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スピリチュアル童話【宇宙一つまらない男】

おらは通勤人が忙しく行き交う朝の駅構内でオッ死んだ。

にもかかわらず死後八時間、誰からも気づかれなかった。

おらは駅の地下道に立てたダンボールハウスの中で突如起こった心臓の痛みで逝ったんさ。

でも通行人から、おらの顔はずっと見えてたはずだ。

命を引き取る直前、おらは182秒、胸を押さえて苦しんだ。

少なくとも、おらが痛みに顔をゆがめる姿を少なくとも128人の人間が視界にとらえていたんさ。

でも誰ひとり足を止めるものはいなかった。

おらがあくびでもしているように見えたのか?

いや、そんなわけはねぇ。

ほとんどの人間は、おらの姿を確かに見たのに、3歩前進する頃にはその記憶を見事なまでに消し去った。

おらのような人間に朝っぱらからかまっているひまも、かまう義理もないってことさな。

わかるよ。痛いほど、わかる。

金がなくちゃあ満足に生きてはいけない世の中だ。

おらだって、そっちの人生だったらそうしてたろうよ。

だから誰ひとり恨みはしねぇ。

世の中そんなものだよなぁ。

しかし、おらが死んだっていうのに本当に誰も気がついてくれないもんだから、おらはさすがに自分が不憫になった。

それで仕方なく17時になって自分でフワフワ〜って漂って顔馴染みの警官を呼びに行ったんさ。

おらが耳元でささやくと、その若い警官は突如「警らに行って参ります!」と上官に言って交番を出た。

そして、おらがよく眠っていた駅の端くれまでやってくると、

「え……おっちゃん……まさか死んで……ないよな……?」

若い警官は、眠っているようにも見えるおらの身体をゆさぶろうとして、すでに体温が失われていることに気がついた。

この手の死には免疫があるようで、警官は落ち着いたまま上官へ連絡を入れて、それでおらの遺体はやっとこさ収容されたんさ。

「あのホームレス、以前も起こしたことがあったんです。顔立ちが自分の父親にも少し似てたんで気にかかってはいたんです。で、なぜか、虫の予感っていうんでしょうか。突然『あ、あの場所を見に行かなきゃ』って、そんな気がして行ってみたら、亡くなってるのを見つけてしまって」

虫の予感っていうのは、こういうことだったんだね。

おらも自分が死んでから初めて知ったよ。

「自分の親父じゃなくてよかったな。こんな混雑した駅の中で誰にも気づかれずに野垂れ死ぬなんて本当につまらない」

「……そうですね」

若い警官は一瞬、神妙な表情になったんさ。

それで充分だった。

ありがとう。おらの人生は報われた。

もちろん、おらの葬儀は行われなかった。

身元不明のおらは無縁仏になった。

おらには、もう肉親と呼べる人も仲間と呼べる人もいなかった。

本当は自分でこんなことを言いたくないけれど。

なんてつまらない人生だろう。

宇宙一つまらない。

あの警官の言葉におらは完全に同意する。

断言してもいい。

おらの人生に何ひとつ輝きはなかった。

富も名誉も恋も力も、なに一つなかったんさ。

あったのは悲しみと痛みと絶望、それから人間よりもオケラの方に感情移入してしまうような無力感だけだったなぁ。

何度、人から笑われ、嫌われ、罵倒され、じゃまもの扱いされたか分からない。

おらは徹底的に日陰者だった。はしくれだった。

夏場の路上でカラカラに干からびて朽ち果ててるミミズの破片みたいな人生だった。

大罪を働いていないことだけが唯一の美点だった。

でも本当にしょうもない盗みをして、罪の大きさに見合わないほどの怪我を負わされたことはあったけどねぇ。
それにしたって自業自得だからなんにも言えねぇ。

おら、なんで生まれてきたんかなぁ。

誰の役にも、何の役にも立たない人生だった。

それだけは胸を張って言える。

おらの存在意義ってなんなんさ?

人に優越感を与えるため?

人に嫌悪感って感情を抱かせるため?

