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人の話なんて1/1000くらいで聞いておかないと自立できないよ、という話

いろいろな事があって脱力しきったときにふと思い出したことがあった。当時の社長が読む可能性があるからなんともいえないけど、エンジニアにとっては笑い話だろう。

2006年当時、僕は大学1年生で、そのときからUbuntuを使っていた(ちなみに数学科)。サーバーはVine Linuxだったときもあったけど、そこそこのすぺっくのサーバー(とはいえCore2Duoとか)にしたときからは、一貫してUbuntuを使い続けている。

病気で1年遅れたが、大学院(修士)まで行って、2012年に就活をした。結果として最初に入った会社の最終面接で、エンジニアの社長との面接だった。いわゆる就活対策など一切していなかったので、「キリンが世界で何頭いるか」、いわゆるフェルミ推定を聞かれたが、適当にした答えられなかった。それ以外は自分が知っていることとか、当時興味があったこと(Pythonや量子など)について話した。その流れでUbuntuについて知っている知識を色々話し、「仕事ではUbuntuは使わないんですか?」という質問をした。そのときに「仕事では流石にねぇ」と言われた。当時、日本ではCentOS一強だったのは知っていたから、「そりゃそうだよなぁ」という思いだった。

その時ちょうど、クラウド草創期。KDEなどの仮想化技術が発達し、その数年後にはDocker誕生。そこらへんから風向きが変わって、いわゆるサーバー業者以外のところでUbuntuを使うケースが増え始めた。その後、徐々にではあるがUbuntuを使う流れが出てきた。そうしている中、数年前からCentOSのお家騒動。CentOSの代替OSが出てきてはいるものの、Ubuntuに移行する例が増えた。


僕が先見の明があったということを言いたいのではない。というか、絶対にない。Pythonも大学1年のときから使っていたけど、ただ使いやすかったから使っていただけ。Ubuntuも見た目が好きだったから使っていただけ。ただそれだけだが、結果としてUbuntuもPythonもとても使われている技術となっている。

ただ自分を少しだけ評価したいのは、人の話に流されてCentOSやRubyなどの言語に流れずに、自分の好きなものを選んでいてよかったと、ふと感じた。結果的にエンジニアは求められる技術を身につけることが求められるから、初めからやっていようが後からやろうが、それほどの差が出るものではない。

僕は天の邪鬼なので、多分人の意見を聞き入れられないのだろう。でもなんか、それが自分の好きな部分かもしれない。あまり自分のことを好きではないから。

流行り物もいずれ廃れる。今自分に影響ある人が言ったことも、時間が経てば変わる。変化を受け入れつつも、自分の好きなものを信じるのは大事なんじゃないかと、超絶疲れて体調が悪い中、思う。

フリーランスをしていますが病気で働けないことがあります。記事がなにか琴線に触れたら支援いただけるととてもうれしいです。