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『人間の教科書』感謝と直感のススメ【なんか知らんけどうまくいく】

今日は結論「感謝しつつ、ノリと直感で動くと、なんか知らんけどうまくいくっぽいよ」という話です。

旅行から帰ってきた後の木曜日のことです。

うちの子、ひさしぶりの学校だったせいか、朝ちょっと「うぅう…」ってなりました。
泣きはしなかったんですけど、ちょっと危うい感じがありましたので、

「あ、ブラックサンダー食べる?」って聞いたら、

「…………(こくん)」
うちの子、うなずきましてブラックサンダーをあげたら、うれしそうにモグモグ食べ始めましてその後、調子があがっていきました。

ほ、助かった。。。

なぜブラックサンダーがあったかというと、旅行の最中にみんなに配るように買ったまま忘れていたんです。
ブラックサンダーがあってくれて助かりました。
ブラックサンダーありがとう。君は我が家の救世主です。

うちの子が学校に行った後、ぼくは奥さんに「コーヒーでも飲みに行こうよ」と思いつきでいいました。
奥さんも少し考えたけど「オッケー、行こう」

で行きましたら、

「困ったな〜。わたあめって、どっかに売ってる?」
「え、わたあめなんて夏祭り以外で売ってなくない?」
「いや、そこのモールにあったんだけど、最近ずっと入荷されてないんだよね。困ったな」

うちの子が学校に行く間際、こんなことを言ったそうです。

「給食食べてくるから、わたあめ買っておいて」

で、これ買ってないと泣いたりするんですって。

「やー、そんなんほっとけば」とも思った。
そんなことでヘーコラするの甘やかしじゃないのと。

とはいえ、まぁ、わたあめなんて高いものでもないし、ぼくらもこうして朝からコーヒー飲みに来た上、ドーナツまで食べてるし、ぽんと手に入るならもちろん用意しておいてあげたいとは思う。

すぐそこにショッピングモールが会ったので見に行ってみることにした。
唯一、わたあめがあるお菓子コーナーにやっぱりなかった。
お店の人に聞いても入荷予定は未定だと。

「あ、あの輸入食品とかあるコーナーは?」
「海外製のわたあめか。あるかも。行ってみよう」

行ってみたけど、やっぱり無い。
そしたら奥さん、偶然お友だちと遭遇した。

「ねー、わたあめ売ってる場所、知らない?」
「え、このへんにないよね」

けっきょく「このへんにわたあめはない」ということだけが確定的になって僕らは家に戻った。

そしたら1時間後、奥さんにお友だちから電話が入った。

「わたあめ、いま目の前にあるんだけど買う?」
「ええええー!? お願いします」

なんでも隣町まで用事があって行ったらしい。
そこで、わたあめを見つけたそうで。
しかも、そのお友だち、どうせ通り道だからと家までわたあめを持ってきてくれた。
ぼくらは、もう恐縮しまくってもちろん代金とお返しの品を渡し、感謝してその奇跡のわたあめを受け取った。

「うへぇ…なんか知らんけど、わたあめ手に入っちゃった」
「うーん、なんか最近のぼくら、どうかしてるね」
「うん…スタンド能力が強すぎる。。。」
「守護霊さんの世界、総動員で用意してくれたんじゃね? おじいちゃん、ありがとう、みんなありがとう」

こんな感じで、なんか知らんけど、わたあめが奇跡的に手に入ったのでした。

もちろん、うちの子には「きょうはめちゃくちゃ運が良くて手に入ったけど、いつもいつもこうじゃないからな。なくても、それでブーたれたり不機嫌になったりするもんじゃないぞ」と教え諭して、そのわたあめをあげました。

まぁ、偶然運が良かったんだね、と言えばそれでおしまいの話です。

でも前回の記事をお読みいただいた方なら分かると思いますが、ぼくら今、運が良すぎるので、ちょっとこれは普通じゃないぞ、なんかあるぞと思っています。

じゃ、なんかあるとしてそれはなんだろうと考えてみると、
「感謝と直感」
これがキーワードかなと思っています。

だいたい旅行日に運良くイベントが開催されることになったのも、そもそも直感で宿を決めたためでした。

僕は元来、財布の紐が固いタイプでして、そんなふうにいくらかかるのかも確かめずにズバーンと決めてしまうことは、ほとんど皆無の人間です。

でもそのときだけは、なんか知らんけど

「もう今とらなきゃ、いつ行けるかわからない。だから今とっちまえばいいんだー!」

と後先考えずに予約を取りました。

また、このわたあめ事件の朝も
「なんか知らんけどコーヒー飲みたいな。よーし、仕事前にコーヒーいっぱい飲むくらいの時間あるだろう。コーヒー飲みに行こう!」
と、そう思って行ったのです。

