名詞と動詞の覚書

愛というのは名詞ではなくて、「愛する」という動詞なんです。信頼とは名詞ではなく、「信ずる」という動詞なんです。[…]
「思う」「言う」「行う」の三つに矛盾があってはいけません。この三つがピタッと一致して初めて、ちゃんと生きているといえるのです。(大愚元勝『大愚和尚の答え』、飛鳥新社、p.103)

「素早く愛するとか、迅速に誠実になるとかは、たぶん、難しいのです」という石井ゆかりさんの言葉。そうかこういうことだったのか、と別の本でヒントを知る。

そもそも「愛する」という動詞には、時間の流れが含まれているから、「素早く愛する」が難しいのね、と理解。


動詞で考えるとえば、こちらを思い出す。

たとえば、「生命」という言葉、「21世紀は生命科学の時代」だとか「子どもたちに生命の大切さを教えよう」など、重要なこととしてしばしば眼にし、耳にします。けれどもここで言われている「生命」はどのようなものかということがはっきりしません。物事を考える時は、「何」が「どのように」ということが大事です。「何」ということだけを名詞でポンと投げ出すと、それはすでにわかっていることのように受けとめられてしまい、詳細に考えることをせずにすませがちになります。けれども実は、「生命」という聞きなれた言葉も、生命がある状態、具体的にはさまざまな生きものが生きているという状態をよく見ることによって、さまざまな様相で見えてきます。もちろん、生きものの中には人間も含まれるわけですから、さまざまな人がそれぞれの生き方をしているところに「生命」があるわけです。生命科学とか生命を大切にとかいう言葉だけで動いていると、実は「生きている」も「生きる」も見えないまま、勝手な思惑で事が進み、結局生きにくい状況を作ることになりかねないのです。
(中村桂子のちょっと一言【動詞で考える生活世界】より
https://www.brh.co.jp/salon/hitokoto/2005/post_000019.php )

テーマという名詞だけを提示されても、なんとなくピントが合わない。おそらく、連想されるものが多すぎるから。

けれど、けれど動詞なら、ひとつの雛形を共有しているということだから想像しやすい。うん。

うめざわ
※さいきんぞっこんの大愚和尚本、3冊目。どれも元ネタは同じはずなのに、編集方針が相当違うのがおもしろいぞ。この本は、Youtube番組「一問一答」のベスト版っぽいので、動画のエッセンスだけ読みたい人にはとてもむいてるはず。


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