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広告会社なのに残業禁止にする少しおおげさな理由

2018年に小さな広告の会社をつくった。経営する私も含めて、メンバー全員が副業。極限まで身軽な会社だったからこそ、事業領域の試行錯誤を気楽にやることができて、会社員経験しかなかった経営初心者の私には本当に救いだった。おかげでスタートアップのCMに特化するという今の事業領域を決めることができた。副業で関わってくださったみなさん、本当に感謝。一方で、領域を見つけて事業規模が大きくなりはじめると、副業型組織の欠点も見えてきた。たとえば、トラブルが起きたときの責任は誰にあるのか、あるいは直接業務に関わらない請求書や契約書のやりとりは誰がやるのか、など。この問題に関しては別の機会にお話するとして、ともかく2021年末に身軽なことをあきらめ、避けてきたリスクをつかみにくことにした。2022年1月私も会社員を辞め経営に専念し、メンバーも正社員として採用していくことにした。正社員を迎え入れるにあたって一つのルールをつくった。それが今回の本題の「残業禁止」前置きが長い。校長先生か。

残業禁止は日本の切り札になりえる

自分が社員を雇用することになったら、残業禁止にすると決めていた。なぜなのか。一言でいえば、いくつかの社会課題を同時に解決する切り札の一つになると考えているからだ。たかが残業されど残業。賛否両論にわかれやすく書くこと自体躊躇があったが、運用を始めてから1年半なんのクレームも問題もなく会社が回っており共有する価値があると思ったことと、仮に叩かれたとしてもそのことによって制度としては磨かれると判断し、なぜ切り札だと考えているか、またその実験的な効用をまとめてみることにした。


1.残業禁止は、不公平な社会を変える切り札

「残業したい人がすればいいだけなのでは?」

残業禁止の話をすると、この反応はとにかく多い。たしかに現代のほとんどの職場において残業は任意であり、自由で平等な競争ではある。しかし、残念ながら公平な競争ではない。(定められた基準値のなかで)無限に残業できる人、仕事に全振りできる人が有利で、逆にそうではない人は不利になる。具体的に言ってしまえば、独身者か専業主婦/主夫を持つ既婚者が有利で、その他の共働きや家事育児にコミットする既婚者は不利になる。したい人だけがすればいいという自己責任論には、今できない人がいること、将来できない人にならないぞという意思決定を促すことへの想像力が欠如している。

「公平を言い出すとキリがないのでは?」

上記のような話をすると、今度はこんな反応がかえってくる。たしかに個人には個人の事情があり、多種多様な事情に対して完全に公平な競争を実現するのは現実的に難しい。個人の信条としても、基本的には自由な競争を支持しており、規制は緩和していくべきだと信じている。しかし、少なくとも「労働」や「教育」といった社会に色濃く影響を与えるものは、公平であることにこだわる価値が十分にある。たとえば教育における入学試験。筆記試験よりも経験重視の入試は、自由で平等であるものの公平ではない。筆記試験の勉強に比べ、多様な経験を積むには多大なるお金が必要となるからだ。実際にアメリカではその「多様な」経験を積むために100万円以上するパッケージツアーが飛ぶように売れている。このような不公平をキリがないとあきらめてしまうことは、経済格差の拡大という社会問題をあきらめてしまうことにつながってしまう。(筆記試験でどこまでの能力が測れるのかという別の問題があるので、どちらが優れているかを言及しているわけではない)

