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組織と共通認識と伝え方

もはや当たり前となっていることを明文にする。

今、勝手な都合で、ある団体の組織づくりをしている。組織が苦手な自分が組織を作るということ自体が滑稽なのであるが、人が多くなったら組織がためというのは必要になる。上下関係が必要かどうかは議論の余地はあるものの、「管理する」という役割は必須であろう。

組織を作る意義は

・一人では実現不可能なことを実現するため
・負荷分散等のリスクヘッジ

と考えている。それらから得られることとして、

・利益
・人間関係の制御
・組織、または個々の成長

としている。それらを実現するためにはシステムが必要で、そのシステムを第三者的立ち位置として構築している。

その前提で多くのことを考えているのではあるが、それ以前から個人でずっと考え続けていたある問題に対する一つの答えが見えてきている。それは、「共通認識」である。

昨今、「わかりやすいことがいいこと」という風潮が強い認識でいる。いわゆる「小学生にもわかるように」という説明の仕方である。これには全面的にではないが、概ね同意している。ざっくりいえば「説明できなければわかっていない」と考えているからである。説明できない以上、それはプロと言えるのか?と。それを感じさせる経験は、先日書いた。

しかしこれはあくまで、「プロと素人」との関係を前提としている。「プロとプロ」の間で交わされる会話にはそれは不要、というより無駄になっていしまう。両者が共通認識を持っているのであれば、それらを一から説明することは不要である。

ここまではこれまでに考えていた「かなり当たり前」の考え方であるが、これが組織となるときに「どうしたものか?」と行き詰まった。組織は一般的な企業として考えたときには、「プロとプロ」を前提に付き合う場合もあれば、「プロと素人」を前提に一から説明ができるように用意する必要がある。

では、組織内ではどうか?これは組織のあり方に通じるところではあるが、教育制度が整っているような組織であれば「プロと素人」の用意があることが多い。理由としては、新たな人材が入ってきたときに説明をする必要があるからである。一方、教育制度が確立していない組織では「プロとプロ」という前提で関係を気づいてしまうことが多い。そのため、いわゆる「パワハラ(パワー・ハラスメント)」「テクハラ(テクノロジー・ハラスメント)」が横行してしまう自体になりかねない。これを防ぐためには、どうしても教育制度の確立が求められる。

「教育制度」のような仰々しいものが必要なのか?ということに関しては、今のところ「絶対に必要」という見解を持っている。「わからないことがあれば聞く」といった漠然とした解決方法では上述の問題の解消は期待できない。というより、「わからないことがあれば訊く」は「教育制度」があった上で成り立つものであると考えている。理由は、個人個人の性格や能力の差、また人間関係によって変動が大きいからである。「人に訊く」というのは人間関係が大きく影響し、これは訊く側の質問の仕方にも答える側も答える内容にも依存する。それらをあくまでもではあるが、ある程度一定にするためには「教育制度」を欠かすことができない。「何を甘っちょろいことを」と考える人も多いであろう。しかし成長するにはこういった取り組みが必ず必要な段階があり、早期に取り組むことで組織をより強固なものにできるようになる。そしてその組織が生み出すサービスや製品のクオリティは高いものになる、はずである。


感覚でものを伝えるのは早いし簡単であるが、その感覚を共有するためには人間関係を築かなければならない。一方で明確に伝えることは正確に伝わるものの、時間がかかりまた難しい。これらを円滑にする方法が上述の方法であると、今のところ考えている。



フリーランスをしていますが病気で働けないことがあります。記事がなにか琴線に触れたら支援いただけるととてもうれしいです。