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Q. 外国語を日本人に習う意味はある?

A. ある、第二外国語として学んだ先達に学ぶことは多い


我々日本人が「西洋」を意識し始めたのはとりわけ明治以降とされる。以来約150年にわたって、我々は「西洋」の文化と技術を畏怖し、憧憬し、そして模倣してきた。ときに「名誉白人」と揶揄される(あるいは自虐)ほど、その必死さは鬼気迫るものがあった。


しかしこうした西洋受容の歴史を振り返ってみると、何も我々は明治以降突如として「文明開化」に目覚めたわけではない。幕末ペリー艦隊が浦賀に来航し、にわかに海外への関心が高揚した1855(安政2)年、江戸は九段下に真新しい研究機関が新設された。


その名も蕃書調所(ばんしょしらべしょ)、江戸幕府が設けた洋学専門の教育研究機関である[1]。当時名うて蘭学者・箕作阮甫を教員らに迎え、この機関によってヨーロッパの軍事技術を中心にあらゆる知識が貪欲に吸収されることとなる。


当時において技術の吸収とは、関連書籍の翻訳を意味した。砲術、築城術、造船術、兵学、測量術、航海術といった軍事研究書の翻訳が第一の目的とされた。翻訳を主眼とするなら語学教育の実施は必要不可欠となる。

 

蕃書調所では、蘭学といえばオランダ語を筆頭に(蕃書とは元来オランダ語書籍を指す)、英語、フランス語、ドイツ語、そしてロシア語の授業が開講され、幕臣や各藩から集まった藩士たちが学んだとされる。


つまり幕末の語学教育は、教える側も教わる側も外国語として身につけてきた者たちによって推進されたわけである。


こののち明治維新が成り、江戸幕府が解体されると蕃書調所(当時は開成所と改称されていた)の管轄も明治政府に移管され、政府はこの組織を母体とし大学南校、そして東京帝国大学の設立にとりかかった。


そして今日、帝国大学の後進となる東京大学に326人(2020年度)の外国人教員が勤務しているとされ、国別では中国、韓国、アメリカ、インド、フランスの順である[2]。同年度の教員総数が8,092人[3]であるので、割合でいえばおよそ0.04%に相当する数だ。


この0.04%のうち何人が外国語教育に関わっているのだろうか。そもそもこれら統計の中には、大学における外国語教育の「主力」である非常勤講師はカウントされていないため、大学としての実態はどこまで反映されているのだろうか。


実態は容易には判断できないものの、学生の外国語教育に関与する外国人教員は決して多くはないであろう。江戸以降、我々の外国語教育はかくして営々と日本人教員よって担われていると言えそうである


なるほど日本人教員は、発音のうえではネイティブ教員に劣り、現地の文化も異邦人として嗅ぎ取ったものに過ぎない。こうした点ではどうしてもネイティブに軍配があがる。


しかしだ、日本人教員にはネイティブ教員にない特性がある。その言語を外国語として学んだ経験である。日本語母語話者にとって、何が難しく、何が簡単で、どうやったら上達が早まり、何ができないときに恥を感じ、外国語を習得したことで人生にどんな変化が起こったか。これらの点において日本人教員以上に解説できる外国人教員は少ない


ネイティブに憧れる気持ちは分かる。

しかし、日本人に学ぶことは少なくないはずだ。


結論:日本人の「分からない」に文化的に深い部分からの共感を示してくれるのもきっと日本人



[1] 以下、蕃書調所についてはコトバンクの当該記事を参考とした(https://kotobank.jp/word/%E8%95%83%E6%9B%B8%E8%AA%BF%E6%89%80-118135)。

[2] 「数字の変遷で見るこの6年の東京大学」より(https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/z1304_00113.html)

[3] 「教職員数(令和2年5月1日現在)」(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/overview/b02_03_r2.html)

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