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作家名 Nadaの由来

人について説明する時、その人をその人たらしめる要素は何かと考える。
国籍、人種、性別、性格などなど。そして仕事(何をして生きているか)と名前は、人を印象付ける上で大きなウェイトを占めると思う。

私は会社員をやりながら趣味でも作品を作っているのだが、最近、本名をどこまで使うかというボーダーラインについて悩んでいた。

どこまでが会社員の私で、どこからが趣味の領域の私なのだろう、と。
さまざまな事情で、本名のままオープンに活動を続けたら、いつか本業に支障をきたしかねない。
仕事柄、自分の名前は世に出ているし、漢字もちょっと珍しいので特定されやすいと思う。

大変ありがたいことに自分の作品を世に出させてもらっているが、名前ごと会社に預かられているという気持ちが心の底にある。自分の名前で肩身の狭い思いをするのも嫌だし、いっそのこと作家名を作ってしまおうという考えに至った。

そこで悩んだ。
作家名を考えたことなんてなかった。下の名前でローマ字にするのも考えたが、何だか捻りがない。何か私だけのストーリー性を持たせたかった。それに、名前は命だ。慎重に決めたかった。

好きなものから連想してみたり
今までに付けられてきたあだ名に思いを巡らせたりした。
ふと、以前ネットで知り合ったモロッコ人の友達が、私にNadaという名前を付けてくれたのを思い出した。

なぜそんな話の流れになったのかは思い出せないけど「あなたはDrop of waterのような人だ」と言われたのは覚えている。理由を聞いたけど、何となくと言われ不思議な気持ちになった。
直訳したら水滴だと思うけど、Nada(涙)と訳した彼女の感性が好きだと思った。

Nadaから連想するものはいろいろある。
彼女が言った涙など、水の小さな粒のようなもの。
海の灘。
そして、最近友人の車に乗せてもらったときに見たDVDで、サンスクリット語で「音」「流れ」「無音の沈黙」などの意味を持っていることを知った。

いろんな意味があるけれど、全部一つのような感じがした。水が清らかに、そっと流れる音。広い海の、たった一粒の水滴。
直感的に、私はNadaでありたいなと思った。抽象的だけどそんな雰囲気の作品を作りたいな、とも。
徐々に自分の中に浸透していくといいな。

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