男女格差、少子高齢化の悪魔的インセンティブ

繰り返しになるが、競争のなかで戦略上有利な選択肢があれば誰もがとりたくなるのは自然なことだ。この自由な残業競争においては、結婚を躊躇する、出産を躊躇する、パートナーに対して専業主婦/ 主夫を希望するといったことが有利な選択肢になってしまっている。有利だから、選んでしまう。不利になりたくないから、選んでしまう。まさに悪魔的インセンティブ。個人の単位は、個人の自由意志と強弁することもできるが、社会の単位でみれば、経験重視の大学入試が格差社会を助長したように、あきらかに男女格差(職場、家庭内)や少子化を助長している。多くの人が自由な競争なのだから自己責任で自由にやればいい、公平なんて言い出したらキリがないと達観しながら、そのことが助長している男女格差(による働き手不足)や少子高齢化によるGDPの低下、社会保障の負担増といった将来の自身や社会の不自由を嘆いているのはあまりに滑稽だと思う。

(参考)競争上有利であるため結婚を躊躇したケースが存在する可能性はデータ上でもみてとれる(前提として婚姻は個人の自由であり、有無に是非は一切ない)

社会を変えるのは、意識と構造

パートナーに専業主婦/主夫をおしつけることへの違和感。パートナーに育児をおしつけるあるいはコミットできないことへの違和感。なかでも専業主婦の比率が高くなりやすく、結果的に女性が競争上不利になってしまうことへの違和感。専業主婦をかかえる男性との出世競争のため結婚を躊躇うことへの違和感。意識が変わってきた今、現実を変えるには意識に構造が追いつかなくてはいけない。頭では倫理的には正しいことはわかっていたとしても、競争戦略上有利な選択肢を捨てることは簡単ではないからだ。押し付けてしまっている人も、押し付けたいわけではなく、ルール上・構造上そうせざるを得ないのだと思う。残業だけでもちろん解決できるはずはない。ただ、残業という極めて狭くみえる問題は、考えてみれば働き方に広く強く影響を与えており、労働に起因する家庭、職場の格差を解消する具体的な切り札になると考えている。

2.残業禁止は、生産性を高める切り札

ゆっくり働く方が得する変な仕組み

仕事における1人あたりの業務量は時間x速さでできている。残業という選択肢はここでも悪魔的なインセンティブを生み出してしまう。業務時間は自らがある程度決めることができ、しかも長く働いた方が賃金も増えるとしたら、速さを高めるのではなく、時間を長く設定した方がおいしいことになってしまう。日本人がどれだけ勤勉だとしても、ゆっくり長く働く方が得する以上、そうなる方が自然だ。では残業禁止の場合はどうか。業務量も時間も変えられないとなったとき、はじめて工夫せざるをえない環境が生まれる。限られた時間内でどうやるかというクリエイティブな問いが一人一人の独自で多様な創意工夫を引き出す。

制約条件がアイデアを生む

残業禁止にして1年半。競合他社が一般的な感覚からすると激務な業務環境であることを考えると、それが原因となる失注があってもなんらおかしくないが、実際のところこれといった問題は起きていない。これは私たち自身の能力自慢でも挑発でもなく、人間は制約条件が与えられたら(今回でいう19時以降勤務してはいけないという残業禁止の制約条件)、必死に創意工夫を生み出し解決できる生き物であり、逆に制約条件がなければ怠けてしまう生き物であるというシンプルな話なのだと思っている。

そもそも常識を守っている暇がなくなる

時間内でパフォーマンスを高めることが当たり前になっていくと、自然に次々と改善案が湧き出てくる。電話は時間あたりの共有量と共有範囲が狭いのでテキストを優先させる、情報共有は非同期でもできるので、議論を目的としない会議はしないといった具合に。考えてみれば、そもそもかつての常識を守っている暇がない。

そんな小さいことで…だから切り札になりえる

残業という極めて小さい点の話だからこそ、実現可能性が高い。実行コストも、前述の通り一部業種を除き業務効率化を生み出すことを考えれば中長期的には決して高くない。にも関わらず、社会に与えるインパクトを小さくない(と私は考えている)。従来的な働き方が染み付いてしまって取れない可能性がある歴史のある大企業はさておき、少なくとも変化できる意識が備わっている企業は検討する価値があるのではないだろうか。

もし切り札にならなかったとしても、夜は家族や仲間とすごすっていいですよね。

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