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考えてもわからないときはわからないままにしておく

小学校のときに「わからないことは辞書を引け」「わからないことをわからないままにしておくことは良くない」と習う。今はわからないが、僕の頃はそう習った。

昨今、流行り病や自然現象などについて陰謀論を信じてしまう「陰謀論者」が増えている。これはTwitterやYouTuberなどのインフルエンサーによるものが多い。もちろん様々な雑誌や○○新聞による影響も多い。なぜ陰謀論を信じてしまうのか。一言でまとめられるほどのものではないが、要点をまとめると

・現状に不満を感じている
・現状が複雑怪奇でわからない
・答えが欲しい

と言ったところだろうか。これらが組み合わさることで、現状に対する問題の解消を行おうとする。その結果、「信憑性がありそうな最もわかりやすい答え」を受け入れてしまう。これが陰謀論である。

人は陰謀論自体に興味を惹かれる。「実は〇〇」といった噂話のような話を好む人が多い。真相を探りたい、という思考回路があるのかもしれない。そのような回路に陰謀論というのは強烈な電撃を与えてくる。陰謀論自体が今の自身の現状に大きく影響していればしているほど、抵抗なく影響を与えてしまう。また、陰謀論の大半は「わかりやすい」。長々と話をしても、ようやくすれば「○○という組織があってそいつらが△△をしている」という話が大半である。長々と話をされる分、信憑性を感じる人もいることだろう(懐疑的に疑う人ももちろんいるだろう)。この「わかりやすさ」が自分自身への自己肯定感へと影響する。「理解した」という自分を評価してしまう。そこに陰謀論がどうこうという話はない。しかし「理解した」という達成感を得ることで、陰謀論自体を受け入れてしまう。これで陰謀論者の完成である。もちろん、陰謀論の中には正しいものを含んでいる可能性はゼロではない。でも、0.01%もあるかと言われたら懐疑的である。

今は極端な陰謀論という例を示したが、小さなもので言えば読んでいる方々もたくさんあるだろう。私自身ももちろんある。TwitterなどのSNSでニュースタイトルをみて情報を信じてしまうことはないだろうか。一歩進んで、ニュース記事を読んで理解した気になってしまうことはないだろうか。

大前提として、ニュースは第三者が書いたものである。第三者が書いた以上、物事を客観的に書いている。しかし、そこには主観も入っている。つまり、真実とは言えない。ここで先に注意しておくと「ニュースが嘘を言っている」と言っているのではない(言っていそうな新聞社もあるが、これも「陰謀論」の一種かもしれない)。いわゆる「多角的」に情報を見る必要がある。多角的にみることで、ある程度は均一化に情報を得ることができる。それでもある程度である。

ここでやっと次のステップとなる。次のステップは「考える」ことである。情報を得た上で、自分なりに整理して考える。考えると言っても「想像する」のではない。得た情報の中で、自分の中で不明瞭な要素はないかを確認する。知らない単語はないか、勘違いしていそうな要素はないか、自分の経験だけで考えてしまっていることはないか……。考える要素はたくさんある。それらを洗い出して整理する。

そして最後のステップとして「理解できたかどうか確認する」ことを行う。不明瞭なことがほとんどなければ理解したと言える。不明瞭なことがあるとすれば、その段階では理解していないと判断する。もちろん情報の質にも寄るが、「ある程度不明瞭なままでもよい」というような考えはするべきではない。理解できていないことは決して悪いことではないからである。

ここでやっとタイトルに紐づく。「わからないことはわからないままにしておく」というのは、今の現状で「理解した」と誤認しないことである。誤認してしまうと、あとから入ってきた情報も誤認してしまう恐れがある。再度言うが、わからないことをわからないままにしておくことは悪いことではない。むしろそれらが後々の理解へとつながる。「何がわかっていないか」を明確にすることこそが重要なのである。

それらを理解するための時間を作って理解すればよいだけだからである。「理解した」としてしまうと、もう調べることはなくなる。なにかきっかけがない限り、ずっと誤認してしまう。上述した陰謀論者のように。

世の中、わかりやすいことだけではない。直感的にわからないことだらけである。Twitter等の短文やYouTuberの語り口は、それらを「わかりやすいもの」へと変える。この「わかりやすいもの」は元々の物から「わかりづらいもの」を取り払った、事実と異なるものである。もちろん、説明の巧さで理解しやすくしてあるものもあるし、多少事実でなくても興味を引くことをきっかけとしているものもある。しかしそれでも、それらを見聞きすることで「理解した」と判断すべきではない。得た情報から考え、理解したかどうかを確認することを忘れてはならない。

このようにすると、世の中の大半のことが「わからない」ものと判断することになるだろう。世の中の大半が「わからない」ことで自分が理解していることがごくわずかであることを認知することが、次の理解へとつながるのである。


フリーランスをしていますが病気で働けないことがあります。記事がなにか琴線に触れたら支援いただけるととてもうれしいです。