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【人間の教科書】 すべての意味付けはワタシがする。

(※この記事を読むと「幸せに生きる秘訣その2」が分かります)

よくスピリチュアル界隈で「あなたは創造者です。そのことを思い出してください」などと言われていますよね。

これって初めて聞いたときは「え、そうだったん? そうか、やったー。やれる気がしてきた!」みたいな意識の昂揚を感じる方が多いと思うのですが、ちょっと時間が経つと、

「で、あなたが創造者ってどういうことよ?」

って少し夢から醒めたような気持ちで思ったことないでしょうか。
僕はあります。

雲をつかむような話で分かったようでやっぱり分からないというか、なにかマヤカシにあったような気分になるというか、一瞬の昂揚に過ぎなかったのかと思ったり。

そういう中で「ありがとう習慣」を始め、ヌーソロジーにも触れる日々を送っていると、僕なりに見えてきたことがありました。

まず結論、「ありがとう習慣」は徐々にノスではなくヌースの働きの方を先手にする、ということです。
平たくいうなら「他人軸から自分軸に意識の位置を戻す」そういう働きがあるということです。

なんで「ありがとう」って言い続けるといいのか?って、そもそも謎ですよね。
僕も最初はよく分かりませんでした。
なんとなく良さそうってイメージは大体の人が抱けるとは思うのですが。

ただ、世間でそれだけ言われているなら何かあるのだろう、と思って僕は実践してみることにしました。

そういう中で、やはり意識の変容が起こってきました。
そして、それらがなんだったのかが(ヌーソロジーを学んだ甲斐もあってか)説明できるようになってきました。

「ありがとう」と言い続けると、徐々に世界観の主体が「本当の自己」に戻ってくるのです。
数値や実績で測られる客体世界に落ち込んだ自分、社会的な自分ではなくて、プライベートで主観的な自分、精神的な自分(これが「本当の自己」)の方に主体感覚が戻ってきます。

なぜなら「ありがとう」となにかに感謝を伝えることは、これは精神的かつ主観的な営みだからです。
数値とデータの客観世界から、主観世界に意識の主体が戻ってきます。

そして「幸せ」というのは、この主体感覚から生み出されているはずです。
だから意識が健やかになってくるのです。

これはヌーソロジーのことはまったく知らなくても「ありがとう習慣」を実践されている方なら分かるのではないかと思います。
あるいは「自分軸で生きる」を実践されて、その効果を実感されている方にもおそらく伝わるはずです。

僕たちの中には、実は二人の人間が住んでいます。

ひとりは「客観世界、他人軸の自分」、もうひとりは「主観世界、自分軸の自分」です。
ここでは分かりやすくするため「私」と「ワタシ」と区別してみることにしましょう。

僕たちは、この二人の人間を使い分けながら生きています。

生まれたての赤ん坊は「ワタシ」の意識だけで生きています。

しかし徐々に外の世界を認識し始め、両親や鏡を通じて自己の姿を発見することによって「私」としての意識を持っていきます。

そのうち他者から見た自分、見られている自分、世界側から規定される自分を頭の中にインプットしていきます。これが「私」です。

この「私」が主体となってしまっていると何かと苦難を感じやすい人生となります。
なぜなら常に世界の方に人生の意味付けをされているからです。

「お前は、試験で25点しか取れないのか?」
「いい年して、まだそんなことをしているのか?」
「皆が持っているものを、お前は持っていないのか?」

こういう調子です。
この「私」の責め苦から逃れたくて、めちゃくちゃ努力する人も中にはいます。こういう人はときに社会的成功を収めますが、

「これだけ年収があるのに全然幸せじゃない。上にはまだ上がいる」
とか
「みんなばかばっかりなのに、俺はすごい」と、いつも誰かとの比較でしか幸せを感じられない自分に疲れてしまったりします。

あるいは、やたらとマウントを取って他人の価値を下げることに必死になります。
誰かを下に沈めて自分が水面に這い上がらなければ自分が溺れてしまうからです。

そういう意味でマウントを取りたがる人は、本質的にもう不幸ですし、そのまま「私」に主体を乗っ取られた意識でいると、いつまでも本当の幸せを掴むことはないのです。

このように「私」の割合が高いと心は弱ってしまいます。

だからこそ意識的に「ワタシ」、つまり自分軸に人生の意味付けをバトンタッチしていく必要があります。

「ありがとう習慣」は、この入り口になりうるということを僕は感じました。
また、これらの意識の変容が自覚できたのは「ヌーソロジー」を学んでいたためでもあるかもしれません。

だから、あなたの人生の意味付けは今日から「ワタシ」にさせましょう。
自分の人生の意味付けは自分だけができるのです。

※必ずしも「私」が全て悪だというわけではありません。
「私」と「ワタシ」が一致協力しながらも出入り口だけは「ワタシ」を主体としていくことが重要なんだと思います。

この私とワタシの協力関係によって、自由で幸せな人生が自らの意思によって創造できてくるのです。

今日もお読み頂き、ありがとうございました!

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