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携帯小説『人魚姫』

ブロンドの柔らかい髪は背中の真ん中あたりまで伸び、耳たぶには真珠のイヤリングが揺れていた。腰から生える力強い尾鰭には藍色よりも濃く緑がかかった鱗が幾つも重なり合っており、リリーの気まぐれで妖艶に動かされると、グリッターが混じる水は小さな気泡を作り出しながら波を打った。
成人男性二人でも簡単に包み込む巨大な金魚鉢がリリーの部屋。床には宝石が敷き詰められており、時折それを口に含んでは吐き出す遊びをしていた。
金魚鉢のガラス越しに見える重厚な扉が開くのが見えるとリリーは金魚鉢の外に身をあげて「ドリー博士!おかえりなさい!」と元気よく白く細い右腕を挙げた。
ドリー博士と呼ばれる男は重い扉をしめてゆっくり振り向いた後、一息ついてから「ただいま。愛しのリリー」と目の横と両側の口角に皺をつくり笑顔で返事をした。
「今日の人間の世界はどうだった?」金魚鉢の淵に頬杖をついて好奇心に満ちた表情でリリーは尋ねた。
硬い革のバッグをテーブルに置き、中から財布やら折り畳み傘、血糊を出しながら話し始める。
「最悪だったよ。腕をモンスターに噛まれた」そういってジャケットを脱いで白いシャツになると左腕だけ真紅を帯びて、ボロボロに裂けていた。
「たいへん!」リリーは両手で口元を隠した。




ステンレスの大きな手術台の上に横たわるリリーを隅々まで検査をして、神妙な面持ちでいった。
「もうすぐ生え変わりをさせなければ」
リリーは大きく目を見開いた。
「そんな。この前したばかりじゃない」
「もう一年ほど前だよ」
いやいやと首を振っているリリーの頭を撫でながら「だいじょうぶ。痛むのは最初の数ヶ月だけ。尾鰭の色を決めておくんだよ」と優しく微笑んだ。

金魚鉢がある部屋の上にドリー博士の生活空間はある。ベッドに腰掛けながら瓶の口を、皮のむけた唇に押し当てて喉を鳴らしウィスキーを流し飲む。「生え変わり」と呼んでいるリリーの尾鰭を付け替える手術は年々難航していた。
初めて出会ったのは医師になったばかりの二十四歳の時。リリーはまだ四つだった。





児童養護施設の健康診断にやってきたドリー博士は鞄に道具をしまい終わると「では、これで」と立ち上がった。すると住み込みの職員が困った顔をして呼び止めた。「先生。実はもう一人いるのです。部屋から全く出てこようとしなくて。診ていただけませんか」
かまいませんよ、と一つ返事を返すと奥の方へと案内された。残りのもう一人がいるという部屋の前に辿り着き、ドアノブに職員が手をかけると、ちょっと変わった子で...。申し訳なさそうに呟いて扉をあけた。その瞬間、温かい春の風にのって数枚の桜の花びらがドリー博士を迎えいれた。眩く桃色になった世界が瞳を占領する。大きく揺れるレースのカーテンと一緒に靡く長い黒い髪が振り向いた。病弱な細い身体に白い肌。長くこしのある色素の薄いまつ毛がのる黒い瞳がドリー博士を捕えた。職員が「ほら。先生に診てもらって、わがまま言ってないでこっちにきなさい」などと促す声は遠くで鳴っているようだ。突然現れたこの世で最も美しく可憐な生き物から目が離せない。
「私は人間じゃないから人間のお医者様にみてもらっても意味ないわ」
セリフみたいな言い回しをした物言いに気がつき引き戻される。
「私は人魚姫なの」
薄い桃色の唇から自信のある言葉が溢れた。その発言に職員は苦虫を噛んだ顔になり耳打ちをしてきた。
「この子は生まれつき歩けなくて。自分を人魚だと思っているのです。お気になさらず」
え、あぁ。力のない相槌を打った。


その夜は眠れなかった。彼女が欲しい。頭の中は春風と共に訪れたあの美しく可憐な生き物のことでいっぱいになり、今にも溢れ出しそうだった。


「足の病気について」や「精神的なケア」という名目で児童養護施設へと通うことにした。もちろん、彼女に会いにいくために。
一年後、ついに彼女を施設から連れだした。雨の降る夜だった。強くかたい雨粒が叩き打つ暗い車内。
稲妻の光が白く照らすたび、罪悪感と緊張が入り混じる心臓の音が皮膚を破って聞こえてくるが、落雷の音と高揚感でかき消させる。
「先生、私、ついに人魚姫にもどれるのね」
「そうだよ。君は人魚姫になる」
「なる、のではなく、もどるのよ、先生」
セリフじみた言い回しにもだいぶ慣れた。
「尾鰭の色を決めておくんだよ」
ドリー博士は横目でカーブミラーを確認し追手を気にしながらアクセルを踏んだ。




部屋の壁には行方不明者の情報を求めるチラシが一枚。ドリー博士の心を奪った幼い少女の写真の横には『高松まゆか』の名前が大きく書かれている。あの頃から十年も経過して色褪せている。
ウィスキーを片手に階段を降りる。
金魚鉢から顔を出しているブロンドの少女は水中に浸かったままの下半身をUの字にくねらせ、外気に触る尾鰭をドレスのようにヒラヒラと揺れさせる。
「君はリリー。君は人魚姫」
そう呟いた男に小首を傾げて「そうよ。どうしたのドリー博士」
その不思議がる表情はすぐに溶け、「変だわ」と笑った。



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