夏休み。ある教員のひとりごと
お正月ぶりに帰省して、母の愚痴を聞き、私も愚痴を聞いてもらいました。
仕事がしんどい…とはまだ両親には言えていません。でも多分、母は感じてるんだろうなぁ笑
言語化する中で、自分がモヤモヤしてたことの輪郭が見えてきて、自分の思い描く理想が、まだ途上ですが具現化してきているように思います。
父の通院先での話。
あるお医者さんが、父に生活改善の話をだいぶ高圧的になさったそうです。「このままじゃ死にますねー。改善しないとやばいってわかってますか?」的な内容だったそうです。
父の仕事は時間が変則的で、決まった時間に食事が取れず、睡眠時間や出勤時間も日によってかなり変わるため、健康診断で生活習慣やばいっすねーって数値がでたそうです。
娘としては、健康の話をきちんとしてくださる分にはとてもありがたいのですが、なぜか付いていった母が怒っているのです。
「私だって頑張ってるのよー?!」
的な気持ちかと思ったら違いました。
その数値がでることは、検診前に仕事がハードだったことから分かっていたと。
「なぜ父より1回りも2回りもふくよかで立つのも座るのも大変そうな先生に、生活改善のために色々手は尽くしている父がこんな言われようをしなきゃいけないのか?」
ということでした。
母は大真面目でしたが、私は大笑いしてしまいました。しかしふと、我にかえって考えると、私の感じている違和感、不快感の一端はこういうところにあるのかもと思いました。
この人に言われても信じられない。
保護者にも生徒にも、そう思われたら、教員は教員でいられないと、少なくとも私は思っています。子どもに信じてもらえない大人にはなっちゃいけない、と。
ただこれは、自分や一部の人たちが掲げるだけの、あまりにも高尚な目標だったのかなと思うことが度々あり、疲弊してしまったのです。
簡単に言うと、信じてもらえるように努力し続けている自分がアホらしくなる時があるということ。
もっというと、自分の頑張りたい!やらなきゃという想いと、周囲との乖離にしんどさを感じているのだろうと、自己分析しました。
自分だけがしんどいわけじゃないということは重々分かっているのですが…。たまに顔を出す、「理想が高いですね」という皮肉の籠った言葉に、どれほど傷ついたか。
母の場合は「医者」という仕事にプロ意識を持っていて欲しかったのでしょう。
私の場合は「教員」という仕事に、譲れない部分が多いのです。
私はまだ一人じゃないから、私よりもっともっと高い視座を持って、一緒に高い理想を掲げてくれる人がいるから、何とか立っています。
でも、今年度に入ってから、膝から崩れ落ちてしまいそうなくらい、辛かった。
何が辛いか、その時には言語化できなかったけれど、この夏自分と向き合ったことでこれがわかりました。
頑張りすぎないように頑張る。
自分は自分。周りばっかり気にせずに、自分のやりたいことをやる。
これが夏以降の目標です。
夏休み明けは、なるべくちゃんと休息をとります。代休は2桁切った状態にしたいです。有休もとります。早く帰れる日を増やします。
しっかりリフレッシュしたはず。
また頑張りすぎずに頑張ります。
しょうもない独り言ですが、読んでくださりありがとうございます。
皆さんが少しでも楽しい人生をおくれますように。
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