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  あるICT研修で感じた違和感

昨日六本木の方でワークショップを中心とした教育イベントに参加してきた。コロナ前にはずいぶんお邪魔した会場で、久しぶりにワクワクした気持ちだった。オンラインでしかお会いしたことの無い先生や、数年ぶりにお会いした先生など、驚きも多く、また学びも多かった。今回感じたことの一つには、若い先生が増えたなぁと言うこと。GIGAが始まる前(コロナの前)は、こういった会場に集まってくる先生は、また他の会場でもよく顔を合わせる方も多く、人的な広がりと言う点ではちょっとあれっという感じだった。ところが今回は、これまで見たことの無い先生も多く、GIGAによってこんな部分でもICTが広がってきたのだなと実感した。

当日はいくつかのワークショップに参加した。その中の一つでは、ちょっとしたお悩み相談的な会話をしながら、互いに情報を吸収していく会場だったのだが、その中で一人の若い先生がこんなことを発言した。
「ICTについて、学校全体を変えていくことはやめました。個人あるいは数人の小さな変化で良いと思っています。」という内容だった。この意見に対してその輪の中にいた6〜7人は概ね賛同の気持ちを表していたが、私自身はこれはどうなの?って感じで聞いていた。

一般的なGIGAの時期にICTが導入された学校(あるいは同時期に始めた私学)では、この意見はわからなくも無い。しかしそれ以前からICTを始め、先導的な役割を担った教師(私も含めて)からすれば、え〜って感じしかなかった。だって、ICTって教育の形を変える取り組みじゃ無かったの?個人でいろいろな取り組みをするのは教育改革では無くて、教育実践じゃないの?もちろんICTやっていて広がらないとか、反対の先生がいて困るって話はよくわかるけれど、だからといって個人や少数の取り組みにしたら、そもそもの話が違うって事しか感じない。

先導的にICTに取り組んできた私もずいぶん悩んだことは多い。導入当初の勢いというか、研修をやった時の参加者の会話や笑顔は何物にも代えがたい充実感を与えてくれたし、あのアプリやあのソリューションを導入した際の多くの質問もありがたいことだった。学校に勢いが感じられた。しかし、そのうちにそれらがどのようにして始められたものなのか、どういう目的があったのかなどは忘れられ、かなりの先生方が、「元の授業」に戻っていった。
その頃は本当に悩んだ。それは今でも続いているのかもしれないが、それでも職場を変えたい、本校の教育を変えなければいけないという気持ちは忘れたことは無い。

一方で自分の教育にも磨きをかけなくてはいけない。これは年齢や経験年数など関係なく、これからの教育に向けて取り組んでいかなければいけないことだ。ICT活用は必須の課題。現代の教育において外して語ることはできない。個人の取り組みと職場全体が変わらなければならないという課題の両立は極めて難しいことだが、ICTに取り組んでいる先生方には頑張ってもらう必要がある。

もう一つ感じた違和感についても述べておきたい。これから書くことは私が参加して意味が無かったとか、このデバイスを否定している事では決して無いということを最初に伝えさせていただく。多くの参加者と話をし、多くの知識を吸収し、とても有意義な一日を過ごすことができた。特に参加者同士の交流は極めて重要な意味を持っていたと思う。運営スタッフにも感謝を述べたい。その上で率直に感じたことを書いてみたい。

昨日のイベントはGoogleで行われた。つまりデバイスで言えばChromebookであり、ソリューションとしてのGoogle for Educationのイベントだった。ワークショップではこれらのアプリやソリューションをどう使うのか?どう工夫をすれば便利になるのか?が中心で進められた。参加者と話す中で学校によってChromebookであったり、iPad+Googleであったり様々な機器が使われていたが、若い先生方もそつなく使いこなして頼もしい限りだった。

しかし、ワークショップに参加してで感じたことだが、話の方向性が教師にとってという所に違和感を感じてしまうのである。教師にとって便利な使い方、教師にとって必要なこと、ではなく、生徒にとってICTの導入はどういう意味を持つのかという部分が大切なのでは無いか。このようなICT関係の企画を立てる際に重要な視点は、生徒にとっての学びが中心でなければいけないと思う。
ICTを活用する事は教師にとってものすごく大きな変化であり、そのことを話し合って解決していくことは大切であるが、生徒にとっても大きな変化なのである。もちろんその後ろにいる保護者にとってもである。だからこその教育改革である。
教師にとって便利なICTと生徒にとって意味のあるICTはイコールでは無い。だからこそ考えられない制限を加えたり、使えないほどのフィルターをかけたりする。これもかけなければ問題が起こる(かもしれない。私はそうは思わないが)そういった問題について実践を交えて話し合った方が何倍も意義あることでは無いのか。そのようなことを感じながらワークショップに参加していた。

こんなことを書くと、「じゃあ行かなければいいじゃないか」と言われそうである。しかし、集まること自体に大きな意味があると考えている事も理解していただきたい。企画側の意図する方向にただ進んでいく教育イベントはそれ自体問題があるのだろうとは考えるが、多くの意見が集まって、その先へ進んでいく場としての教育イベントは大切であると考えている。


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