。

私が家族に「気を遣う」際にいつも考えるのは、「友達や職場の同僚などと同じくらい相手のことを考えているか」ということ。
友達や同僚には嫌われたくないとか、良く思われたいとか、どれだけ仲が良くても多少は気にするのではないだろうか。家族相手だと安心するとか素になれるのは良いことだが、全く気を遣わなくていいかというとそれは間違いだと思う。
少なくとも別の考えを持つ個人として、相手も尊重した上で、自分も尊重されるべきだ。だからある程度の気遣いを持ってお互いに接するべきだと思っている。
しかしこれが私の家族内ではなかなかできていないので、それぞれストレスを抱えて暮らしていると思う。

これは、愛を感じられる家族だったからこその弊害なのかもしれない。
逆に気を遣わなければ愛がもらえないと思って育った人もいるだろう。そういう方には申し訳ないが、こういう家族の問題もあるのだ。

呪縛からの解放

家族愛と「人として好き」かどうかは別物だ。
人とは合う・合わないがあるので、当然家族の中でもそれは起こり得る。合わない人間と長く過ごすことは苦痛にもなるだろう。
私の場合、祖母はまだ一応生活が別だし年もだいぶ離れているから割り切れたが、妹といる時はストレスを感じることが本当に多かった。

他にも先述の通り家族といえど日々「気を遣う」生活で、与えてもらえる一方で色々と不自由なこともあり、正直夫(当時は彼氏)といる時間の方が楽だった。
だから入籍して家を出てから、何かから解放されたような感覚があった。
それが「家族の呪縛からの解放」だったのだろう。

先日久々に会った友達と話をしていて、同様の思いを抱えている人が結構いることを知った。
類友なのか、どうも同じように神経質な人が苦手で、その相手が配偶者なら別れたり、家族なら一人暮らしを考えていたり。
私はそちらの立場でしか考えることができないから、自分の心身の健康のためにもその方がいいと思った。
仕事で嫌な人間とも付き合わなければならないというわけではない。自分の人生なんだから、自分の好きな人と、できるだけストレスのない生活を送ること。それが何よりなのではないかと思う。

家族だからといって好きにならなくてもいい。
嫌いとまではいかないが、合わない人間だと思ったら距離をとる。
それでいいのではないか。
本来愛とは見返りを求めないものだ。家族愛は義理や人情とも言える。愛してもらった分を返したい、と自主的に思えたら、できる範囲のことをする。
それでいいではないか。

家族という鎖で縛ろうとする人間には、言葉で、あるいは行動で、家族も他人であり縛ることはできないと知ってもらうことが必要だ。
その人もまた、縛り合う関係が家族だという思い込み…つまり「家族の呪縛」に囚われているのだから。

返事の書き方

さて、肝心のメッセージへの返信について考える。
まず私がイラッと来たのは、家族であるが故の配慮の欠如である。

「産休で日中暇だよね?」

この言い方に配慮が足りないと思った。
確かに暇な時間はある。
しかし産休は自分が今まで頑張って働いてきて、それが認められ、戻ってきて欲しいと思ってくれた会社から得たものであり、しかも母子ともに負担なく過ごすための休みだ。
どのように過ごすかは自分の勝手であるはずだし、自分ではつい暇だから〜と言ってしまうが、他人から決めつけられるのは違う。
そして、暇かと聞かれれば別にやることがなくて困っているというわけではない。

この時期よくあることらしいが、お腹が大きくなるにつれて胃が圧迫され、夜中寝つけなかったり、日中気持ち悪くなる時がある。
そういう時は寝ているし、他人のことを考えている余裕もない。
また、家にいるからこそ、今までできていなかった家事をしたいと思っていて、帰宅時間の不規則な夫に合わせて献立を考えたり買い物や料理を行ったりと、夕方くらいからそわそわしてくる。
そして、このようにnoteの記事を書いたり、本を読んだり、録画を見たり、日中いくらでも好きなこと、したいことはある。これも出産後や仕事が始まったらできないことで、限られた猶予期間だからこその楽しみである。

また、「呪縛」と感じたのは、その後に続くお願いの文章。
最近祖母が私に会いたいと言うから、電話してあげたら喜ぶ、という言い方。

メンヘラの彼女か?
妹はその差し金の友人か??

元々家を出てからそんな頻繁に連絡を取っていたわけでもないのに、都合の良い時だけというか、祖母以外は日中働きに出ているから仕方ないとはいえ、その寂しさを埋めるのはまず同居する家族なのではないか。
父は毎日帰宅後や寝る前など、仕事で疲れていてもかなり気を遣って話をしているようだし、たまに日曜に外へ連れ出しているようだが、朝は早いし土曜も出勤なので時間は限られる。
母は仕事に加えて祖母の分も含めた家事全般を担っており、自分の時間などなく動き続けているし、都度会話もしている。
妹はと言うと気が向いた時だけたまに話しに行く程度で、家事を手伝うわけでもなく基本的に自分の時間を優先するし、出掛ける時など声を掛けずに出ることもあるようだ。

妹の言い分は、祖母のちょっとした発言を盾に自分の責任から逃れ、暇な(と思っている)姉に自分の家族の問題を解決させようというものだ。
そういうところに「何故私が?」と感じてしまったからだろう。言ってしまえば私は別の家へ嫁に行った外の人間なのに。
おそらく父か母からの打診であれば嫌悪感は抱かず、素直に「じゃあまた都合のいい時に電話してみるね」で終われたと思う。父母は子どもにそこまでさせられない、と思っているようだから決して言わないが。多分今までの妹に対する不満もあって、ここまで感情が膨らんでしまったのだろう。

私が祖母に電話しようと思ったとして、それはあくまで祖母に対する情や、父母の負担を少しでも軽くしたいという思いからであり、強制されるべきものではない。
妹には、姉…つまり同じ家族を持つ年長者として、産休に対する考え方を改めさせるとともに、家族であってもある程度の気遣いが必要だと気付かせ、嫁に行った他人に連絡する前に自分の行動も省みることをそれとなく促せるような返信ができればと思う。
(それが一番難しいのだが…)

結論

色々と振り返って書いてみて、愚痴にもなってしまったが、結論として私は、あくまで自分の人生、ストレスのかかる事象からは逃げるが正解だと思っている。
家族との関係に悩んでいる方は、一度距離を置いてみることを勧めたい。
家族としてではなく一個人として見た時、その人が自分にとってどんな人なのか、どうしてあげたいか、お互いストレスを抱えないようにするためにはどうすれば良いのか、考える機会を設けてみてもいいと思う。

一緒にいることが、縛りつけ合うことが、家族ではない。
皆が家族の呪縛から解放され、一人の人間として情を持って接することができるように願っている。

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