「死なないで」という枷

(※この記事を書いた記憶がないのですがちゃんと最後までしっかりと書かれていたので投稿します。)

私は世にも奇妙な「常に死にたい側」の人間である。

死ぬことは自己実現で、自己実現のためには努力が必要ということで、コソコソ薬をかき集めたり、試行錯誤をして縄を結んで木に括りつけたり、ふわっと逝けるポイントを探したりなどと、多分元気な人ならきっとしたこともないベクトルの努力を重ねてきた。

それも持ち前の運のせいか、それとも屈強すぎる身体のせいか生き延びてしまい今に至る。

死ねなかったからといって、生きていることに意味があるんだ!という思考にはならず、日々鬱屈としている。

なんかふわっと飛び降りそうになって、手を、足を柵にかけても下にはギッチリと車が並んでいたり、死のうと思うものの、実行するエネルギーを持ち合わせておらず、死にたい気持ちは宙ぶらりん、毎日死にたいという気持ちを抱えて生活をしている。

それ故にどれだけ頑張って自己管理をしても週に1、2度ほど家で寝込んでしまう。

寝込みながらぼーっと天井を見上げる。虚無。
休んだからといって好きなことをする元気もない。YouTubeを開く気力もない。
音楽を再生する気力もない。
この鬱屈とした気持ちをnoteに書き綴る気力もない。

ひたすら天井を見上げて、このままではいけない!と、何か食べなきゃ回復できないと思い、頑張って下のコンビニにいき、食べられそうな食べ物を買う。
半分も食べられない。
身体はだんだん骨張ってきて、ズボンが緩くなってきた。
スカートがもう合わなくなってきた。
過食よりマシだと言い聞かせているし実際にそう思うけど、このままで大丈夫なの?と思う自分がいる。

胃が痛い。
萎縮性胃炎に加えて食道裂孔ヘルニアを併発した。痛くなりやすい胃らしい。ストレスを敏感にキャッチして、私の脳がストレスに気がつく前に痛みでストレスを知らせてくれる。
痛いのは嫌いだから困る。

身体がしんどい。鉛のように重たい。
光がしんどい。
人間の存在がしんどい。顔を上げて歩けない。
他人と遊べない。旅行にいけない。
好きなものもうまく食べられない。
感情を動かされることが少なくなった。

そんな日々がもう4年も続いている。
しんどい。
いつ治るのだろうか、と、考える。
治った日のことが想像できない。
この鬱はもう個性のようにすら思えてしまうし、もう私と癒着して離れないのかもしれない。

「そうなったら終わりだ。」

頭の中は訳のわからないノイズでいっぱいで苦しい。
毎日、苦しい。


「死にたい。」と先生に伝える。

「死んだら何もできなくなっちゃう。楽しいことも幸せなことも感じられなくなる。今は辛いかもしれないけれどいつか幸せが訪れる時が来るかもしれない。だからできるだけ......死なないでほしいなぁ。」

と言われた。
百点満点の回答だと思った。
私が大嫌いな死なない約束を課してくることもなく、優しく寄り添いつつ、でも死なないでということを伝えてくれる。

未だかつてこういうふうにいってくれる人はいなかったので嬉しく思う反面、この日々がいつまで続くのかわからず心はしんどいままだった。

いつか幸せがくるなら今すぐきてほしい。
勿体ぶらずに。
いつか楽しい日々が訪れるなら明日がいい。
もう我慢ができない。
いつか生きていてよかったと思える日が来るならそれは今日がいい。
もう待っていられない。


しんどい。疲れ果ててしまった。
生と戦うのも、死と戦うのも。
疲れた。

だから終わりにしたいのに、生きてほしいという言葉はまるで枷のように私を縛り付ける。
この苦しい日々を生きることなんて不幸でしかない。不幸のままでいてと言われているようにすら感じる。

きっと違うんだろうけど。
でもそう感じるくらいには私の心は疲れていて、枯れている。

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