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#12 破滅的な暴力装置

5月1日金曜日 一瞬見上げただけでは雲のない突き抜けたような晴天だった。夏が確実に近づいているのがわかる天気だ。

僕は象に踏みつけられたような重みを感じ腹筋を中断して肝臓を摩る。昨日のお酒が内臓にダメージを与えている。

僕は一人で近所の三鷹防災公園にいる。他には誰もいない。いるのは妖精のMOAIだけだ。雲梯に腰掛け僕を見下ろしている。

僕は足首をもう一度、ベンチに設置された足掛けに位置し直し、腹筋を再開する。一回起き上がる毎に、身体がうねりをあげエンジンみたいに小刻みに揺れる。

限界がくると僕は背筋を鍛えて、腹筋も背筋もこれ以上鍛えられない状態になると、腕立て伏せを繰り返した。そのあと公園内のトラックを1時間走り、それから腹筋からやり直した。日が暮れるまでひたすら繰り返した。まるで動いていないと死んでしまうマグロのように。

MOAIはその間中ずっと僕を見ていた。時折目が合うことがあったが、何も声をかけては来なかった。ただ、時折哀しい目をしている気がした。

日が暮れると僕は自宅に帰り、お酒を飲む。飲みつぶれるまで飲む。こんな日を続けて3日目になる。

僕は明らかに崩れた銅像みたいに、目も当てられないほど自分を見失い、そして今、再構築の必要性を感じている。

もとの自分になることが、正常なのか、新しいスタイルにシフトすることが正常なのか答えが見つからなかった。

3日前、僕は暴力を振るった。奥さんの襟首を掴み、壁に押しつけたのだ。

もちろん僕にも言い分はある。けれども、長女が「もう、やめて!」と叫んだ時、どんな理由にせよ、僕は破滅的な暴力装置である自分に幻滅した。もはや獣だ。

今でも思い出す。恐れた表情。増悪に満ちた目。か弱く無力な力。

その日から世界中の女性や子供たちの声が聞こえてくる。幻聴かもしれないし、そうではないかもしれない。

「もう、やめて!」

いくらやめようと思っても、僕はお酒を飲みながら、記事を探してしまう。

アルゼンチンでは、7歳の少女が母親のパートナーに殺され裏庭に埋められた。

フランスのパリでは、2名の女性が命を落とした。

イタリアでは、医師を目指していた27歳の女性が死んだ。

ウィーン郊外では男性が凶器で妻を殴り殺そうとし、捕まった。

三鷹市では、妻の襟元を掴み、圧倒的な力で壁に押しつけた。まだ捕まっていない。

アントニオ・グテレス(Antonio Guterres)国連事務総長は「不幸にも多くの女性や少女が、特に本来ならば守られるべき場所、つまり自宅の中で暴力にさらされている」と指摘している。各国がロックダウンを延長し4月に入った時点でグテレス氏は、新型コロナウイルス対策の一環に「女性の保護」を盛り込むよう各国政府に強く求めた。〔AFP=時事〕

13:08 僕は腹筋を再開する。ベンチに仰向けになり、両腕を胸の前でクロスする。でも力が入らない。身体中が筋肉痛に晒されている。火にあぶられたみたいな痛みを感じる。背筋も腕立ても同じだ。僕の身体の中にはもう力がない。

 住宅販売を長年してきた僕は、破滅的な暴力を振るうための場所を販売してきたのか。"

僕は歩き始める。海の中を歩くようにゆっくりと。まだ、日暮れまでには時間が余っている。行く宛はない。

 いい未来をつくる場所として住まいを提供してきたのではないのか。

MOAIは僕の後ろから、無言でついてくる。時折、哀しい目をしている。

 よりよい暮らしを手にしましょう、と語り続けてきたのではないか。

もう、やめて。風が僕の耳元を通るたびに、運んできていた。

僕は内臓も筋肉も、使い古したぬいぐるみみたいに綻びだらけだった。体は歩くたびに悲鳴をあげ、痛みのない身体がどんなふうだったか忘れかけていた。

僕は公衆電話を見つけると、ランダムに番号を入力した。呼び出し音が、何度かした後、電話口に女性がでて、もしもし、と言った。僕は、ごめん、と言って慌てて受話器を置いた。

それからしばらく考えて、携帯電話でもランダムに番号を入力し、cメールに画像を貼り付け、送信した。

そして僕は再び歩き始めた。痛みが強くなると、僕は同じように携帯で画像を送りつけてた。そうしている時だけ、痛みが柔らぐ気がした。

MOAIは無言でそんな僕のそばを片時も離れなかった。ただ、哀しい目だけはかわらなかった。



※カナダ 女性支援団体の取り組み。声に出さずに手のひらでDV被害を伝え、助けを求めることができる。


よろしくお願いします!