でも、そんな人生なら生まれる意味はなかったなぁ。

天へ登りながら、そうぼやいていたら声が聞こえた。

「よくぞ帰ってきたな。どうだったかな? 宇宙一つまらない人生は」

そう言って出てきたのは、木の杖を持った白ひげの翁。

いかにも『神さま』って感じの好々爺だった。

「ええー? あんた誰? もしかして神さまってやつか?」

「いかにも、私が神さまじゃ」

「えー、あんたが神さまだって? いいや、信じらんねーな。おらをだまそうとしてる悪魔か何かじゃねーのか? 自慢じゃないけど、おら、だまされることについては人の千倍経験してきてっから、もうわかっちゃうんさ、そーいうんは、警察犬並に」

「ははは、たしかに、おぬしはだまされることについては比類ない才能を持っていた」

「じゃ、やっぱり、あんたは神さまに変装した悪魔さま? それとも、おらを地獄へ落とす閻魔さま?」

「さっきも言ったとおり、私こそ神さまじゃ。嘘偽りはない」

「ええー、でも、おらみたいなオケラもどきに神さまが会ってくださるなんて、どうしたって信じらんねーな」

「なにを言っておる。私はおぬしでもあるというのに」

「ん? 私はおぬし? 何を言ってるんだ、この神さまもどきは」

「神さまもどきではない。私が神さまだと言うておろうが」

「じゃ『私はおぬし』というのはなんなんだ?」

「言葉通りだ。私は神さまであり、そしておぬしじゃ」

「じゃ何か? おらが神さまだって言うのか?」

「いかにも。では今その記憶を目覚めさせてしんぜよう」

そして神さまもどきは両手を天に向かって高くかかげた。

そしたら雷鳴のような光が世界とおらを切り裂いた。

――死んだ……!!

もう死んでるはずなのに、おらはそんなことを思ってた。

それからこわごわと薄目を開けると。

――そこは荘厳な光だけの空間!

そして、すべてを悟った――おらは私で、神だった。

そう、正真正銘、おらが私で神だった!!!

そこで、もう一度、雷鳴が鳴った。

ふたたび目を開けると先程と同じ好々爺がおらの前にいた。

「ほ、本当におらが神さまだったんか!?」

「悟ったようだな。いかにも。おぬしは私。私はおぬしであり、そしておぬし以外のすべての人間であり、そしてすべての存在でもある。それが神さまというものじゃ」

「で、でも、かかかか神さまっていうのは人間や宇宙を作った、そういう、どえらい存在なんじゃ……?」

「どえらい存在といえば、そうかもしれない。そして同時に宇宙の全てであり、おぬしでもある」

「そんなばかなことあるわけねーべさ! おらはオケラもどきで! オケラもどきのおらが神さまだなんて絶対ねぇ!」

「こらこら、たった今、神と合一して自分が神さまだったことを思い出したばかりではないか」

「そ、それはそうなんだけども、でも、やっぱり信じらんねぇ! だって、そんなことは絶対絶対にありえねぇ!!」

「おぬしらの世界で『神』と呼ばれる概念は人間の都合がいいように歪められているからのぉ。混乱するのも無理はない。しかし、じきに分かる。神は宇宙のすべてであり、そしてすべてが神であるのだと。したがって、オケラもどきと自称するおぬしですら神さまだったということも」

おらが神? おらが神? 一体全体どういうことだ?

「思い出せ。どうしておぬしがおぬしになったかを」

思い出せだって? 何を思い出せっていうんだ?

――!!!!!

そのとき電撃が走って、おらはすべてを思い出す。

「そうだ。おらは神さまだった! でも神さまの世界は、願えば何でも叶ってしまう天国だ! それは極楽! 涅槃! ニルヴァーナだ!! すべての喜びがここにはあった!! でも唯一存在し得ないものがある!! それが――!!」

「そう、ここには何ひとつ『真実』がない」

「そう、ここではすべてが想像通りになってしまう。だから極楽を思えば、それは確かにそのとおりにすぐさま実現できてしまう。でも、それは……言ってみれば『偽物』だ。自分の思い描いた通りのことしか起こらない。それはつまり!」

「苦しみを味わおうとしても味わえないことを意味する」

「そう、苦しい思いをしてみたいと想像すれば、たしかに苦しい場面は巻き起こる。でも『これは苦しい、いやだ』と思った途端に、その苦しみは煙のように消えてしまう。そんな苦しみはとても苦しみとは言えない」

「だから私は、それが不満だった。だから私は、一切皆苦を味わいたかった!」

「そうだ! だから、おらは一切皆苦の人生を願った!」

「だから私は、おらとして物質界へ生まれ落ちたのだ!」

そうだった! おらは完全に思い出す!

