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障がい者施設のスタッフになったら、生きづらさが変わった話

あ、こういう人たちと一緒に働きたい…!!!

ドクターストップにより設計職をやめて療養中、失業保険も切れる頃、体力的にもメンタル的にもまだまだ社会復帰できる自信がありませんでした。

そんなときに、以前の記事でご紹介した即興劇団であるインプロ集団MOSAïQUESの一員として大分県佐伯市の障がい者施設で、インプロワークショップとショーをする機会がありました。

知的障害のあるひとたちとのワークショップはこれまでほとんど経験していなかったので、通じ合えるのかどうか私はかなり緊張していました。
でもいざ始まってみると、スムーズにコミュニケーションがとれなくても、リアクションがとっても素敵だったり、そこにないものを一緒に想像できたほんの一瞬の瞬間にビビビっと電気が走るように感動しました。

そのときに私の頭の中に文章が流れたんです。
「あ、こういうひとたちと一緒に働きたい!」と。 
それはとてもはっきりとした言葉でした。

建築畑で育ってきたので、「ちゃんと建築関係の仕事をしていかなきゃ」って思い込みがずっとどこかにありました。
身体を崩したことで、建築の世界でバリバリデザイナーをやることは自分の体質的には合わないとわかった後でも、なかなかそのこだわりを捨てきれずにいました。
しかしその日を境に、考えが一転。「私が一緒に働きたいのは、スーツ着たおじさんたちじゃなくて(語弊ありすぎるけど)、こんな自由なひとたち。仕事も建築関係にこだわる必要はないじゃないか。」と思えるようになったんです。そもそも私の母も元々障害児保育の先生。血筋的にも自然なことだと感じました。

工房まるとの出逢い

ちょうどそのワークショップの一週間ほど前、Facebookのタイムラインでたまたま見かけた求人情報がずっと頭の中をチラついて離れませんでした。
私が働く業界ではない、と一度スルーしていたけれど、やっぱりアリかもしれない。

それが工房まるでした。

大分県でのワークショップの後、思い切ってスタッフ募集にアプローチしてみることにしました。ご縁がなかったらそれまでだし、ご縁があったら新しい世界に触れられるかもしれない。
見学に行った工房まる三宅のアトリエは、古民家を改修したアトリエ施設。思い思いに絵が飾ってあったり、工作が並んでいたり。ソファに寛いでいたり。お庭と縁側があって、柔らかい時間が流れていました。
あ、この場所で働きたい!アトリエにひとめぼれしました。


一目惚れしたアトリエ

そして運良く、ご縁が実り、工房まるで非常勤スタッフとして働くことになりました。
はじめての日、「福祉の仕事ってなんだと思いますか?」と問われました。なにも知識がなかったので、考えた末に「社会という大きな歯車と、障がいのあるひとのもつ歯車が噛み合みあわないときに、間に入るつなぎの歯車のようなしごとでしょうか…」と答えました。
帰宅して「福祉」という単語の意味を調べました。福祉とは「幸福、幸せ」と書いてありました。聞き慣れた言葉だったのに、まったく言葉の元々の意味を知りませんでした。

このとき自分が答えた答えは、じぶんのなかでのベースになっているように思います。

僕は今ハッピーです!僕は今不機嫌です!
なんだこれ、めっちゃシンプルでいいじゃん!

はじめての環境で働きはじめて、利用者(工房まるではメンバーと呼びます)のみんなと似顔絵を描きあったり、一緒に創作したり、一緒にご飯を食べたり、お話したり、草むしりしたり、散歩したり、ただただ1日を一緒に過ごす日々が始まりました。

私が働くことになった「三宅のアトリエ」は、就労Bの施設なので、メンバーもおおよそのことは自分でできる方々です。障害の種類も、精神・知的・身体とごちゃ混ぜなので、お互いがお互いの苦手分野を補い合いながら、程よく調和しているように感じました。そこでの時間を過ごしていると、障害ってなんだろう?と思うほど、こちらが一方的にケアする必要がないことに気づきました。

反対に彼らの振る舞いに、私自身が救われる場面が多くありました。嬉しい時は身体全身を使って、「うれしいんだ!」っていうのが伝わってきたり、反対にあからさまに「超不機嫌」だったり。
こんなに自分の感情とストレートに通じ合っていて、それをシンプルに表に出すことが、周りから見てもこんなに気持ちがいいんだ!ということがわかりました。

勤め始めた頃、みんなで博物館へお出かけ

ついつい大人になるにつれて、建前を覚えてしまった私には、その様子がとても眩しく見えました。
アスペルガーの特性として、裏表のある表現が苦手だった私。冗談が通じなかったり、嫌味がわからなかったりしました。
それでも世の中には、本音と建前があって、「この人は今、本心でこれを言っているのか、そうじゃないのか」と考えなきゃいけないことがとても疲れることでした。
それが工房まるで出会ったメンバーたちは、いい意味で「わかりやすい」ので、深読みしなくてよかったのです。
もちろん、あえて本音を言わないようなメンバーも中にはいます。
ただ、私が建前を使っても、建前を言ってるってバレちゃう。反対に素直にリアクションすると、喜んでくれたり、受け入れてくれる空気がありました。

