ヒーローショーがしたい
そう思っていた時期が私にもありました。
そう思って、サークルを結成したお話です。
やりたいけど、どうしたらよいのか……なんて少年少女たちを少しでも後押しできればなと思います。
行くぞ!!!(見切り発車)
サークルを立ち上げるまで
僕は昔からヒーローが好きでした。日本の特撮に限らず、ヒーローという存在が好きでした。中学生のころにオタク仲間と戯れながらそんな欲を満たすために映像を撮ったりしてました。(一生完成しない)
そんな中、見切り発車を体現した暴走機関車こと、てらきた(自分)はユーチューバーになろうとほざき始めます。
https://www.youtube.com/watch?v=qW9QJtJ8Gjg
ここに供養しておきます。
元は自分を含め、4人でやっていたのですが(動画は削除済み)、高校卒業前をきっかけに僕と、動画の彼だけが残ります。
そうして、舞台……ヒーローショーやりたかったし挑戦するか。などと暴走機関車は走り出します。
悪魔(てらきた)との契約
動画の彼、(以降友人A)に手伝ってくれる人はいないかと相談します。
友人Aはちゃんとした募集要項をタイムラインに公開しようかと提案してくれたので、お願いすることにしました。
これが実際に友人Aが投稿してくれた記事です。
そしてコメント欄でいくつか反応があったのですが、ここでのちにサークルを支える、てらきた、友人Aに続く、友人Bが愚かにも現れたのでした。
彼にとっては運の尽きとも言えます(最高の笑顔)
この言葉を最後に友人Bはてらきたの元へ召されます。
こうして、てらきた、友人A、友人B、そして幾人かの彼らの友人、後輩などが集まって、演劇サークル『ノースペン』が誕生します。
ちなみにサムネイル画像の3人はこの3人ではありません。
失敗の連続
こうして、高校生活も残すところあと二か月! そんなタイミングでしたが、僕と友人Aは活動地域が宝塚市だったこともあり、宝塚を舞台としたヒーローショーを企画します。
しかしやったことのないことが連続して立ちはだかる!(当たり前)
スーツの作り方はおろか、音源の作成、殺陣など。
演技に関してだけは、少しだけ知識があったのでなんとかなりましたが、それでも全体を見ればなかなかボロボロだったと思います。
そんな中で、てらきたの信頼不足によって内部分裂が起こり、予定していたショーの実現は現実的ではなくなり中止となります。
次回公演に望みをかけ、メンバーに声をかけますがこの1件でみんなは各々の道へ行くことになりました。事実上の解散です。(早い)
そうして最終的に残ったのが、僕と友人A。そして友人Bです。
このときが本当のノースペン結成だったと言えるでしょう。
演劇祭への参加
次にやってきたチャンスは、公民館で行われる演劇祭というイベントでした。僕たちは仲間を集めてそれに挑むのですが、またもや空中分解。結論から言うと、僕に理由があると思いますがとりあえずそれは置いておきます。
ノースペンは演劇祭への参加を辞退します。
それまでにかかったコスト的な部分もあって、僕の気持ちはかなり落ち込んでいました。2度目の失敗はやはりダメージ大きかったですね。へへ。
てらきたフレンズ
友人Aと友人B。
ぶっちゃけ友達いないマンのてらきたからすれば、真の友人と呼べるのはこの2人だけかもしれません。
友人Aとの出会いは小学生3年のころ。漫才ユニットを組みました。
しかし、僕が転校したことで離ればなれに。
家も知らなけりゃ、携帯電話なんかも持ってませんでしたから、2度と会わんだろうなと双方思っていたに違いありません。
ところが中学になったときに、友人の紹介で彼と再会を果たします。
友人Bはノースペン結成時が初対面かと思いきや、実は同じ保育園で出会っており、すでに友人だったのです。時を超えた友人。おどろき。
それから彼とは長い付き合いになり、幾度となく夜を明かしました(?)