おらの願いは、あの宇宙一つまらない男だったのだ!!

「だから私は、おらとしてその望みを叶えた!」

「そうだ! おらは叶えたんだ! あれほど素晴らしい人生はなかった!」

「ははは、やっと思い出したか! そうだ、あの『宇宙一つまらない男』の送った人生こそが最高の人生だった!!」

自分が神さまだったと思い出す前のおらが聞いたら、憤り、怒り狂い、あるいは理解に苦しむ言葉だろう。

あの『宇宙一つまらない人生』こそが『宇宙一おもしろい人生』だっただなんて一体、誰が信じられる!

「さて私は、つまり、おぬしは何一つ欠けることなく完璧に望みを叶えた。次はどうする? つまり輪廻転生の話だが」

そう、天界で自分の人生を振り返った神は、次なる人生を計画することになっている。

つまり、どんな存在として再度、物質界へ降り立つかを決めるのだ。

おらは、ひとしきり考えると、こう言った。

「……確かにおらは望みを叶えた。でも……」

「でも?」

「でも今、振り返ってみると、やっぱり、おらはあの世界でやり残したことがある」

「ほぉ、何か収穫があったということか?」

「神さま、おら、あの人生をもう一度生きたい」

「まったく同じ人生をもう一度生きたいとな?」

「そうだ。そんなこと可能か?」

「自分の胸に聞いてみろ。可能だと分かっているだろ?」

そう、たしかにおらは、それが可能だと分かってる。

まったく同じ人生をリプレイするのは、同じレコードをもう一度聞くのと同じくらい当然可能なことだった。

「しかし、なんでまた同じ人生をもう一度? そんなに、あの人生が気に入ったか?」

「最高の人生だった。でもふたつだけ変えたいことがある」

「ほぉ、ふたつ変えたいとな? それはなんだね?」

「ひとつは、気づくこと。あの人生の真っ只中で『どんな人生でも常に最高の人生なのだ』と気づくこと。おらは、それをやりそこねてしまった。もしそれが出来れば、もっともっと最高の人生だと言えるんじゃないかと思うんさ」

「ふむ、確かに、地球で一番の富と名声を得た上で『これぞ最高の人生だ』と思うより、それはよほど価値ある気づきだろう。あの『宇宙一つまらない人生』の中で、その気づきを得るからこそ、そこにより高度に有り難い価値がある」

「そう、だからそれをやるため、もう一度あの人生に戻りたい」

「実に素晴らしい。さすが私が考えるだけのことはある」

「そして、もうひとつの願い。それは」

おらは、自分が死んだあの駅を思った。

「おら、次は、あの駅の地下道では絶対、死なない。それで生還したら、そこから人生を立て直す。それで、ちゃんと一人で生活していけるようになったら、あの若い警官に話すんさ。『お前の父親は本当は生きてる……それはおらだって』」

「……そうだな。彼は幼い頃、父親は事故死したと聞かされた」

「なのに、あの子は写真でしか知らない父親を……ずっと心に思ってくれてた。出来ることなら会いたいと」

「そう、だからこそ彼は、実父との邂逅を図らずも最期の最期で引き寄せた」

けっきょく互いの素性を知らぬままの形だったが……。

やがて目の前の好々爺はうなずいた。

「よし、そうと決まったら、おらもう一発、生ってくる!」

「おぬしならやれる! おぬしは私なんだからな!」

「ありがとう神さま! そして、ありがとう、おら!」

おらは再び『宇宙一つまらない男』をリプレイすべく物質界へと旅立った。更なる最高の人生へと塗り替えるために。

待ってろよ、おら! きっと待ってろよ、立派な我が息子!

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