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1.あの日の朝 その1

言葉を失った日

ある年の2月のある朝、あの日は大学の後期試験が終わりホッとしていた時期でした。

朝の8時ごろに起き、不思議と私自身に向かって「おはよう」と挨拶をしました。

(言えない…)

頭の中には「おはよう」という単語があるのです。

けれど言葉にはできない、声は出るけれど「ウォ~、ウォ~」としか出て来ないのです。。。

「ぎゃーーーーーーーーーーーーーーー!」

大声を張り上げました、号泣しました。

慌てて部屋から出て母に知らせようとし、階段の上から

「お母さん、言葉が出ない!喋れない!」

と頭の中では連呼していました。

が、母からすれば号泣し泣き喚いていただけの娘。。。

怒られました「朝から何よ!近所迷惑!!!」と。

これではダメだと考え、当時はパソコンなどなかった時代、

ワープロで訴えようとして妹の部屋に行きました。

「お姉ちゃんが変!」と母に訴えた妹。

当時、専門学校生だった妹は、遅刻していたようで、私が部屋に入った時はまだ準備中だったようです。

彼女は朝から泣きながら自分の部屋に入って来た姉を見て、「バカか。」と思ったらしい。。。(当たり前ですよね、普通)

けれど、普段ならフロッピー片手にやって来る私を妹は知っていたので、何も持たず必死に文字を打とうとする私の様子を見ておかしいと気付いたのか、階下の母のところに行ったようです。

私は私でワープロの画面を見ているけれど、ローマ字打ちに慣れているはずなのに、頭には言葉が浮かんでいるのに表現ができませんでした。

「話ができない」と書きたかったようですが「は     」で止まってしまいました。

その後、床に倒れこんでいました。

母が駆け付けたのは、妹が部屋から出て行って2~3分だったと思います。

救急車に初めて乗る。

それから119番したのでしょう、2~3人の救急隊員が私を取り囲んだのは。

私はボーッとしていました。

私自身はよく覚えていないのですが、母曰く救急隊員の人たちが

「これ頭かなぁ~。」

といっていたと。母は唖然となったようです。

19や20そこそこの娘が、脳に関する甚大なダメージを受けるなんて考えられなかったからです。

そして私は生まれて初めて救急車というものに乗りました。

いやはや、全くもって気持ちの良いものではありません。自分自身がどうなっているのかさえ分からなかったのですから。

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