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自分の市場価値がないことを思い知る

人生100年時代などと言っているが、本当にそうなのだろうか。自分は60代の後半に入り、同年代の人達もセミリタイア状態の人が多くなった。自分の考えているような仕事やプライベートがきちんとできてこその人生100年時代というのではないか?自分の活きている今と、ちょっと先の未来を考えてみようと思う。

自分は大学を出てちょっと縁があった今の学校に就職した。本当にこの学校で良かったのか?という思いはずっと抱えてきたが、50歳になった頃からはそれも考えなくなった。それは元々公務員(教員も)志望だったことが大きいのかも知れない。でも住めば都、この学校に不満があったとしても、数十年の間に関わった生徒のこともあり、言うなればこの学校にどっぷりと浸かった45年。しかし定年を過ぎ、再雇用として勤務し、特例的に再雇用年齢以降も働く機会を得ている。恵まれていると言って良い人生だ。管理職として10年近くを過ごしたことも仕事への見方が変わるという点で、刺激があってとても良かった。おこがましい言い方をすれば、学校を変える事ができた。と言っても良い。そんな充実感も感じられた教員人生。

そんな私にも時間の経過は確実にやってくる。現在特例契約期間の最終年なのである。う〜ん、これはどうしたものか?次年度どうする?本当にどうする?考えることがとても多くなった。選択肢はいくつかある。

  • 可能なら今の職場に頼み込んで継続雇用してもらう(可能かどうかはわからないけど)

  • 今の学校の非常勤講師として雇用してもらう

  • 他の学校に講師で構わないので移動する

  • 多くの人と同じようにセミリタイア、あるいはリタイアする

自分なりの計画は勝手に持っていた。時代は教育改革、ICT活用、GIGAスクール構想と大きく学校も変わろうとしている。その時代の流れを見極め、様々なスキルも身につけ、年齢に関係なく学校組織を引っ張っていく自信もあった。しかし、しかしである。こんなものが通用しない現実に直面している。世の中そんなに甘くない。自分に市場価値がないことを突きつけられている。

自分の学校から出たいとこの数年はずっと思っていた。今の管理職とも関係は良くないし、そもそも今の学校運営にものすごい不満があるから。なので、とりあえず知人の勤務している学校に講師の仕事はないか?と聞いてみた。積極的に動いてみようと思ったのである。結構トントン拍子に話は進んだある日、そいつが言った。「ところで今何歳ですか?ウチ、講師でも年齢制限があるんすよ」「えっ?講師って年齢関係ないんじゃないの?」ということで話はおしまい。それではということで県内の他の私学を検索。すると、あった。「これまでにはない、新しい教育を一緒に作っていきませんか?」そうこれこれ。きっと私の力が活かせるよ。直ぐにメールを出しました。翌日に返事。「頑張っていらっしゃってよいですね。しかし、年齢から先生を雇用することは難しいと思います」ふ〜ん、新しい教育を一緒にやりましょうなんて言っておきながら、年齢に拘るんだ。

この2つの事例でわかったことは、年齢というフィルターは予想以上に分厚くて、ここに引っかかって勤めをあきらめ、リタイアへの道を進んでしまうかもしれないという現実を知った。それってどうなの?と思っても、まだ普通に(普通以上に)働けるよと思っても、健康はそりゃあ若い頃にとは違うけど探究する気持ちや実践は負けてはいないよと思っても、それが世の中の現実。とても凹んだ。ではどうする?

もう一つ、知り合いの学校に問い合わせてはいるが、ここもどうなるかわからない。年齢ではじかれる可能性も高いだろうなぁ。せめて実際に会って、自分という教師を見てから判断してくれたら、納得できるのだが、会いもせずに年齢だけではじかれるのって、結構辛い。

自分の60代後半をこれまでのように生きようなんて当然ながら思っていないし、収入も減って当然。勤務する日も週3日か4日。そういう条件を当然に受け入れるつもり。そういう自分勝手に考えているプラン通りの生き方をどれくらいの人が実現できているのだろう。もちろん働くことの目的や意味も明確にある。それに見合った報酬も得たい。でもそのことで社会とのギャップが大きければ人生100年とかいう生き方は難しい。

今、教育現場は大変だと話題沸騰。確かにそれはその通り。でもそれは自分が勤務を始めた1970年代後半でも同じ。部活をやり、日報の学級通信をガリ版で刷り、家庭訪問をし、同じ年代の教師が集まって毎週、学習会もやった。それと同じ事を今の先生方に当てはめることはできないが、少なくとも今の若い先生がとんでもなく大変かと言われれば、若い先生を見ていてそんなことはないと思う。違っていることは、その当時やっていたこととの違いは自分の意志でやったことが多かったと言うこと。そして、保護者が自分を支えてくれていた実感があったこと。そういう学校社会、現実の社会の変化によって、今の若い先生が教育の充実感や達成感を感じられないことに結びついているのではないかと考えている。そのつらさは理解できる。

今回は自分の次年度が想像できないことについていろいろ考えてみた。自分は高齢者かもしれないが、学ぶ事は止めない。死ぬまで教育の未来を見続ける。その点では若いとか年齢がいっているなどと考えないで、全力で生きようと決めている。
自分を受け入れてくれる学校、自分のスキルを活かしてくれる学校、自分自身も目的を持って勤務できる学校に無事に当たることができるかどうか。ここから数ヶ月の勝負だと思って頑張ってみよう。

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