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『桃花源記』雑感:向はんとすれば即ち背く

陶淵明の著した『桃花源記』が、中国文学や中国文学史研究でどう扱はれてゐるのか、私は知らない。以下に記す事は、中国文学については全くの素人である私が『桃花源記』を読む中で抱いた感想である。

『桃花源記』の粗筋は次の様なものである。中国の晋の時代に、武陵といふ場所に或る漁師がゐた。或る日、漁師は谷川に沿つて航行する内に、どれ位進んだのか忘れたところ、一面に桃の花が咲き誇る林に出逢つた。漁師は林の奥へ進み、山の口を見つけてそこを通り、桃源郷へと辿り着いた。桃源郷の人々は外界からやつて来た漁師を見て驚きつつも、彼を家に招いてもてなした。漁師は桃源郷に数日ほど滞在した後、帰路についたのであるが、その途中で各所に目印を付けておいた。漁師から桃源郷の事を聞いた武陵の郡の長官は、人を遣はして漁師に付いて行かせ、目印を辿つて桃源郷を探させた。しかし漁師たちは迷つてしまい、道を見つける事はできなかつた。

私は上記の粗筋を見て、次の疑問を抱く。漁師は一度は桃源郷に入り得たにも拘らず、何故再び辿り着く事ができなかつたのか。この疑問に取組む時、注目に値する点が三つあると思ふ。第一は、漁師が桃の林と出逢ふ時であり、第二は、漁師が帰路で行つた事であり、第三は、桃源郷の人々の在り方である。

第一の点から見ていくと、原文は次の様になつてゐる。「晋太元中、武陵人捕魚為業。縁渓行、忘路之遠近。忽逢桃花林、……(晋の太元中、武陵の人、魚を捕ふるを業と為す。渓にふて行き、路の遠近を忘る。忽ち桃花の林に逢ふ、……)」(原文と訓読は松枝茂夫・和田武司訳注『陶淵明全集』下、岩波書店[岩波文庫]、1990年、152頁を参照。但し、訓読の仮名遣は歴史的仮名遣に改めた。以下も同じ)。次に第二の点を見ると、原文は次の様になつてゐる。「既出、得其船、便扶向路、処処誌之(既にして出づるや、其の船を得て、便すなはさきの路にひ、処処に之れをしるす)」(松枝・和田前掲書、156頁)。最後に第三の点について見ると、原文は次の様になつてゐる。「自云、先世避秦時乱、率妻子邑人、来此絶境、不復出焉、遂与外人間隔。問今是何世。乃不知有漢、無論魏晋(自ら云ふ、『先世、秦の時の乱を避け、妻子、邑人を率ゐて此の絶境に来り、復たここより出でず、遂に外人と間隔せり』と。『今は是れ何の世ぞ』と問ふ。乃ち漢の有るをすら知らず、魏・晋は論ふまでも無し)」(松枝・和田前掲書、154―155頁)。

かうして三つの場面を並べて見ると、次の事に気付く。「路の遠近を忘」れてゐた状態で桃の林に出逢つた漁師と、「漢」「魏」「晋」といつた各王朝の存在を知らなかつた桃源郷の人々は、尺度に一々囚はれてゐないといふ点で共通してゐる。漁師の場合は、航行距離という尺度の目盛に囚はれてをらず、桃源郷の人々の場合は、「漢」「魏」「晋」といつた王朝の別といふ目盛に囚はれてゐないのである。それに対し、桃源郷から戻る際、並びに再び桃源郷へ行かうとしてゐた時の漁師は、各所の目印によつて航行距離を計測できる状態になつてゐた。

従つて、一度は桃源郷に辿り着けた筈の漁師が、再び桃源郷に足を踏みれる事ができなかつた理由は、一応、次の様に整理できよう。漁師は、船がどの程度まで進んだかに頓着してゐない状態であつたからこそ、桃源郷に入る事ができた。しかし桃源郷から元の世界に戻る際、各所に目印をつけ、航行距離という尺度を気にする状態になつた為、再び桃源郷に行く事ができなくなつてしまつたのである。

『桃花源記』に登場する漁師が、一度は桃源郷に辿り着いたにも拘らず、再び足を踏み入れる事は叶わなかつた理由について、前章の末尾で一応の整理を行つた。けれども、あの漁師が二度目の桃源郷行きを実現できなかつた理由は、もう一つあると思ふ。

漁師が桃の林と出逢つた時は、図らずも出逢つたというべき状況である。それに対し、漁師が郡の役人と再び桃源郷に行かうとした時は、最初から「桃源郷に行く」といふ目的心を前面に押出してゐた。即ち、過剰な目的意識が桃源郷へ行く事を不可能にしてしまつた、と考へられるのである。かかる事情は、『桃花源記』の末尾に登場する劉子驥なる人物の振舞ひによつて、更に強調されてゐると思ふ。該当箇所の原文は次の様になつてゐる。「南陽劉子驥、高尚士也。聞之、欣然規往、未果、尋病終(南陽の劉子驥は、高尚の士なり。之れを聞き、欣然きんぜんとしてかんとはかりしも、未だ果さざるに、いで病みて終りぬ)」(松枝・和田前掲書、156頁)。喜び勇んで桃源郷に向はうとした劉子驥は、桃源郷に辿り着けなかつたのである。

前章で行つた整理も考慮に入れた上で、漁師や劉子驥が桃源郷に辿り着けなかつた理由を改めて整理すると、次の様にならう。彼らは、何かの跡を追ひかけ回さうといふ目的意識の下で行動してゐたから、桃源郷に行く事ができずに終つたと考へられる。そこで漁師と劉子驥が陥つてゐる状態を、簡単な概念図で示すと、「桃源郷————漁師/劉子驥」といふ具合にならうか。彼等は桃源郷へ行かうとする時、既にこの図式の中に拘束されてゐる。彼等がこの構図の中にゐる限り、彼等のゐる場所と桃源郷とは決して重ならない。

それでは、『桃花源記』に現れる桃源郷とは一体何なのだらうか。思ふに、それは「どこかにあるもの」といふよりは、「さうしたものを感じ得る人間としての在り方」と見るのがよいのだらう。どれ位の距離を航行したかに頓着してゐない時とは、緊張が解け、自己といふ枠が一旦解除された様な状態だと言へる。自己といふ枠が一旦解除された状況の中で、図らずも何かが見えてくる瞬間があつて、それがそのまま自己といふ枠の新たに形成される瞬間になる。その結果として出来上がった構図がそのまま凝り固まつてしまへば、上に示した「桃源郷———漁師/劉子驥」の様な状態で終つてしまふ。しかし、その構図の成立過程そのものを感ずる事ができれば、自己と自己に相対してゐるものとは一つのものとも言ひ得るのだらう。

上手く言い尽せてゐない気がするけれども、今はこれより他に良い言葉が浮ばないので、ここで擱筆する。

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