梅崎幸吉

1950年生まれ 画家、詩人。私の理想は「創造的人間関係」です。私はあらゆる素材、表現…

梅崎幸吉

1950年生まれ 画家、詩人。私の理想は「創造的人間関係」です。私はあらゆる素材、表現方法を用います。 人間関係が創造的になれば芸術は不要になります。ただ、これは眼がくらむ程の遠い道程です。その準備段階の土台形成活動が私の日々の生き方です。

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「表現の本質と人間存在の本質について」

 仰々しい表題である。だが我々は人間存在として生存していく以上この問いから逃れることはできない。否、逃れようにも逃れられないのである。  仮に我々に思考というものが備わっていなければこの問い自体が成立しない。 ただ単に動物以上でも以下でもない、というにすぎない。無論この考察、認識自体も生じ得ない。 もし我々に思考という道具が備わっていなければ自己認識、つまり私・自我意識は生じえないからである。くどいようだが自我意識が無ければ世界そのものの認識、自覚は生じ得ないのである。 この

    • 「厳粛な祈りを秘めた表現」

      「厳粛な祈りを秘めた表現」 写真の向かって右の木彫作品は友人がバリ島へ行った時に買ってきたものである。技術は稚拙である。 しかし、この彫りには作者が込めた厳粛で深い哀しみ、名状し難き「祈り」のようなものがしかと刻まれている。 隣の彫刻は鉄で溶接されて作られている。 作者は生前私が高く評価していた杢田たけを氏である。 この作品は私が彼のアトリエに行った時にアトリエの片隅に埃をかぶっていた。 私は聞いた「この作品に誰も眼を留めぬのか?」 と。 彼は「今まで、この作品

      • 「レクイエム」キャンバスにミクストメディア

        「レクイエム」キャンバスにミクストメディア

        • 「世にありて」

          「世にありて」 知るほどに巨きな空よちりぬるを たとえなき哀しき胸にいなびかり 遍光やかくれしものを見のがさず 常ならむ世を気化せんと血の五文字 さだめしをうきしずみつつちぎりしも つらら垂る夜ふけし道の青光り したりかをいとあなをかしそちこちに わけいれどおもいはさらにひとこころ みちしるべわけいるたびに手をあわし わけいればふかみあさみのたえなるか よみよみてふみくるひしのおおかりし みちなくもみちみちたるをしれよかし しりつつもしりつつもなをつ

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          「らちもなしやありや」

          「らちもなしやありや」 らちもなしとしりつつ かくというこういのこうい ふみょうむみょうのつねなるか むみょうふみょうのたえなるか ききかいかいのかいにありて ふみょうむみょうのたえなるか たえなるやたえつつも たえなるやたえなりや    * よしなしなしの ゆえありぬ そはよよにありなしか よよにありありて ゆえありぬ よよにありぬ なすなしとわず つれづれに らちなしありしの らちあるを    * さにあらず さにあらざれば ぜひもなし つねな

          「らちもなしやありや」

          「大いなる無邪気さ」

          「大いなる無邪気さ」 私が文中に用いる「無邪気」は大いなる無邪気さと言った方がいい。 言葉というものは誠に厄介なもので、用いる人物によって解釈、変化する。 ゆえに「大いなる」という物言いになる。 下記の文章は拙著「小林秀雄論」の部分抜粋であるが、無邪気さというものに触れているので此処にも転載する。 またニーチェが『ツァラトゥストラ』で言った三様の変化の 幼子の如き無邪気さとも同義である。 この意識状態を生々しい現実で保持、維持することが如何に困難であるかは語るまでもない

          「大いなる無邪気さ」

          「心情の相対化」の難しさは個人的快不快が骨の髄まで浸透しているからである。 故に、透徹した思考を日々錬磨していなければならない。

          「心情の相対化」の難しさは個人的快不快が骨の髄まで浸透しているからである。 故に、透徹した思考を日々錬磨していなければならない。

          個人が虚無空間に耐え得る為には「心情の相対化」が為されていなければ不可能に近い。「心情の相対化」こそが未知の世界への参入には基本中の基本である。 しかし、現実生活に於いて「心情の相対化」ほど難しいものはない。

