「ネット情報の海に溺れないための学び方入門」第9回:ネット&図書館の複合的活用術

「ネットがあれば、図書館は不要では?」と問われるように、両者は対照的に捉えられがちです。しかし、それぞれ長所と短所のある「情報の集合体」であり、相反する存在ではなく、互いに代替できるものでもありません。
それぞれの特性を知ったうえで使い分け、「良いところ取り」をすべきであり、そこに情報収集の醍醐味があります。

まず、ネット情報は刻々と変わる「動的」な特性があり、その主な長所として「即時性」と「双方向性」があります。
即時性とは、常に情報が更新され続けることです。電車の乗換案内サイトでは遅延状況までリアルタイムに確認でき、気象庁の地震情報ならば、震源地や震度も発生後すぐに反映されます。また、法令のように内容が変化していく情報は、印刷物よりネットによる提供が向いており、政府も「e-Gov法令検索」を設けています < https://www.e-gov.go.jp/ > 。

双方向性とは、キーワード検索のように「求めに応じた情報」が提供され、また利用者側からも発信ができることです。
たとえば紙に印刷された新聞は誰が読んでも同じ内容ですが、ニュースサイトは利用者それぞれの興味関心に応じて構成を変えられ、コメント記入欄も設けられます。

いっぽうネットの短所は、やはり第一には情報の質が玉石混交であり、不確かな伝聞や憶測に加えて、悪意ある虚偽までも含まれることです。発信者が匿名ならば責任も問いにくいため、自力で信頼性を判断する必要があります。
また、長所として挙げた双方向性には、マイナスの副作用もあります、SNSでの誹謗中傷はその最たるものですが、検索エンジンについても、利用者の属性や好みが把握され、自分の意思で見ているはずの情報が、知らず知らずのうちに「選ばされている」場合があります。

さらに、求める情報がピンポイントで見つかる反面、求めていない情報は示されないため、偏りや見落としが多くなり、自分とは違う立場の意見には気づきにくくなります。
これらネットの長所と短所を裏返してみると、ほぼその逆が、図書館の特性となります。

図書館の資料の大部分を占める印刷物は「静的」な情報であり、その短所として、発行された瞬間に情報が固定化されるので、即時性や双方向性はありません。毎日内容を更新したり、ページを開いた人に合わせて変えることはできません(できたら面白いですね。電子版ならば十分可能ですが……)。

しかし、印刷物は内容を変えられないからこそ細心の注意が払われており、また著者や出版社の名前を出して発行するので、おのずと信頼性は高くなります。もしも新聞記事に誤りがあれば、それ自体がニュースとなり、会社の看板に傷がつきます。
本ならば、編集者が校正をおこない、誤字脱字のみならず筆者の誤解や論理の矛盾点も指摘し、事後の訂正を最小限に防ぎます。学術雑誌ならば、剽窃(パクり)や捏造(でっち上げ)が無いよう、査読によってさらに厳しくチェックします。
ただし「本ならば信頼できる」という単純化や過信も危険です。比率として情報の質は高いものの、中には偏った思想を押し付けたり、中立的な検証を怠って書かれた本もあります。大切なのは「信頼できる情報か否か」であって、「印刷されているか否か」や「有料か否か」ではありません。

さて、あるテーマについて、ネットに集まる情報は、玉石混交であるうえに断片的で、全体像を知るには自力で取捨選択して体系化する必要がありますが、本ならばすでに筆者がその膨大な作業を済ませたうえで、その人ならではの新たな知見を加えています。
たとえば、本連載では「『千と千尋の神隠し』の舞台」や「夏目漱石による『I love you』の和訳」等、さまざまな通説を覆すことによって確かな情報の探し方を説明してきましたが、「人類が作った建造物で、月(あるいは宇宙)から見えるものがある」という話もよく聞きます。