僕が心の底から信頼のおける2人は、演劇祭辞退後も僕を支えてくれました。
だからぶっちゃけ病んでたんですけど、このままで終わるのはいかんぞ! と気合を入れて、次回公演は自分を含めたこの3人だけでやる! そう計画し、ノースペンは第1回公演に向けて再度走り出します。
2015年1月18日
そしてついに初めての本番を迎えます。
もう当日まではちゃめちゃぼこすこどっかんばちばちな感じでしたが、なんとかやりきることができました。
本番の動画もありますよ(宣伝)
https://youtu.be/lqFZH-yOQP4
正確には3人だけではありません。ノースペンの3人と助っ人1人、そして当日お手伝いに来てくれた先輩やKDU(当時)の人たち数名。
色々な人たちの助けを得て、1年越しにノースペンはヒーローショーを初めて成功させることができました。
これを最後に代表のてらきたは上京します。ノースペンは事実上、無期限の休止状態になります。
(東京でのお話はこちら)
ノースペンの復活
約2年の時を経て、僕は関西へと帰ってきます。
色々な挫折があって創作意欲もほとんどなかったのですが、なにもしないのは自分の信条に反するので、ノースペンを再始動させるために友人Aと友人Bに声をかけます。
快く受けてくれた2人(さすが)と共に第2回公演へ向けて再始動を始めました。
それから、宝塚の公民館で細々とではありますが、公演を重ねてゆきます。
様々なキャラクターを生み出し、かつての3人は約3年に渡って物語を紡ぎました。
僕に友人は多くいませんでしたが、なんだかんだとずっと居てくれる友人Aの力があって、これだけ活動ができたと思います。ありがとう。
昔、ロープを持参で君の家まで行って捕まえようとしてごめんね。逃げて自宅の扉を閉めるまでの早さが尋常じゃなかったね。
そして、てらきたに魂を売ってしまった友人B。君はノルマを課せられたように不眠不休で造形を手伝ってくれたね。ありがとう。
僕が1週間の旅行に行ったとき、作業全部押し付けてごめんね。1週間、あまりにも自然に僕の家で作業していることに母は驚いていたよ。
現在は各々の事情により、3人の活動はありませんが、この2人の友人たちの尽力があったおかげで、暴走機関車てらきたの願望を果たすことができました。ここで感謝をのべておきます。
世代は変わり
ここ2年間の活動は新たな仲間、小谷勇太くんが加わり、主に僕と2人で細々と活動しています。
彼は吉田商店という劇団に所属する、まだ10代の役者さんです。
見ていますか? 親しき私の友人たち。小谷勇太くんが君たちに代わって、てらきたに魂を売っているよ。(暗黒微笑)
また全員がそろってヒーローショーをやるのは現実的に厳しいと思いますが、一応そんな日も夢見ながら、変わらず細々とヒーローショーをやっていきます。
ここ近年のショーはこちらでアップロードしておりますので、もしお時間があればのぞいてみてください。
結論
趣味でヒーローショーをやりたいけれど、まずなにをすればいいのかわからない。そんなそこのあなた!
友人が少なくても大丈夫。
ということだけしっかり伝えておきます。
ノースペンの前身であるサークルも僕と友人Aから始まりました。僕は基本的に見切り発車しかしないのですが、協力してくれる彼が居たからこそ、相談できる彼が居たからこそ、どうにかなったのです。
たった1人。されど1人です。
それだけの力で目標を達成することは可能です。
そして友人Bも加わり、僕は運よく3人で活動ができました。
たった3人。かもしれませんが、目標の達成は余裕ですわよ。もちろん、自分がそれだけ達成したいと熱量があることが大前提ですが。
今は後輩の小谷勇太くんもいますし、ノースペンの活動は昔と違って安定しています。ただ、こんなことを書いていると、大変だった創設時代と若かった自分のあきらめの悪さ、友人たちの協力、そしてお前なんも考えてないやろという自分など、色々と懐かしんでしまいますね。
このちっぽけなサークルの誕生物語が、悩んでいる誰かの道しるべに少しでもなればいいな。と、そう思いながらこれからピザ食べるので失礼します。