三宅のアトリエで、一般人としての私、社会人としての私、常識人としての私から離れた、「ただの一人の人としての私」でコミュニケーションをとる方法を思い出したと思います。
そして私も「障害のある○○」ではなく、「一人の人としての○○」としてメンバーと出会うことができました。
メンバーも私のことを「うめちゃん」として関わってくれました。
障害があることは、その人の持つ特徴のほんの一部でしかありません。一人一人を形成しているのは、それよりも「こんな絵を描く○○」「ヒーローに憧れる○○」「お酒が大好きな○○」「オシャレな○○」「珈琲を淹れるのがうまい○○」という部分だったり、「一緒に○○で楽しめる人」「一緒に○○で遊べる人」「一緒に○○で作れる人」のように何が共通の趣味や話題になるかという部分だったりします。

メンバーを「障害」ではなく「人柄」や「画風」で感じることができる

それぞれでいいじゃんね

自分と相手が違って当たり前だと思って働き出した障害者施設。理由も聞かずに相手の行動を矯正することはないし、そもそも同じであることを期待していないことも多々ありました。
机の上にあるものも、机の向きも、使う画材も、作業の種類も、コミュニケーションの方法もみんな違っていい。
それぞれが気持ちがいいように、それぞれの場所をアレンジして整えて。そして繋がった空間で、コミュニケーションを取ったり取らなかったりしながら一緒に過ごす。

年末の大掃除。自分の場所を自分でセッティング。

これでいいじゃん。と思いました。
障害者施設にこだわらず、学校も職場も自分が気持ちよく過ごせるように自分の場所を整える。それって動物の巣作りのように本能的に普通のことじゃん、と。

みんなが同じ椅子、同じ机、同じ道具、同じ授業。
一人一人違うのに、なぜ同じなんだろう?
私自身小学生の時からずっと感じていた違和感。
うるさすぎる教室。眩しすぎる照明。反響する体育館。ガタガタする机。空調と蛍光灯のブーンとなり続ける音。
どうして全部一様な仕様だったのだろう?

小さい頃の私も、自分が落ち着ける場所をずっと探していた。
教室がうるさすぎて、耐えきれず癇癪を起こした子どもの頃。
机に突っ伏して、耳を塞ぐ私が、なぜそうなってしまっているのか、わかってもらえたことはありませんでした。
休み時間に教壇の中に入って、本を読んでいたこと。
人と視線をずらしたくて、静かな場所に行きたくて、ジャングルジムの頂上や木の上で過ごしていたこと。
センター試験の数日前。パニックになって、押し入れで一晩過ごしたこと。

言葉でのコミュニケーションが全てではないと、話さないメンバーから学びました

そもそも違うのが当たり前だと感じていたら、共通点を見つけた時に喜びあえるような気がしています。
でも、そもそもが同じだと感じていたら、相違点を見つけた時に疎外感やイラッとしたりするような気がしています。

本当は一人一人違うのに、「普通」を求められる。「同じ」を求められる。
「均質」を求められる。そして合わないとはじかれる。
「ただの一人の人としてのあなた」「ただの一人の人としてのわたし」を認めて、もっと気楽にアレンジできたらいいのにな、と思いました。

「Yes, and」 「いいね!じゃあ、」受け入れて足していくこと

能力を最大限発揮できるまちづくり

即興劇をしていた経験から、決まりきった段取りを追うことに必死になるのではなく、その場のやりとりを面白がることができるようになっていた私。
メンバーとのコミュニケーションは、予定調和にはいかなくて、毎回どんなリアクションが返ってくるのかとてもワクワクしました。

生きるために、自分の好きなこと、気持ちがいいこと、不快なこと、苦手なこと、を表現できる能力を人間はそもそも持っていることを思い出させてくれました。
そして「慣れたふり」をしていたり、「我慢」をしていたりするだけで、全然気持ちよくない空間がまちの中にたくさんあることを思い出しました。

車椅子ユーザーが出かけやすいまちづくり。弱視の方が出かけやすいまちづくり。それと同じくらい、敏感すぎたり鈍感すぎたりする人たちも、自身の能力を最大限発揮できるようなまちづくり、空間づくりを待っているのかもしれない。

そう思ったからには、建築士としての能力と障害者支援施設で働いた経験、感覚過敏の特性を持つ私だからこそできる空間づくりをはじめてみよう。

そんな経緯で、ライフワークとして、建築分野でのバリアフリーが遅れている発達障害・知的障害・精神障害のための空間について取り組んで行くことにしました。

関ジャニ∞ファン仲間

NPO法人 工房まる



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