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6.なぜ話せない?

友達や親戚たちがお見舞いにやって来るようになって、私はジレンマを抱えていました。

話せないから。

少し医学的な要素が入って来るかもですが、書いてみようと思います。

言語障害を起こしていた

端的に言えば「言語障害」を起こしていたのです。

頭の中には単語や文章は浮かんできており、また、相手から話された言葉は耳で聞いて理解はできていました。

でも、伝えようとする機能を失ってしまっていました。

私がダメージを受けた場所は、「言語中枢(ブローカ野)」「運動野(運動連合野・一次運動野)」で、場所的には左前頭葉に位置する箇所。

上のページに色々な脳の働きを示す図があり、言語野の場所が表示されています。「ブローカ野」というアウトプットを担う箇所を私は出血で侵され、脳からの伝達機能がブチッと切られた形でした。

だから、頭の中にある単語、文章が脳神経を伝達して、声で表現できなかったというものです。

でも、ウェルニッケ野が侵されていた場合、音声言語の理解・認識のインプット機能が阻害されるようで、言葉は話せても頭の中での理解ができない状態になり、アウトプットしたところで意味不明な言葉を発するという障害を持つことになってしまうことから、アウトプットの機能回復訓練だけで良い言語障害だったのはマシな方だったと今は思います。

母は粘り強かったな

主治医の方から母は「病室ではできるだけお喋りをしてください。」と依頼を受けていたのか、1日中私に話しかけていました。

私も話せないから話したいと考えていたので、頑張って話をしていました。

でも、頭の中にある単語を声で表現しようとしても直ぐには無理。

例えば「牛乳」のことを「ふうつう」とあの時の私は表現していました。

また「牛乳が欲しい」と言った文章も言えるわけもなく、「ふうつう、ふうつう」だけ。

母は私が発した言葉をメモ帳に書き込んで、簡単な辞書を作っていました。

それぐらいしないと、私との会話は成り立たなかったのだと思います。

言語障害を持つ人との会話のポイント

ずっと毎日1日中会話をしていたので、転院する1ヶ月の間に少しずつ会話がマシになっていきました。それでも赤ちゃんから幼稚園の年少さんになれたぐらい。まだまだ回復したとは言えない状態でした。ノロノロノロ…でもそれは仕方が無い、一気に言葉を失ったのだから。

言語障害を持ってしまうと、本人は努力して話そうとします。それは凄くゆっくりなペースだから、話し相手としては痺れを切らしてしまう場合はあります。

痺れを切らしてしまうと、障害を持つ本人が話す前に話し相手が、何を話したいのかを先取りして単語でも文章でも言ってしまう時があって、それって本人の鼻をへし折る格好になってしまうんです。

「もう少しで話せるかも~」と思っていた本人は、その相手の何気ない行動に自信を無くしてしまうことが多いです。

幸いなことに母はそれをしなかった。

普段の母はね、人の話の腰を折るのが大好きで、へし折って自分語りが多い人です。これも困ったちゃんですが、あの時はそんなことをせず、じっと耐えて私が話し始めるのを待っていました。

リハビリ病院に転院してから気付いたのですが、言語障害を持つ方のご家族は、言葉の先取りをする方が多かったです。仕方が無いんですけどね、言語障害になっていないから理解できないんです。

でも、たった1つだけ言語障害になった感覚を味わえる体験があります。

全く知らない外国語を話すこと

最近の若者は英語を話す人が多いかもしれませんが、ならマイナーな言葉を話すことを想像してみてください。頭の中には単語の意味は分かっているとしても、それを発声する、単語を組み立てて文章にして、その国の人とお話をする。でもそれって、簡単には出来ないでしょ?

私が陥ったブローカ野が壊れてアウトプットが出来なくなった言語障害(運動性言語障害)はそんな障害なんです。

だから本人が話し出すことを「待つこと」が大切な事なんだと思います。

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