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リアルな場の価値は変わらない

リアルな場の価値は変わらない。

変わらないどころか、これまで以上にリアルな場の価値は高まる。

なんてことはうそで、いやうそっていう訳でもなくて、全国民のリモートリテラシーが高まったことでリアルな場の価値がゼロになってしまう世界がくるかもしれないし、

何もなかったようにこれまで通りに戻るかもしれない。


1つだけわかっていることは、誰も未来は分からないということ。

ただし、未来が分からなくたって、そこに「ありたい姿」像とそこへ向かう意思があれば誰だって何にだってなれる。

未来はこうなるなんて大層なことは言えないけれども、ありたい姿になるために背中を押す人でありたい。


未来を危惧して憂鬱になったり、不要不急の危機感に襲われて不安にならなくていい。

ありたい姿を描けないことに危機感を持てていれば、大丈夫。

ありたい姿を描けないなら、そのくらいはお手伝いさせて欲しい。


ライブやイベントのような一回性という価値が生み出す熱狂、

自然に包まれたチルい空気感、

初めて降り立つ国で空港の外に出た瞬間のムワッとして土埃の匂い、

小耳に挟んだ会話から刺激された食欲、

天候に左右されるという不便や不運が、愛おしい。


座右の銘は「ハプニングを楽しむ」なんだし。

私にとってのリアルの場の価値はそういったものであって、インスピレーションの栄養素なのだから、血肉を作り出すものの成分には、突然パラダイムシフトは起こらない。


“議論”なるものや机上の空論の類には、もう飽きた。

どうやら正論らしきものを頭の中でぐるぐる回すより、不確かかもしれないけれどもスモールスタートでいいからアクションしていく道を私は信じる。


結局は、なにを語るかじゃなくて、誰が語るかだと思っているし。

誰かと相違していることは罪じゃない。

自分自身の言葉と行動の相違が罪なんだ。

さあ行こう、次の世界へ。



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