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心ととのえる銭湯

最近なんだか体が重い。
1日ゆっくりした休み明けもこの感じが続いている。きっと少し疲れているんだと思う。

今年の初めにアルバイトからの正社員登用を果たし、新しい環境で働き始めた。仕事の内容はこれまでしてきたことと変わらないし、好きな仕事で正社員として働ける喜びを噛み締めていた。新入社員研修だったり、勉強の機会もたくさんもらえて、モチベーションも高く、側から見たらかなりキラキラしていたと思う。

ただ少し働いて分かった。仕事の内容は変わらない、なんて嘘。アルバイトのときには感じなくても良かった責任感や重圧が一気に降りかかってきた。わたしはかなり浮かれていたみたいで、その自覚と責任感を自分に植え付けるのにも時間がかかって、毎日自分の力不足に嫌気がさす出来事ばかり。

目をキラキラ輝かせて「一緒に働いている人が自分らしさを活かせる環境を作りたい」と語っていた数ヶ月前のわたしは、本人が1番自分らしさを失っている気がした。



今日もベットの上で気がついたら16時であることを確認した。

今日の休みは何もできないことは昨日のわたしの夜の様子で察していたのでショックではなかったが、とりあえずこのモヤっと感をどうにかさせたいとは思った。

銭湯に行きますか!

そう頭の中で唱えたらそれだけで心がちょっと弾んだ。それくらい私の中で「ととのえる場所としての銭湯」が確立している。

家から徒歩5分、自転車に乗れば1分の場所にある銭湯。ここに住んで3年経つので、その頃からたまに行っている。ただ、半年ちょっと前くらいから私の中で銭湯ブームが到来してスパンが急激に増えている。

直近で行ったのが1ヶ月前。夫婦で営んでいる銭湯で、おじちゃんが体調を崩してしまったようで最近まで長いお休みだった。営業が再開しているのをふと思い出して、早くまた行きたいなあと思っていたところだった。

なぜ私がこんなに銭湯を特別な場所にしているかの補足なのだが、私の住んでいるシェアハウスは、湯船がなくシャワールームのみ。お風呂に日常的に入ることができないからこそ、あの湯船に浸かったときのじんわりと体を包んでくれる温かみに対して、日頃お風呂に浸かっている人の何倍も喜びを感じているのだと思う。




ささっと道具を持って自転車に乗る。

17時から営業開始なのだが、実はこの開始直後が1番賑わっている。賑わっているといっても女風呂に4.5人いる程度なので気になるほどでもない。21時ごろに行ったことも何度かあるが、夜だとほぼ貸切状態だったりする。葛飾区民の1日の締めは早い。

土日のみで露天風呂もあって、その週ごとの入浴剤のお風呂や、季節によっては柚子湯をやっていたりする。さっきおばちゃんに聞いたのだが、銭湯組合のイベントで今月は区内の銭湯が一斉にスパイスコーラ風呂になる日があるらしい。何それ、ちょっと気になる。

おばちゃんにこんばんはーと挨拶をして券売機で入浴券を買う。最初の方は入るなり「髪留め持ってる?シャンプー持ってきた?貸せるのもあるけど」とか色々心配されたものだが、もう定期で来るやつと認知をしてもらえて笑顔でささっと券だけ回収してくれる。

銭湯という場所に初めて行ったのは、5年前東京に越してきたその日の夜だった。就職で静岡から越してきて、まだ電気が開通してなかったので近所の銭湯に初めて行った。

その時の1番の衝撃は、シャワーが壁から取れないこととやけにお湯が熱々なこと。

シャワーは何軒か銭湯に行ったことがあるがどこもこの固定スタイルだった気がする。私はいまだにその使い方に慣れなくて、桶にお湯を溜めてジャーっと一気に流すスタイルを採用している。

そしてお湯の温度、私がここを行きつけにした理由のひとつだが、38度でとても入りやすい設定温度にしてくれている。葛飾区の他の銭湯は40度を超えているところが多い。すぐにのぼせてしまうのでゆっくり入れなくて悔しいのだけれどここなら安心。

体を洗ってお湯に入ると、一気にじんわりと全身の血流が流れて心臓の音が早くなる。深呼吸をするとちょっと収まるので深く体を湯船に沈める。

本当に気持ちがいい。
あったかくて、優しい。

お湯に浸かるって人間がちゃんと生きるために欠かせないと思う。みんなは当たり前になってこの感覚を失ってないかい。私は声を大にして主張するよ、みんな、ちゃんとお湯に浸かるんだよ。

ゆっくり温まる私の視線の先には、銭湯の定番、富士山はそびえ立っていない。ここは全体が白基調のスーパ銭湯風の内観である。富士山を眺めながら入るのもいいけれど、これだけ白い方が余分な感情が湧かないものだ。






