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155冊目:家族が片付けられない/井上能理子

こんばんは、Umenogummiです。

今日は掃除と家族の問題に切り込んだ、こちらのコミックエッセイです。



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家族が片付けられない/井上能理子 作



ライターである著者はうつの一歩手前と診断され、母親に諭され東京で一人暮らししていた家を引き払い、実家へ戻ることにします。
しかし戻った実家は足の踏み場がないほど物が散乱し、ルーフバルコニーにまでゴミがあふれたゴミ屋敷と化していました。

現在著者の母は営業職、妹はアパレル店員、末弟はコンビニ店員とそれぞれが一応社会人として自立しているものの、物は出しっぱなし、片づけない、ごみを捨てられない「片づけられない人たち」となっていました。

うつもそっちのけで、掃除好きの著者はゴミ屋敷を片づけ始めます。様々な制約の中で、掃除道具+手という力業で家中をきれいにしていく著者。しかし、いざ家の中がきれいになっても家族はそれを維持する気はないようでした。


仕事で著者が数日家を空けただけで、家は再び汚くなっており、著者は母親にキレ、母親は泣き出してしまいます。その時著者は「母親と自分は他人で、違う人間」と悟ります。

さらに家がきれいになったことで次々に家族の問題が浮き彫りになります。きれいでもこの家では心が休まらないと著者が感じていた時、長期出張の仕事を持ち掛けられ、久々の一人での暮らしに羽を伸ばします。その仕事の中で著者は様々な家を訪問したことで、自分の家はきれいだが落ち着けない要因を考察しています。


あとがきで著者は、散らかった家に対して「片づけさえすれば万事解決」とは思えなくなったが、どうすればいいのかは答えが出ていない、と語っています。
この本に描かれていることは、おそらく片づけに悩むどの家にも言えることなのではないのでしょうか。本屋に行けば、片づけ本がこれでもか、と溢れています。多くの人が、きれいで片づいた家に住みたいと思っている証拠でしょう。

自分がコントロールできるのは自分だけなので、片づけができない他人(たとえ家族だとしても)をコントロールはできません。自分がいくら家をきれいにしたいと思っていても、誰か一人でもそうは思わないとしたら、どこか居心地が悪くなってしまう。ならばどうするか。どこかで折り合いをつけ、許容するか、諦めるか、逃げるか。いずれにしてもそれを決める権利は自分にあります。


片づけ、そして家族との関係に悩む全ての人にお勧めの本です。

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