ひきこもる効用 吉本隆明が『ひきこもれ』と言っている
この4月のことを「一億総ひきこもり月間」と呼ぶ人がいた。
ああ、だから楽なのかと合点がいった。
私は出不精だ。休みの日だからといって、もともとどこにも出かけない。連休だったらなおさらだ。混むし高いし、家にいるほうがよっぽど好き。でも、そんなんじゃだめだ、という世間の向かい風をいつも感じていた。街に出よ、人と会え、新しい情報を仕入れよという成長圧力。猫をしずかに撫でていても、その風はびゅうびゅう吹きつけ、家のドアをガタガタ鳴らすのだった。
でも、ここへ来てそれがパタリと止んだ。止まるばかりじゃない。家にいよう、ひとりでいよう。ひきこもり礼賛へと風向きが逆転した。
慣れない追い風をうけ、吉本隆明『ひきこもれ』を思わずめくる。
大勢のなかの孤独に安堵する
あったあった、これだ。
幼少のころから必要最低限しか口を利かず、晩年は老人性鬱だと言われるほど人嫌いだったらしい吉本隆明。それでも孤独にさいなまれたときは、銭湯か、神社のお祭りに行って心を休ませたという。
いまでもぼくは、大勢の中の孤独を好むところがあります。
賑やかな中で一人ぽつんといる状態が一番、精神的に落ち着くのです。
これはみんな感じるんじゃないかしら。孤独だけど、孤立していない感覚。
いま、わたしもとても孤独だ。ひとり暮らしで、完全にテレワーク。6日前、業務スーパーのレジのおばちゃんに「帰り、手ぇ消毒してなー」って言われたのが最大接触。社会のなかで私だけがひとりぼっちだったら、耐えられないかもしれない。でも、多かれ少なかれみんなそうだと思うと、ふしぎと寂しくはない。ひきこもり仲間がたくさんいる。
だから、安心してどうどうと引きこもる。本をさらに読む。
吉本隆明は、家にこもって誰とも顔を合わせず「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことで「第二の言語」が育つと話す。
第一の言語は、他人に伝達するためのことば。美しい景色を見て「きれいだね」と伝えるような。これは、自分が受け取った感覚的な刺激を言葉にしたもので、感覚系。
いっぽうで、第二の言語は内臓系。これは、胃がキリキリと痛んだときに思わず「痛いっ」と口をついて出てしまうようなもので、他人に伝えるというより、自分が自分にもたらす意味合いの強いもの。
コミュニケーション能力というのは、他人と感覚を調和させる力であり、大勢の人と交わるのは「感覚的な有効性」はあると吉本は言う。ようは、楽しいけど、うわべのものだよねってことだろう。
それに対して、第二の言語である内臓系の言葉は、ひとりでじっと自分と対話することで育まれる。そしてそれこそが、「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙っているけれど存在感があるな」という感じを与えると語る。そういう人のなかでは、「意味」だけではなく「価値」の増殖が起こっている、と。
傍目に何もしてないような時間。それでも砂時計が落ちてゆくように、自分のなかに静かに価値が積もってゆくことを想像しよう。きっと明日も、実りあるひきこもり時間がもてるはず。
うめざわ
メモ:
TAKRAM RADIO https://www.j-wave.co.jp/original/takram/
「Vol.31 一億総ひきこもり月間〜家のなかでの小さな旅行」
Podcastで購読中。旅の効用について、そして家のなかでもその「旅」はできるのではないか、という提言。「心が散歩しちゃうような」というフレーズも飛び出して、それ聞くだけでも一聴の価値あり。いい声だし。
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