更にコーヒー飲んだ後、一度家に戻りかけたのです。
でもそのとき「あ、モールにわたあめあるか気になるな。見たかったな。ねぇ、やっぱり見に行こうよ」と奥さんに言って戻ったのでした。
その結果、奥さんはお友だちとバッタリ会いました。

節目節目の直感がもう抜群の結果を生んでいるんですよね。

そう考えると、この直感って、もしかして
「単なるひらめき、思いつき」
なのではないんじゃないかと。

ちょっと適切な表現がわからないんですけど、
そうですね。ご先祖様が守護霊として僕についているとしたら、ぼくの耳元でささやくわけです。

「ほら、そっちじゃないよ。いまコーヒー飲みに行って、それからわたあめがあるかをモールへ確かめに行くんだよ」などと。

ぼくは今まで、これらの思考をあたかも「自分の頭で考えたこと」のようにみなしていたわけですが、ことこうなってくると、そうじゃないのではないか?

直感の正体って「自分の思考」ではなくて、そういう守護霊さんのささやきなのでは?と思うわけです。
(映画『フィールド・オブ・ドリームス』みたいな感じ?)

感謝してると、守護霊さんが支援してくれます。
だから直感が冴えます。
そして願望が叶います。

こう考えると、ものすごく筋が通りますよね。
もし守護霊の存在を想定するなら、合理的です。

で、このときぼくは気が付きました。

ぼくらが我が子のために、わたあめを用意してやろうとしている、その悪戦苦闘を学校にいる我が子は知りません。

それと同じように、ぼくらを我が子とみなすご先祖様(守護霊さん?)も、ぼくらがわたあめをゲットできるように、裏側の世界で悪戦苦闘してくれているのではないかと。

もちろん現世にいる僕らにその悪戦苦闘はわからないわけですが。

そう考えたら、めちゃくちゃ辻褄あいますよね。
世界がフラクタルにできていることから類推しても合理的ですよね。

で、この願望というのも、何でもかんでも叶うわけじゃないと思うんです。
世界と調和が取れる願いだけが叶います。

例えば、ぼくらの旅行は、ぼくらの願望通り「ずっと晴天」だったわけじゃありません。

それは「ずっと晴天」だったらかえって暑すぎてへばっただろうことを見越して調整してくれたからかなと思います。
まるで炎天下なのに帽子いらないと言ってる子供に無理やり帽子をかぶせてくれたかのように。

そしてもちろん世界は僕らの都合だけでは出来ていません。雨を望んでいる農家の方だっているでしょう。そういう調和がとれるように、ぼくらが外に出たときだけは一瞬晴れる、でも屋内に入ったらまた雨が降る、みたいな、みんながハッピーになれるような調和が計られてるのかなー、なんて思ったりしました。

最近、僕は何かことがあるたびに「奇跡だ奇跡だ」と大騒ぎしているわけですが以前だったら「なんか偶然うまくいったな」とか「外出たときだけは晴れたけど、ずっと晴れてたらいいのに。ちぇ」などと解釈していたことを、今では感謝をベースにした頭になっているがため色んなことが奇跡に見えてしまうし、感謝できてしまう(というか、あらゆることが奇跡で感謝に値することだったのが正しい実像だったのだ、ともはや思っているのですけど)と、そういうことなのかなとも思っています。
視点が変わった、といいますか。

で、具体的に状況が変わるってことよりも、けっきょく「視点が変わる」ってことが実はゴールだったんじゃないかなとも。
みんな、疫病や戦争がある同じ世界を生きてるわけです。

でもそういう中で「楽しい楽しい」と言ってる人もいれば「いやだいやだ」と言ってる人もいるわけです。

それはもうどこにフォーカスしてるかの違いでしかないんじゃないかなと(いや、まぁそう言い切ってしまうのは暴論かなぁ。でも楽しいところにフォーカスを当て始めると実際に体感や実際の状況も塗り替わっていってしまう気がするんですよねー。いや、うん暴論かもしれない。このあたりまた気づきがあれば別途)。

はい、というわけで「感謝しながらノリと直感で生きてると、なんか知らんけどうまくいくっぽいよ」という話でした。

今日もありがとうございます!

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