          個人が虚無空間に耐え得る為には「心情の相対化」が為されていなければ不可能に近い。「心情の相対化」こそが未知の世界への参入には基本中の基本である。 しかし、現実生活に於いて「心情の相対化」ほど難しいものはない。

          個人が「虚無」に至る事は出来ても「虚無観」を打破するのは容易ではない。 これは自らが「虚無体験」しなければ理解出来ぬことである。 真の「虚無体験」をすれば「霊界参入」する。 最も魂の準備が出来ていない「魂」は怖れを抱き、引き返すであろう。

          個人が「虚無」に至る事は出来ても「虚無観」を打破するのは容易ではない。 これは自らが「虚無体験」しなければ理解出来ぬことである。 真の「虚無体験」をすれば「霊界参入」する。 最も魂の準備が出来ていない「魂」は怖れを抱き、引き返すであろう。

          ニーチェが言った「深淵」とは「虚無」のことである。 彼は「深淵を覗く者は深淵と化す」とも言った。 虚無空間の中で物質界の足場が消失して方向性をも消滅した。 これは唯物論的世界観の限界であり、それ以上でも以下でもない。 一個人の限界であり、人間の限界ではない。

          ニーチェが言った「深淵」とは「虚無」のことである。 彼は「深淵を覗く者は深淵と化す」とも言った。 虚無空間の中で物質界の足場が消失して方向性をも消滅した。 これは唯物論的世界観の限界であり、それ以上でも以下でもない。 一個人の限界であり、人間の限界ではない。

          「言葉に対する無知と偏見」

          「言葉に対する無知と偏見」 私が何度も繰り返し書いている内容である。 ある記事を読んだ。 画家としては知名度のある人物の発言である。 「今日では抽象表現は限界に来ている。既にあらゆる抽象表現方法は出し尽くされて再び具象に回帰している」と。 実名は明かさぬが、自分の限界をこのように断定すること自体、自己怠慢という自覚が全く無い。 大方の表現者はこのように考えているか、表現は自分の好き勝手に自由で良いという趣味趣向の範疇の域を出ていない。 そもそも具象抽象という線引

          「言葉に対する無知と偏見」

          「無私と虚無」

          「無私と虚無」 小林秀雄が、芸術家は最初に虚無を必要とする、といった風なことを書いているが、この真意を真に理解し得た存在は皆無に等しい。 無私と虚無、この似て非なるものの概念を語るとは、この概念自体の実体を体験獲得しなければならぬからだ。 無私とは「私」の喪失ではない。むしろ真の私・自我のことを指す。これはどう足掻いても唯物論的視点では打破できぬ代物である。 世界は表象にすぎない、といった類に準じる視点観点の限界とは「死ねば終わり」という結果に至る。 今日の浅薄な自称

          「無私と虚無」

          あらゆる表現者は苦悩や苦痛を喜びに変換出来る者のみが常に未知への世界へと踏み込むことが出来る。 現状維持とは表現者にとっては堕落(マンネリ化)を意味する。

          あらゆる表現者は苦悩や苦痛を喜びに変換出来る者のみが常に未知への世界へと踏み込むことが出来る。 現状維持とは表現者にとっては堕落(マンネリ化)を意味する。

          「レクイエム」パネルにミクストメディア、コラージュ

          「レクイエム」パネルにミクストメディア、コラージュ

          「レクイエム」パネルにミクストメディア、コラージュ

          「魂の琴線」

          「魂の琴線」 よく相手の琴線に触れるという言葉が用いられる。 無論、琴線といっても各自各様の琴線があり決して一様ではない。 さらには琴線に触れるという行為自体が既に相手の中に踏み込んでいる。 踏み込むという物言いは拙い喩えである。 不可視なる魂の中に踏み込むという行為自体不可視的なものだからである。 さらに言えば、踏み込む相手の心の有り様が観えていなければ琴線云々とは論外事なのである。 数打てば当たるというものでもない。 言葉と心のある種の化学反応のような精妙な変化

          「魂の琴線」

          「レクイエム」キャンバスにミクストメディア

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