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意識の正体が解明できたので共有します

これは百日草に水やりしてたときに急にひらめいたアイディアです。
炙り出しのようにスルスルと浮かんできたので割と真理に肉薄できてるのではと思って書き留めました。
(近ごろ瞑想するのも関係しているかもしれない)

記事の後半部で意識の全容をコンパクトに紹介します。
人間の意識構造はもとより、動物・植物・鉱物・量子の意識とはどのようなものかについても具体的に説明します。

何かの役にも立つのかまったくわかりませんけど(新しい視座を獲得できる? 何かの手がかりになる?)それなりに辻褄は合ってる気がします。
(本当に解明できてるのかは知りません)

証明もできないので、いい加減な妄想を垂れ流していると思ってもらっても構いませんが、
意識とは何かを考えるのが好きな方は是非ぜひ。

別次元を想定しない限り意識の謎は解けない

意識について語るとき脳科学がどうたらと言っている人を見ると、まるっきりずれているようにしか思えない。

意識が脳と相互に影響しあっていることは確かだ。
しかし脳があるから意識があるのではない。
脳とはスマホやパソコンやテレビと同じでしょう。
では、なぜそんなことが言えるのか?

そもそも意識が三次元に存在しないのは明らかだ。
この三次元世界のどこを見渡しても意識は見えない。

在るのは確かなのに見えず、検出もできない。
確認できるのは意識の影だけ。

三次元世界の中に脳波や電気信号、あるいは他人のふるまいとして見えているのは意識そのものではなく意識の影です。

じゃ、意識はどこにあるのでしょう?

少なくとも三次元ではないどこかってことになりますわな。
(これほど明らかなことはない)

意識は三次元に重畳する別レイヤーにあるようだ。
この意識の存在位置を、ここでは高次元と表現しておこう。

高次元の存在を想定して意識を語ることは科学者の世界では「アホ」の烙印を押されることに等しいのだろう。
だから誰もそういうことを堂々と言わない。

また言ったところで実証できない。妄想にしか聞こえない。お金にもならない。得にならない。
「あの人はスピリチュアルに傾倒した残念な人だ」
と思われてしまうのがオチである。
だから誰も言いたがらない。

しかし僕は失うものなど無いので好き勝手に書いてしまおう。

意識は三次元に重畳する別レイヤーにあることは明らかです。
は?なんじゃそりゃ、と思っている場合ではありません。
まず何よりこれを前提に考えないと意識は解明できません。

天動説が常識の時代に地動説を唱えれば、さぞかしアホで珍奇な奴にしか見えなかったことでしょう。
しかし今日の非常識が、明日の常識を作ります。
そんな壁でモタつくのはつまらないので切り替えましょう。

意識の謎を解明するには、まず高次元の想定が必要。

意識は様々なパーツに分解できる

意識と言えば、まず人間が持っているこの意識。
ものを考えたり、文章を書くための発想をする、この意識。
これを誰もが意識だと考えます。

確かにそれも意識です。
しかしテレビがテレビという単一の素材で出来ているわけではないのと同様、人間の意識も多数の部品的な意識から構成されています。
その完成品が「人間の意識」です。

つまり意識を考えるためには、意識というテレビをパーツごとに分解してまず構造を理解しなければなりません。
そこで下図が、そのパーツ種別の一覧です。

【大分類】

◆顕在意識(個としての人間・能動的意識)
  └◆潜在意識(五臓六腑による受動的意識)
    └◆集合的無意識(全他者の意識)
      └◆高次元意識(更に上層の意識:物理法則)
        └◆根源叡智(一者:全体としての個)

※人間ひとりの顕在意識は潜在意識以下の多数の意識によって支えられている。
つまり一つの人間意識はピラミッド的階層構造を持つ。
顕在意識がピラミッドの頂点で、根源叡智がすべてを下支えしている底辺。下層ほど世界の土台です。

そして頂点たる顕在意識くらいが人間に自覚できる意識であって、それより下層にある意識は意識できない、無意識的な働きです。
(稀にチャネリングできたり、アカシックな記憶に接続できる人がいるようです)

つまり人間の存在そのものが内部に顕在意識としての私と、私のお世話をしてくれる無意識としてのあなたに分離しています。

これは、私の顕在意識を中心として、私以外の無数のあなたから構成される宇宙の在り方と相似です。

人間の意識とは宇宙の構造と同じです。
宇宙とは人間の相似的存在たる根源叡智の意識の反映だからでしょう。

平たく言えば、
人間の肉体は人体です。神の肉体は宇宙です。
双方その裏側にそれぞれの意識があります。
双方が別次元なので外側からは見えません。

【中分類】

◆顕在意識(個としての人間)※ここが人間の意識視点
  └能動的思考(自我・知性)
  └受動的感性(潜在意識からの働きかけの感受)

