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「死」について

「死」について 

これは「死」についての考察が可能か否かの問題を或るブログサイトに

コメントしたものです。少し言葉を付けたしております。

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私は死を問う、考察する事は可能だと思っております。
ただ、「生きながらの死」を個人の魂が「実体験」していなければ
問答は成立しません。

恐らく、このような物言い は妄想空想の類に、一笑に伏される事でしょう。

神・仏の意識状態に至っても私が神・仏になるわけではありません。

我々人間に具わっている「思考」という道具は世界認識の為のものでもあり普遍的なものでもあります。
単なる自然界の物質のみの考察のみならず心魂や神仏の考察も認識可能な唯一のものです。

肉体と精神は不可分です。
この不可分であることを自覚、認識可能にするのが思考なのです。
ただ頭だけで思考するというものでもはありません。
唯物論的思考では理解し難いことです。
この「思考そのもの・実体」を自覚し得るだけの不屈の意志と透徹した思考に徹する事が難しいというだけです。
これは我々の個人的情が障壁になっております。

無論、大いなる情というものもあります。
この大いなる情に個人の自我意識は耐えられぬでしょう。

あらゆる他者との境界が消失するからです。

魂の内部で圧倒的な嵐の如き状況と重積、名状し難き無力感が日々襲います。

さらには、時空を超えた自己意識は漆黒の闇の中で自らが発光するまでに至らねば自らを消滅させます。自我意識から真の自我へと。

また、これからが、この意識状態からが真の人間としてのスタート地点でもあります。

後は、自分自身の立ち位置を自分自身の意志に於いて決め、あらゆる行為を自分自身の意志で決定します。

遅々とした歩みでも、日常の日々の生活のなかでの実践のみです。

2009-08-12

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