アラサーでワーホリって、実際どうなの?ようやく気づいた幸せ〈半年後〜10ヶ月後〉
こんにちは。うめ組ランジェリーです。
今回も下着じゃなくてワーホリの話。そろそろ完結に近づいてきてます。
現在、カナダに来てからちょうど10ヶ月経ったところ。もう10ヶ月も経ったのか、という気持ちもあれば、もっと長い間ここに住んでいたような感じもする。
ワーホリビザも残り2ヶ月をきったということについさっき気がついて驚愕している。悲しすぎる。まだまだ帰りたくない。
海外で働いてみたい、生活してみたい。そんなピュアな気持ちで来たけれど、現実はそう甘くはないことを知った前半戦。後半戦は、オフィスワークをゲットし働き始めたことにはじまり、コロナウイルスの影響で生活が大きく変化しました。
▼前回までの記事
・〈出発〜到着してすぐのこと〉
・〈1ヶ月後〜半年〉
海外の企業で働きたい、という夢が叶った
私の転機となったのは、間違いなく、念願のカナダ企業での仕事が決まったことがきっかけ。そこから徐々に、ネガティブな気持ちから解放されていきました。
その企業は日本語を話せる人が欲しかったから採用してもらえたのですが、入り口は何であれ、入社後はこれまで日本で働いてきた経験を活かして、実績も出すことができ、やりたいことも提案でき、自分らしい働き方ができた。これは社会人経験をそれなりに積んでいるアラサーの強みだなと思います。与えられた仕事はそれほど面白い仕事ではなかったけれど、自分がやりたい仕事にどうやって寄せていくかを考えたり、手を抜くところ入れるところ自分なりに工夫しながら働けたため、楽しかった。なんだかんだ仕事が好きな私が、ようやく自分のアイデンティティを取り戻していけました。
同僚にも恵まれて、英語の勉強にもとてもプラスでした。ミーティングなどで英語が理解できないことはたくさんあったけれど、私がたまに黙っていると必ず「どう思う?」と聞いてくれる。私も「ただ大人しいだけの日本人」にはなりたくなかったので下手な英語でも意見するようにしていたのと、もともと言いたいことは言わないと気が済まないタイプなので、割とめんどくさいやつと思われていたかもしれません(苦笑)。
「海外の人は自己主張が強い」は少し違った。会社での立ち回りが意外
多くの人が、海外は自己主張が強い人が多い、というイメージを持っているかと思います。私もそう思っていました。でも、この会社で働き始めて気がついたのが、皆割と"事なかれ主義"だな、ということ。どういうことかと言うと、皆基本的に否定的な意見は出さず、無駄に意見を戦わせることもない。一方でポジティブな意見はどんどん出し合って、良いね!良いね!それで行こう!と決まっていく感じ。
日本だともっと、"こうなんじゃないか…これは違うんじゃないか…こういう別の見方もあるんじゃないか..…” みたいなディスカッションを重んじて、細かいところまでコンセンサスをとる雰囲気がある気がする。でもこちらでは、ポジティブな意見をばんばん言って、良いね!で終わり、あとは個々がやるべきことをやるという感じ。もちろん会社によって全然カルチャーが違うと思うので、他のカナダの会社がどうかはまったく分からないのですが。
コロナウイルスで仕事も生活も一変した
働き始めて1ヶ月半。コロナウイルスの感染拡大がカナダでも深刻になりはじめ、3月半ばにオフィスを一旦クローズすることになった。その後3月末までは自宅からリモートワークをしていましたが、4月に入り、隣国アメリカの状況などパンデミックが世界的にますます深刻に。
カナダのトルドー首相は毎朝ライブ放送で国民に呼びかけ、さまざまな救援施策も施行されました。スーパーやドラッグストアなど生活に必要なお店以外はほぼすべてクローズし、飲食店はテイクアウトかデリバリーのみ。また、職を失って収入がなくなってしまった市民に対して、カナダ政府は$2,000/4weeksを最大16週間まで援助する(一定の条件あり)ことを発表。
私の会社では、4月以降、ほぼ全員が一時休職のような形をとることに。私は上記の補助金の条件に当てはまっていたので、政府の補助を受けることにしました。カナダの補助金申請はWeb上で完了、申請後5日以内に振り込まれるという非常にスムーズなものでした。
その頃日本では、アベノマスクの話題、条件付きの給付金(その後、一律10万円の給付金に変更)、ロックダウンがいかに不毛であるかなどの話題で持ちきり。周りの日本人の知り合いは4月に帰国していった知人が多かったのですが、私は補助金も受け取ることができたのでこの状況下で帰国する、という選択肢はほぼ検討しませんでした。日本にいる両親、家族のことは心配だったので、以前より連絡は頻繁にとるようになりました。
4月からはほぼ無職となった私がしていたこと