この通説も疑わしく感じたので、本腰を入れて調べてみようと思ったのですが、調査開始そうそう図書館で『万里の長城は月から見えるの?』(武田雅哉著、講談社、2011年)という本を見つけてしまいました。
この本は「見えません」という結論を最初に示して、膨大な資料を論理立てて整理し、いかにしてこの通説が生まれて伝播し、中国の教科書に載るまでに浸透し、どうして誤りだと判明していったのかを、時代背景や国際社会情勢も踏まえて丹念に検証しています。
まるで緻密な推理小説のような真相の追い詰め方に、知的スリルさえ感じました。

このような検証材料としての情報収集は、根気さえあれば誰でも可能なように思えますが、全258ページのうち約1割を占める巻末の参考文献を見ると、英語に加えて中国語の文献が多く含まれていました。著者は北海道大学の教授で、中国文化・文学を研究しています。
仮に本連載の筆者が、同じテーマについて図書館司書としての全力を注いで情報収集しても、そもそも中国語が読めず、中国の社会背景にも明るくないため、ここまで集めるのは不可能だったでしょう。言語能力や教養は、それほどまでに有利なのです。

一冊の本を読むことで、自力では膨大な手間を要したはずの調査と整理・検証が、「その道の第一人者」の力を借りて短時間で遂行できてしまいます。いわば中国の言語と文化に精通したプロフェッショナルを、数千円(図書館の本ならば無料)で雇ったのも同然です。
さらに、コンサルタントならば依頼を受けてもここまでの執念をもって調べないところ、本の著者は自発的な探求心で挑んでいるため、より到達度が高まります。

このように、現代の専門家から古代の哲学者にいたるまで、あらゆる分野の達人たちの叡智を借りることは「巨人の肩の上に立つ」と喩えられます。本を読むことで「知の巨人」たちの大きな肩の上に乗せてもらい、そのテーマについて深く学び考え抜いてきた成果を、同じ視点に立って、遥か遠くまで見渡せてしまうのです。

一冊の本のみならず、図書館には分野や思想による偏りなく、多くの本が集められます。近いテーマが隣接するよう並べられているため、ある本の近くの棚を見渡してみると、次々に新たな興味関心への連鎖が生まれます。
さらに一歩踏み込んで、これまで興味のなかった本棚を含めて背表紙を隅々まで眺め歩いてみると、未知の世界にまで出逢いが広がり、自分の中で「知の系統樹」が育ちます。

これまで見てきたように、「いま起きていること」や「他者との情報交換」等を求めるときはネットを使い、ある事柄について背景を含めて体系的に知りたいときは本を読み、特定のテーマや先端情報を知りたいときは専門雑誌の記事・論文まで探す等、多様な方法があります。
このように、目的に応じてあらゆる情報源を使い分けられるようになれば、基礎知識という強固な土台に立脚した上で最新の情報で補完ができるため、まさに「鬼に金棒」となります。

ただし、情報や知識は、集めるだけではいずれ錆びつき、埋没してしまいます。そこから探求すべき問題点を見出し、それに対して自らの知見や経験から解決策やアイデアを生み出して、言葉や文章で人に伝えることで、初めて活かされるのです。

いよいよ次回は、最終目標である知的生産と情報の発信(アウトプット)について考えます。

(続きはこちら)
第10回:「学ぶ」知識から「使う」教養へ(アウトプット)

※この連載が、大幅な加筆のうえ書籍化され、
岩波ジュニア新書から
「ネット情報におぼれない学び方」として刊行されました。https://www.iwanami.co.jp/smp/book/b619889.html

梅澤貴典(うめざわ・たかのり)中央大学職員。1997年から現職。2001~2008年理工学部図書館で電子図書館化と学術情報リテラシー教育を担当。2013年度から都留文科大学非常勤講師を兼任(「アカデミック・スキルズ」・「図書館情報技術論」担当)。2012~2016年東京農業大学大学院非常勤講師(「情報処理・文献検索」担当)。主な論文は「オープンアクセス時代の学術情報リテラシー教育担当者に求められるスキル」 (『大学図書館研究』 (105) 2017年)等。

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