松本人志の映画作品を分析するポイント①:2つのグループに分ける

みなさんもご記憶に新しいと思いますが、オリエンタルラジオ・中田敦彦さんが自身のYouTubeチャンネルで「松本人志批判」を行いました。
 
そのなかで、わりと唐突なんですが、松本人志の映画作品を批判する箇所がありました。結局、動画自体が盛り上がってしまって、続編となるような動画はアップされることはないでしょう。そして、中田さんの映画批判の中身は、聞けずじまいに終わりそうです。
 
ただ、私の予想では、「松本人志の映画作品はつまらない、おもしろくない」とただ連呼するだけで終わるんじゃないかな。
 
もしそうだとしたら、それは分析じゃなくて、ただの事実確認。みんな思っているはずです。「おもしろくなかった」と。それは個人の意見だからそれでいいです。
 
私が知りたいのは、そこから先のこと。なぜそうなのか、どういう部分に問題があるのか、ということです。そこで、私なりに松本人志の映画作品を分析するためのポイントをいくつか挙げてみたいと思います。

ポイント① 2つのグループに分ける

 松本人志の映画作品は『大日本人』(2007)、『しんぼる』(2009)、『さや侍』(2010)、『R100』(2013)の4本があります。
 
まず、これらを
➀『大日本人』と『しんぼる』
➁『さや侍』と『R100』

の2つのグループに分けてみましょう。
 
分ける基準は単純です。松本人志が主演しているか、そうでないか、です。単純ですけれども重要です。なぜか。これらがコメディアン・松本人志によるコメディ映画であるとすれば、本人が主演するのは当たり前のことだからです。
 
チャップリンの映画にチャップリンが主演しないとか、バスター・キートンの映画にキートンが出ないとか、おかしいですよね。松本人志のコントに松本人志が出ていない…ちょっと奇妙な感じがします。
 
ですので、『大日本人』と『しんぼる』は松本人志のコメディを全面的に実現しようとした作品だと言えるでしょう。では、『さや侍』と『R100』はどうなのか。
 
『さや侍』は、『働くおっさん人形』にでていた野見隆明さんに松本さんの思いを託した青春映画という感じでしょうか。野見さんをかっこいいおじさんに見せようとしたそのぶん、笑いのパワーは落ちますよね。
 
『R100』は、当時は評価されなかったと思うんです。何をやっているのか、と。でも、今から思うと、『ドキュメンタル』の原型なんじゃないかという気がする。

穿った見方をすれば、『R100』のときにすでに、中田敦彦さんが批判するところの「審査員的立場」にポジションをスライドしつつあったのかもしれない。そんな過渡期の作品です。だから評価が難しい。

映画作品の評価の仕方
 

私は、松本人志のことが大好きです。松本信者です。ですので、彼の映画作品の評価って、やっぱり1本の作品だけではできないんですよ。もちろん、そういう評価の仕方も当然あります。それが自然でしょう。
 
でも、彼が残してきた数々の作品がオーバーラップしてきて、「あそこはあのコントとつながっているのかな」とか、「一貫したモチーフがあるな」とか、そういう「松本人志らしさ」は見えてくる。
 
こういう「一貫したスタイル」で評価したいんです。1本だけでダメを出すとか、それでは監督は救われません。「こりゃだめだなぁ」とか思うこともあるのですが、そう言いつつも、「いや、でもここは松ちゃんらしいぞ」と楽しみたいわけです。アーティストの評価って、活動全体でするもんじゃないですかね?
 
ただ、4本の作品を2グループに分けたとき、『大日本人』と『しんぼる』のほうには松本人志が主演しているわけですから、こちらを彼の作品の本筋だと考えてみたいです。
 
長くなりそうなので、続きは次回以降にします。ではでは、また次回。(梅)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?