せっかく時間ができたので、あらためて英語の自主学習、エクササイズ(ランニング・筋トレ)を再開。ついだらだらとお昼近くまで寝てしまうこともありましたが、基本的にすごく健康的だった。寝て、起きて、食べて、勉強して、運動して、週に1度は食料品等の買い物。
毎日の生活がこんなにもシンプルで、こんなに自由に時間を使えることは人生で初めてで。かつ皆同じ状況なので、罪悪感や自分だけが取り残されているような不安を感じることもなく。今はそういう期間だからと割り切って、無駄にあれこれ考えずに淡々とバンクーバーで生活していました。
5月になると徐々に状況も落ち着いてきて、特に外出禁止もされていなかったのでたまに友人と会うようになり。ランニングしたり、コーヒーをテイクアウトして公園でしゃべったり。日本人のシェアメイトと家の周りを散歩したり、ピクニックをしたり。バンクーバーの気候もすごく良くなってきていたので、ノースバンクーバーやコキットラムの先の方にハイキングにも行きました。
バンクーバーの生活を楽しむ余裕と、気持ちの変化
日本で働いていたときは、人生に対する漠然とした不安や不満に引っ張られがちでした。東京に生まれて、当たり前のように周りと同じような人生を歩んできて、本当に恵まれていたと思うし感謝しているけれど、どこか満足していなかった。今持っていない何かを手に入れようと、遊びにも仕事にも忙しくしすぎていた気がする。
平日は仕事に追われて、仕事後も将来や仕事のことをあれこれ考えて、休日は友人と飲みに行ったり合コンしたり、そんなに要らないはずなのに定期的にショッピングをしたり、流行りのスポットに遊びに行ったり、あとは婚活や将来のお金のことを心配したり(笑)。
バンクーバーに来てからもしばらくはその習慣は抜けず、まだカナダで英会話レッスンを受けていた頃、先生から「あなたは体はバンクーバーにいるけれど、マインドは日本のままね(笑)」とよく言われていました。そりゃ、来たばっかりの頃は惨めな思いをすることも多かったし、英語や仕事探しに対する焦りもあり、街にはエンタメも少ないし何か退屈…と思うことも多かった。
先日、コロナウイルスの規制が緩和されて久しぶりに会ったカナダ人の友人に「最初に会った頃はネガティブなことばっかり言ってたのに、今はなんかすごい幸せそうだね!www」と笑われました。まあ今はバンクーバーでほぼ無職・給付金生活なので余裕があるのは当たり前といえばそうなのだけど(笑)、そういう気持ちの変化の背景には街や人の影響も大きい。街中で誰も他人のことなど気にしていないし、大抵のことは取るに足らないこと。自然と都市が隣接したコンパクトで便利な街(東京に比べたらすごく田舎)で、人々は平日でも仕事のあとの時間を好きなように過ごしている。近くにハイキングやサイクリングに出かけたり、テラスで太陽を楽しみながらビールを飲んだり、海岸沿いを散歩したりしてこの気候の良い季節を味わう。そういう日常の風景の中に、人生にゆとりを持つこと、人生を楽しむことの大切さを思い出すことができる。
私自身は東京生まれ東京育ちで、人とエンタメの溢れる都心で忙しく暮らす楽しみしか知らなかったので、散歩したり、ハイキングしたり、そういう少しペースダウンして日々を楽しむ幸せに、半年以上経ってからようやく体も心も馴染んだ気がします。
今後の人生をどう生きるか
仕事、恋愛・結婚、趣味、生活環境。人生の中で、自分にとって何が大切で、どんなペースが自分らしいのか、どうすれば自分で自分をもっと幸せにできるのか。今後どんな人生を過ごしていきたいのか。せっかく就職できた会社で本当はもっと働きたかったけれど、コロナウイルスの影響で一変した生活は一度立ち止まって自分を見つめ直す猶予をくれました。
今後の人生でやりたいこと。
・海外で得た視点、視野はそのままに、日本社会に貢献するために自分ができることをしたい
・会社に雇われるだけでなく、自分自身でお金を稼げるようになりたい
・まだまだ広い世界を見てみたい
・将来的に海外(自然の多い場所)で生活したい
何をどこまで実現できるか分からないけれど、挑戦できることがまだまだ沢山あることにワクワクしています。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。少しでもギリホリを検討している人の参考になったら幸いです。
ワーホリ=すべてが楽しくてキラキラな毎日、というわけではまったくなく、外国人労働者という弱い立場で、打ちのめされるようなことも沢山あります。でも、バンクーバーという縁もゆかりもなかった土地でいまこうして楽しく過ごせているのは紛れもなく周囲の人たちのおかげ。
バンクーバーに来て本当によかったなあ、と思います。残り2ヶ月も自分のペースで楽しみます:)
ありがとうございます。下着作りに活用させていただきます🎀✨