見出し画像

栗拾い的な人生がいい。

 突然だが森の中を歩いてゴールを目指すゲームをしたとしよう。ある者は、「最低限の体力でゴールするにはどうするべきか」と考え、またある者は「どうすればなるべく傷付かずにゴールできるか」と考えた。 

 そしてまたまたある者は、「どうせなら落ちてる栗でも集めようか」と考えた。


 このゲームの勝者は誰なのだろうか。おそらく前者2人はスマートにゴールを目指し、速くゴールするなり無傷でゴールしたりするのだろう。

 では、最も得をしたのは誰か。これは、「栗を拾った者」だろう。なぜなら、たかが「森を歩いてゴールを目指す」というだけのゲームに「栗」という価値あるものを見出だしているからだ。他の2人はゴールできなければ、その道中も全て無駄だったと感じてしまうんじゃないだろうか。

 少し先に見える栗を拾うためにちょっと歩く。そして栗をひょいと摘んで背中のカゴに入れる。これを栗返し…ではなく繰り返している内にゴールに着いちゃった、くらいの人生がいいんじゃないか。ちっちゃな幸せをちまちま見つけては拾い、見つけては拾いを栗返…繰り返して、少しずつ貯めていく。遠回りしようが、怪我しようが栗は減らない。同じように幸せだって不幸には打ち消されないんだと思う。

 
 少し書き疲れたから甘栗でも食べようかな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?