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三人目のダウンタウンとは? DT育ての親が吉本興業を退社

吉本興業の大﨑洋会長が、同社を退社することが5月17日に発表された。2025年に開催される大阪・関西万博において、催事検討会議の共同座長に就任するためだという。ご本人自身は1953年生まれ、今年で70歳となることから、芸能事業からの勇退という意味もあるのだろう。
 
大﨑さんについては、こちらでは近著『居場所。』について感想を書いた。松本人志は「一気に八回読んだ」そうで、まだ読まれていない方はぜひ手に取ってほしい。

私自身は、以前より(というほど昔でもないが)大﨑さんに注目していた。吉本興業の経営についてはよくわからないが、同社を社長として牽引してきた一方、さまざまな書籍や言動を見聞きするかぎり、とてもユニークな方なのだろうと推測している。

三人目のダウンタウン

この『居場所。』でも書かれているが、大﨑さんはまったく無名だった若手時代のダウンタウンを見出したことで知られる。正式にはダウンタウンのマネージャーではなかったが、大﨑さんは自らマネージャーを買って出て、才能豊かな若者を世間に売り出していった。
 
その過程で、関西の夕方の帯番組『四時ですよ~だ』を手がけるなど、成功を収め、ダウンタウンはスターの座を獲得。そうした縁の下の力持ち的な活動から、大﨑さんは「三人目のダウンタウン」とも呼ばれる。
 
『居場所。』にもそのことは書かれている。少し引用しよう。

 なんとしても仲違いをさせてはならない-僕は浜田くんと松本くんを「奇跡の最強コンビだ」と信じていたし、うまく落としどころを決めて良い方向に持っていくところに、自分の役割があると思っていました。
 コンビ二人の中に入り込んで、三人の関係になる。浜田くんと松本くんは「俺ら二人でダウンタウンだ」と今も昔も思っているだろうし、実際にその通りです。
 それでも、2年間にわたって松本・浜田に密着取材をした吉本公認の本『ダウンタウンの理由』(集英社)の中で、著者の伊藤愛子さんは僕について、こんな表現をしてくれました。

「三人目のダウンタウン」
 
 ああ、自分の役割がわかってもらえたなと、たまらなくうれしかったことを覚えています。

大﨑洋、『居場所。』、サンマーク出版、pp. 146-147

社会学や人類学ではよく言われると思うんですが、「社会は2人では成立しない。3人いれば社会は成立する」と。夫婦や漫才などはコンビで形成されるので、2人関係は世の中でよく見られるものです。しかし、その関係性は、ときとして主従関係になったり、一方通行になったりと、不均衡になりがちです。
 
また、関係性がひとたび固定してしまうと、しばしばお互いに逃げ場所がなくなってしまうものです。人類学では「限定交換」とか言ったかしら。誰でもこうなるとしんどいですよね。
 
これに対して3人関係になると、一方通行じゃなくて、環のような関係性になる。一番わかりやすいのが「ジャンケン」の関係性。三すくみの状態で、誰かがつねに上位になるとか、一人勝ちするということがない。これを「一般交換」とかいうのかなぁ。

大﨑さんは「一人目のダウンタウン」?

ともあれ、ダウンタウンさんの成功にも、実はこうした3人関係があったわけです。松本さんと浜田さんは、それぞれが強烈な個性と主張、自信をもっているわけです。だから、一度ぶつかると、お互いに引かなくなる。そこに割って入るのが、大﨑さんだったというわけですね。彼らより10歳年上ですし、兄貴分というか、行司役というか、聞き手というか、そんな関係です。
 
してみると、有名なコンビにも、必ずこうした人がいるのかもしれません。あるいは、結成以来、お互いにぶつかったことがないという仲良しコンビもいるでしょう。
 
ただ、大﨑さんの場合は、ただ彼らに寄り添っただけの人物ではない、やっぱり単なる第三者以上のものがあったのではないか、と私は考えます。いわば、本当の意味での「三人目のダウンタウン」だったのではないかという仮説を立てています。
 
これを立証するのは、本人ではない私にとってはなかなか難しいことです。それでも、あえていうなら、「大﨑さん自身が一人目のダウンタウンだった」、みたいなこともあるのではないか。大﨑さんこそが先頭に立っていて、ダウンタウンさんはむしろ大﨑さんに引っ張られていったのではないか。そんな印象をもっているのです。
 
ちょっと長くなったので、また次回。(梅)

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