最近、自分を責めすぎていたなと、ふと思った。

確かに知識もスキルも低くて、できないことや知らないことが多すぎる。他の同じ役職の人と比べると結構なへなちょこだ。

でも私の会社はすごく人を見てくれるところがあり、私は数ヶ月前、ありのままの本心をぶつけたアツい面接を経て入社した。私という人間の話をしっかり聞いて、理解してくれて、思いに共感してくれ、私という人間がここで何か役に立てることがあると評価をしてくれたのだ。それは紛れもない事実だと思う。

丁寧な性格ではないので仕事の抜けもれも多いし、成長スピードも早い方ではない。論理的に考えて分析するのも苦手だし、マルチタスクも得意じゃない。

全部必要なスキルだけど全然持っていない。
でもここで働いて!って会社から言ってもらえた。
その働いてほしい!って思ってもらえた私の良さを全く見失っていた。

できないことばかりに目を向けて、できることもおざなりになってしまっていた気がする。もう子供ではないから他人に評価されて自らの自信を保つのではなくて、いつだって自分が1番自分を認めてあげないと、そう湯船のなかでぼんやり思った。

これ数年前も同じようなことを考えていたような気がするな。忙しくて、目の前のことしか見えなくなってしまうと過去に気がついた学びでさえ忘れてしまうのか。そんなのもったいない。危うくまたスタートラインに戻るところだった。






ぽかぽかに温まって、自分の魂がしっかり自分に戻ってきた気がした。
少しのぼせそうだったので一度水風呂の方に向かい、立ったまま足だけ浸かってみた。

熱くなった体がちょうどいいラインまで冷めて、またお湯に戻る。このルーティンはよくやる。サウナに入ったことはないのだけれど、サウナーもよく同じようなことをやっている気がするからお風呂のみの時でもこれをやるのは間違っていない気がしている。

そんなことを繰り返していたらここに足を踏み入れた時の私と体の重さが全く違うように感じた。心の何層にも重なったよごれも洗い流せたみたいだ。




休憩所の方に戻ると、おばちゃんに「やけに長かったじゃんのぼせてない?」と言われた。「今日はゆっくりしちゃいました!」と答えながら券売機でビールの小を購入する。

私が券売機に向かった時点でおばちゃんはグラスを手に取ってビールを注ぎ初めてくれていて、振り返るとすぐに提供してくれる。おつまみには柿ピーか濡れおかきを選べるが私は柿ピー派で、おばちゃんはそれも覚えていてくれてサッと添えてくれる。テンポが良すぎて感動してしまう。

そう、ここは樽生ビールが飲める銭湯なのだ。
しかもこのビールがとびきりに美味い。

美味い、というところをもう少し説明したいのだが、お湯に浸かって温まった体に冷えたビールを注ぎ込むという最高のシュチュエーションであることを加味しても、ここのビールはべらぼうに美味い。そして自慢ではないが私は生粋のビールオタクであり週6.7でビールを摂取しているビールの味の違いが意外と分かってしまう女である。

おばちゃんに以前その感動を伝えたところ、ビールの味にはかなりこだわっているらしい。サーバーの洗浄を細かいところの分解清掃まで毎日やっているらしく、それが味を左右するのだとか。

この広い銭湯を夫婦2人、最近はおじちゃんの体調が治るまでおばちゃん1人で切り盛りしていることを考えると、湯船の清掃作業もかなり時間がかかるのではないか。なのに、銭湯においてはあくまでおまけポジションのビールをも最高のものを提供しようとしてくれるおばちゃんはすごすぎる。

仕事というのは細部の地味な作業をいかに丁寧に行うのかが、やがて大きな成果を生み出すきっかけに繋がる。そんなことを、この銭湯で過ごしながら、この最高のビールを飲みながらいつも感じる。




1人の休憩所でゆっくりビールを飲んでいるとおばちゃんが窓の外を見て「やだ、インコ飛んでっちゃった!」と言った。

近くに住んでいるバングラデシュのお客さんがインコを飼っていて、たまに店の前でインコを肩に乗せて一緒に散歩しているらしい。前に「飛ばないの?大丈夫?」とおばちゃんが聞いたら大丈夫!と言っていたようだがまさに今インコは飛んでいってしまっている。焦って全速力でインコを追いかけるバングラデシュのお兄さんの残像だけ見えた。

そもそもインコと散歩って初めて聞いたけど。

追い付いたかな?一緒にお家に帰れているといいけど、とおばちゃんと会話する。

こんな風に風呂上がりはおばちゃんとなんでもない会話をする。たまに仕事終わりに風呂に入って疲れ切っている顔をしているときには「大丈夫ー?笑ってた方が可愛いよ!」とか言ってくれて泣きそうになったりもする。



私はこの銭湯にいる時間でなんとか体も心もととのえて、明日もまあ頑張るかと思えるのである。自分を認めて優しく労わることができて、明日に向けて前向きな気持ちにさせてくれる場所だ。

今日は雨が降っていたのでじめっとしている暑さがあるが、風呂上がりの外の空気は涼しかった。帰ってもう一杯ビール飲んじゃおうかな、いい休みだ。



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