 └◆潜在意識(無時間意識)※動物(人間的自我は無い)
   └感情の生成(五臓六腑)
   └通常時間感覚の生成①(一方向に流れる時間)
   └記憶の生成②(凝縮された時間・無時間)
   └立体感覚の生成③(触覚・視覚等、環世界)

  └◆集合的無意識(全他者の意識)※植物(眠りと夢)
     └生体恒常性(ホメオスタシス)④
     └利他精神・他者意識との融和⑤
     └霊感・創造性(イデアへの接続)
     └成長・二元性(細胞分裂、ネゲントロピー)

    └◆高次元意識(更に上層の意識)※鉱物(土台)
      └物理法則⑥(デジタルな時空感覚)
      └イデア⑦(想起→感情のもと)
      └単一の働き⑧(生体恒常性の元)

        └◆根源叡智⑨(一者:全体としての個)
           └◆⑩人間の進化=根源叡智の進化

※この中分類に記された全要素が人間一人を構成する要素。
※人間は上層ほど意識でき、下層ほど意識できない。
※上層ほど自我・自由度が高く、下層ほど不変的な働き。
※上層ほど通常の一方向に流れる時間感覚、下層ほど時間と空間の自由度が高い。
※人間の進化が根源叡智の進化となり、それをもとに新たな人間が生まれ、宇宙は無限に広がっていく(⑩と①は円環状に繋がっており、⑩を経て①へと繋がる)      

人間とは、様々な意識種別の総体

上図のすべてが一人の人間にすべて備わっています。
つまり意識というテレビを分解すると、上図のようなパーツ意識から構成されているわけです。
タマネギの芯が人の顕在意識だとすれば、最も外側に位置して芯から遠いのが根源叡智だと思えばいいでしょう。

そして顕在意識が人間の意識の位置です。
そのため潜在意識や集合的無意識は人間視点からは意識することが難しかったりするわけです。
タマネギの芯はタマネギの皮の存在を想定することはできても見ることができないのと同じです。

近年では各臓器と感情の関係が取り沙汰されています。
これはつまり人間の脳や顕在意識から怒りや喜びという感情が生じているのではなく、各臓器が発した固有の感情を顕在意識が感知している、という構造です。

つまり感情はトップダウンではなくボトムアップです。

そのボトムアップの結果としての感情に対し、社長たるあなたがトップダウンたる自由意思として何か行動をとる⇒その結果たる感情が発生⇒更に行動、といったフィードバックを延々と繰り返すのが人間の意識活動です。
「私とあなた」の構造がここにもあります。

・動物の意識とは?

動物の意識の位置は、人間でいう潜在意識の箇所です。
そのために動物は人間ほどの自我や知性を持っていません。
しかし感情はあります。
感情的な人を動物的と言ったりするのは、このためです。

・昆虫や魚類の意識とは?

上図には未記載ですが昆虫や魚類の意識とは、この動物と植物の中間あたりに位置しています。
彼らには人間や動物ほどの個体意識や自我はなく、群体意識主体で生きています。
つまり個より全体を尊ぶ意識です。
そのため個体の死に執着しません。個が犠牲となって群体としての種が守られることが昆虫にとっての喜びです。

この昆虫的な「群体」意識の顕れは奇しくも人間界では「軍隊」という形で顕れています。
軍隊では個の意識は歓迎されず、規律と統制のもと全体のために行動することが望まれます。

(軍隊=昆虫だから程度が低いとか言いたいのではありませんので誤解なきよう。人間自体が全存在の総体なので、その結果、昆虫的意識も人間は有していると言いたいだけです。もちろん群体意識はチームワークのもとなので、団体スポーツや組織活動においては人間社会でも必要不可欠です)

・植物の意識とは?

植物の意識は、人間でいうところの集合的無意識の箇所にあります。
ここは夢と眠りの意識です。
人間においては睡眠時に、この植物的意識を夢として体感します。
寝たきりで無意識的になった人を「植物人間」と呼んで違和感がないのは、植物が夢と眠りの意識だからです。

つまり植物は、ほぼ常に夢を見ているような意識感覚です。
ここには人間のような時間感覚がありません。
自由意志も抑制されていて、さほど効きません。
それでも人間が夢を見ているときと同様に何も問題ないのが植物の意識です。

彼らは人間のような動く自由を持っていませんが、ひとつの植物に多数の実や花や葉がなることに象徴されるように精神の位置と時間の自由度を持っています。
植物は、あらゆる生物のあらゆる夢を見ています。
人間のように一方向に流れる時間の中を生きていません。
いつでも今、どこでもここを生きているのが植物です。
これは霊界で過ごす意識体の物質界への顕れでもあるかもしれません。

・鉱物の意識とは?

