2023/12/17 小骨が取れた
先週の平日の夜中、ふと目が覚めた。ベガデハルカルセの夜を思い出す。今回もやけに意識がクリアだ。あの時なんか思ったなー今は何を?と問うてみる。
ふと我に返るに、なんで今回のNoteでこんなに愛の交換ができただのハグしただのと興奮しているのだろうか?と、我ながら。例えば全裸監督の黒木瞳みたいにエラく抑圧された思春期を過ごしてきたとかならわかるけれども……はて、、ハッとする。ずっーと抑圧されてきたんだと。ほぼ無意識のうちに…
恐らく…中学入学がきっかけだ。ボクはお受験をして東京の男子校に入りイジメにあった。男同士でも優しく仲良く、ごく普通にそうしようとしたら女子みたいだと気持ち悪がられた。原因は父にある。亡くなった後に知ったことだがボクの父の父親(お爺さん)は家庭内暴力の人で、父は高校卒業と同時に暴力から逃出して親戚のおじさんの家から大学に通った。彼は優しい人だったけれどもその優しさは基本的には暴力を振るわないこと、とても静的だった。DVにあった人というのは暴力的な衝動を抑えるのがかなり大変なことらしいが、父はほとんどボクには暴力を振るわなかった。衝動を抑えるのは大変だったのかもしれないが家族は理解できていなかった、むしろ抑えられないでたまに暴力を振るってしまった時のことをあげつらって文句を言ったものだった…悪いことをした。ごめんよ。でもそんなことを何も知らない子供からすると静的な優しさなんてものはただの“無“、明日小学校に行って実戦で使える優しさのサンプルがない。そうして幼少期のボクは母親からそれを学んだのだった。
イジメられてからは男らしく振る舞うことに全力を傾けた。参考になるものを片っ端から拾って不自然にならない範囲で、ある都会の日本男児像を作った。当然それはあまり積極的には愛情表現をしない人間像になった。
とはいえ大人になるにつれて女性には優しくできるようになる、お付き合いの過程でそういうことになっていく。でも同性についてはトラウマからそうはならないので基本的には若干厳しい目に当たる。一方で今の社会では(性別に関係なく)愛情あふれる配慮の行き届いた優しい、器の大きな人間像が求められる。許されると言ってもいい。何がどうなのか、ずっと葛藤があった。それがここへきて、そのカベがごそっと取れたってわけだ。長い間ノドにつかえていた魚の骨が取れたような、スッキリ感がある。スペインの皆様、ありがとうである。
やはりラテン系の人たちというのは愛の本場?なのだろうか?少し話は逸れるがボクは“食べ物が美味しい“という喜びを九州に教わった。東京だと美味しいものには高いけど自分がそれを払えるとか味のわかることの自慢とか、何か別の要素がくっついてまわるから嫌だなあと思ってしまい、食には興味がない!と言い聞かせていた、まだ若い頃の話だ。けれども社会人になって3年目、初めて福岡に住んで以来、九州に行くたびに“美味しい“はただただ純粋に美味しいとなった。だからボクの中では九州は食の本場である。本場では他の要素に関係なく、ただただ純粋に美味しさを楽しめるのだ。
スペインの人々の優しさや愛情表現も、それは九州の食みたいに純粋に楽しめた。もしかするとそこにももっと“こうあるべき“的な要素やしきたりがあるかもだが、幸いボクは知らない。それはラッキー!だ…小骨はもう取れた
個人主義の上に成り立つ優しさ、愛情。みたいなことか?スペイン人たちに日本みたいな同調圧力はない。言いたいことを言いまくって、でも仲良く助け合ったり一緒に楽しめる。個人主義という意味では英米人などはどうかというと、何かが違う気がする…偏見かもしれないけれど、英語文化圏の人はよく見下す、バカにされた経験が多い笑。スペイン人やイタリア人はそういう態度をあまり示さない、かつて日本にあったような一億総中流的なノリが感じられる。そうかボクはそれを愛情のひとつとして受け取っているのかもしれない。
と言っても少ない経験からの理解だから、よくわからない。一緒に仕事なんかしたらどうなんだろう?日本人みたいな協調ができるんだろうか?などと考えを巡らせると何だかやる気が湧いてきたりする。
まあ優しさの表現にカベがなくなったからといって未来が薔薇色かと言われると、そうでもない気はする。電車の中で席を譲ったら逆ギレされる、みたいなことは往々にして起こるだろう。でもきっと仲の良い関係は深まる、そうなるときっと人生は深まる。そう思うとこの先も明るく元気に生きていけるような、そんな気がしてくる。
何だか父親のことまで書いてしまって恥ずかしい気持ちもあるが、おかげさまでスッキリした。自分は書く作業に恐ろしく時間がかかるのでもうやめにしようと何度か思ったが、今回これが書けて良かったです。
読んでくれた方、ありがとうございます。
この日は丸一日のDayOff、オーレンセという街の温泉にいった。日本語のネット情報が古くて現地で右往左往、カフェで情報収集したりして。あと水着は必須なので購入するのもそこそこ骨が折れて。結局、サンティアゴの宿を朝9時半には出たのに温泉に入れたのは17時くらいだった。温泉はファミリータイプで比較的健全ですが、若いカップルが自由に振る舞うのを避ける中高年、ファミリーが何組もいて、その大移動っぷりが可笑しかった。ボクはといえばちびっ子3人組に絡まれました。とても楽しい経験、オススメです。
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