鉱物の意識は「単一的な働き」です。
元素の意識は、ここに該当するといってもよいでしょう。
自由度や人間的な自我は、ほぼ持っていません。
その代わり強固な一定性・不変性を有しており、文字通り世界の土台を成しています。

つまり鉄はいつでも鉄の性質を、水はいつでも水の性質を示します。

鉱物とは、再現性の高い物理法則や性質というイデアが物質的に顕現した姿です。

しかし「ありがとう」と声をかけると、綺麗な結晶ができる現象からも分かるように、感情や思考と完全に無縁なわけではありません。
自我の自由度を欲せず完全なる奉仕の心を備えた覚者のような意識を持つのが鉱物です。

・量子の意識とは?

量子は、この鉱物の位置とほぼ同等でしょう。
量子ひとつが持つ意識とは不変的な単一の働きです。
もちろん量子は時間に対して大きな自由度を持っています。
そのため粒と波の性質を兼ね備えているわけです。
波の状態のとき量子は可能性の波としてあらゆる箇所に存在しています。これは人間的な時間を超越した姿です。

量子とは高次元と三次元世界の両義的存在です。
粒の状態、つまり波動関数の収縮とは高次元存在が三次元世界へ降下した姿をとらえています。

おそらく古事記に記されるイザナギとイザナミの産霊(神産み・国産み)とは、この波動関数の収縮のことです。
産霊によって様々な神々が産まれていくさまは原子と分子のつながりをなぞらえているのではないでしょうか。

なぜ原子の存在を知らない太古の人がそのような伝承を記述できたか? 
それは高次元意識からイザナギとイザナミの神話を賜ったからでしょう。要するにチャネリング現象のようなことがあったということです。
(人間が上図下層にある高次元意識にアクセスできることをチャネリングと呼ぶのでしょう)

世界中の神話における神々とは、この様々な量子の働きを神として擬人化して語っているケースが多いように思えます。

ちなみに光速度は一定ではなかったという話がありますが
これは光子を含め、あらゆるものが思考や感情を持っていると考えれば、何の不思議もありません。
(光子の顕在意識は上図でいえば根源叡智の直上あたりです)

人間には意識があるのに植物や鉱物や量子は意識を持っていないと考える人がいますが、それは見た目も違えば脳も無いのだから人間が持っている顕在意識と同様の意識は無いだろうという、ほとんど無意識の思い込みではないでしょうか。
しかし意識の所在が三次元ではないことと、意識に種別があることをふまえれば、むしろ万物に意識があるとみなす方が自然であることが分かるでしょう。
意識はすべての出発点です。その出発点に対する正しい認識がなければ、全ての理解がズレてしまいます。

・根源叡智の意識とは?

そして最後に根源叡智ですが、これは分かりやすく言えば、宇宙全体を個とした意識です。神といってもよいでしょう。

正確には、この根源叡智の直下に宇宙のあらゆる法則を定めた意識体(神々)が存在しているものかと思います。
それらの総体が根源叡智なのでしょう。

そして人間こそ、根源叡智にとっての鏡です。
根源叡智が自らを知るために創造したアバターです。

そして動物も植物も鉱物も、それは人間あるいは根源叡智の部分的な顕れです。
我々は肉を食べ、野菜を食べ、血液の赤は鉄分です。
人間の中に既にあらゆる存在が融合しています。
人間は、あらゆる存在を含み持った、ひとつの宇宙です。

だから様々な意識の総体たる人間は、宇宙そのものたる根源叡智の意識と相似的な構造を持っているわけです。
このちっぽけな人間こそ実は宇宙の中心的視座なのです。

人間の死とは?

人間の意識の正体とは、脳から発生した三次元的現象ではなく、物質界の肉体に接続した高次元に属する意識です。
そのため死後、肉体が朽ちても意識は継続します
三次元世界との断絶が死であり、それは意識の消滅を意味しません。
三次元で人間として生きていた意識が高次元に帰っていく営みが死であり、それが霊と呼ばれているものです。

物質とは何か?

物質とは三次元世界における高次元意識の顕現です。
平たく言えば物質とはディスプレイに描像されたCGであり、精神とはそのCGのもとになったプログラムです。

見えないもの、想像したものを実際に見えるようにしたかったから物質が創造されました。

そして物質とは全て量子の波動の差異です。
その波動の差異とは高次元側でそれぞれ意図をもって規定された結果であって、つまりその大元にあるのはイデアです。

それゆえ、あらゆる物質から高次元を逆算可能です。
なぜなら、あらゆる物質が意識の顕現だからです。

例えば、好きな人に告白したいという精神があったとします。ただ「好きです」と伝えても伝わるわけですが、よりその気持ちを確かなものとして示したければ、人はチョコレートを手作りします。

つまり「手作りチョコ」という物質は、
「あなたが好き」という精神の顕現です。
物質とは常に「精神の顕現」として存在します。

では太古の世界、自然の中に咲いていたソメイヨシノとは何でしょう?
これも、手作りチョコと同じです。
根源叡智ないし高次元の神々は、はかなき美なるイデアを欲しました。
そんな想像の顕現として創造されたのが桜です。

人間は桜の散る姿に、はかない美を見出します。
誰でもそうです。
桜を見て誰もが美しいと思えるのは、無意識的に美のイデアを想起するからです。
はかなき美の顕現として桜を創造した際の記憶を想起するからこそ、そこにはかなさを感受します。
このとき人間の意識は高次元に接続されています。

もし桜を見てもなんとも思わない人がいたら、それは単に後天的記憶によって美の感受を妨げられているのでしょう。
(例えば幼少期、親と不仲で自分だけお花見に行けなかったという悲しい記憶と桜がつながっているため、その悲しさをリフレインしないために感情が麻痺している等)

芸術とはイデアを想起させる装置です。
だから優れた芸術は人の心を打つのです。

美味しいと感じるもの、恐怖を覚えるもの、楽しい音楽、悲しい音楽、あるいは動物を見て楽しそうだとか悲しそうだとか誰でも大体分かってしまうのも、すべて裏側にイデアの想起が関与するためです。
普遍的な感性が人間には備わっています。
その普遍性の元がイデアです。

だからイデアを想起させる人は「神」だと称賛されます。

神としてイデアを創造した際のことを想起させてくれるから神と称賛されるのです。
イデアがなければ普遍性は生まれません。
したがって普遍性の実在は神の実在の足跡です。

まとめ

神とは根源叡智のことで、それは意識です。
そして人間の意識とは根源叡智なる意識の一部です。

根源叡智が全人類の意識を含む全宇宙のことならば、
人間とは全細胞の意識を含む人体なる宇宙です。

あなたは、あなたの肉体の働きである生体恒常性という「意識」が働き、庇護されている存在です。
意識とは、およそ「働き」です。
働きには複雑なものもあれば単純なものもあるでしょう。
唯物論ではこの働きを性質と呼んだりもします。
この性質は不変のものとされており、この不変であることが科学の土台となっています。

しかし光速さえも歴史上、必ずしも一定ではありません。
それは観測の誤差と思われたり、原因不明としていつの間にか忘れ去られていきます。
ここに科学が見落としているものが存在します。

ほとんど不変の光子ですら時として不変ではありません。
それは、そこに光子なりの意識があり、思考や感情を伴う存在だからです。
「性質という働き」なのではなく、すべてが「意識という働き」であるのです。
「ほぼ不変の働き」人間の顕在意識とは異なるそんな類の意識が「性質」に見誤られているだけです。

となれば、この世界は、すべてが意識から構成されていることになります。

宇宙が全ての器となり、太陽はあたたかさを放ち、月は潮の満ち欠けを作り、海を循環させ、天候が生まれ、動物や植物が育ち、生きる者がそれを食べ、体内で生体恒常性が働き、生命が存続されます。

すべてが生命を庇護するという、ひとつの意識の中で流動していることが分かるでしょう。

これを偶然と考えるのが唯物論、
ここにひとつの意識が働いていると考えるのが汎神論です。


意識という見えないものが確かに存在していることを目の前の他人に対してなら誰でも認めているのに、
その対象が宇宙全体に拡大してしまうと、とたんに認められなくなってしまうのはダブルスタンダードなのではないですか?

意識は脳から発生していません。
意識は物質存在に先立つものです。
だから高次元という見えないものを想定しなければ意識の謎はどこまでいっても解けません。

ひとつの宇宙である人間それ自体もまた宇宙の子供です。
あらゆる意識に庇護される神の子です。
そして人間もまた他者に影響を及ぼし、愛を捧げ、宇宙を進化させていきます。
その意味で人間は宇宙の細胞でもあります。

長年連れ添った大切な人はいますか?
そういう人は、もはや自分の半身同然ではないですか?
今の自分の意識の在りようは、パートナーの存在によって今の状態になっているのではないですか?

つまり私の意識は、あなたの意識と混ざりあって私の意識たりえています
コーヒーとミルクが出会ってカフェラテになるように。
カレーとご飯が出会ってカレーライスになるように。

自分が今ここに、このような意識として存在していることを支えているのは、実はあらゆる存在の意識です。

意識は海です。この宇宙全体が広大な意識の海なのです。

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