家を買うまで


生まれて一番古い記憶はまだ両親が揃って一緒に暮らしていた頃、ふたりともまだ寝ている時間に目が覚めたのでコップにバナナを入れて潰して牛乳を入れバナナジュースにして飲んだこと。美味しかった。

次が夏の暑い日、父と2人家にいてアイスが食べたくなり冷凍庫の製氷皿氷を舐めようとして舌がくっついた。舌先が氷に張り付いて取れなくなって泣いた時、父が気がつき怒られた。舌先の皮が少し剥けた。

夜、声がして目が覚めた。寝室の襖の隙間から溢れた光に誘われて覗くと両親が言い争っていた。瞬間、父が母の頬にビンタ。怖くなって布団に戻った。見ていたことを怒られる気がして。

夜逃げのように黒のワンボックスカーにたくさんの家具と私を乗せ、父は田舎の祖母の家へと向かった。
私1人祖母にしばらく面倒を見てもらった。
少しして新しい母と暮らすことになり、また都会へ戻った。会ったことのある人だった。
前より小さなアパートで暮らす。父が仕事に行くのが嫌だった。泣いて縋るのを母に引き離されて布団へと投げられた。
またしばらく祖母の家に預けられた。幼稚園に通い、年長組の途中で戻ると妹ができていた。柔らかそうで触れると壊れそうで触れなかった。
母が怖かった。優しかった時もあった。前の母よりも怒るので怖かった。留守番が以前より増えた。母の母に預けられることもあった。歯のない小さな犬がいて噛まれて泣いた。

よく覚えていないのだが今度は父と2人で祖母の家にいた。小学校に上がる少し前だった。祖母が一緒に鞄屋でピンクのランドセルを買ってくれた。小学生になるまでは触ってはいけないと、箱に入れたまま和室に置かれていたがたまにコッソリと箱を開けて眺めていた。
父は長距離トラックの運転手だったので1週間に1日か2日しか家にいなかった。

小学校に上がると関西の方言を咎められたりピンクのランドセルをおかしいと言われたりまぁ色々あった。元の友達に会いたくて帰りたいとよく泣いた。好かれていない自覚があった。我儘で泣き虫だったので煩わしかったんだろうと思う。先生も面倒で忘れ物が多く宿題をしてこない私は好きではなかったんだろう。

2年生の頃、また母と暮らせると聞いて私は喜んだが思っていた方の母ではなかった。母が妹を連れてやってきた。祖母は歓迎していないようだった。少しの間一緒に暮らして以前より少し仲良くしていたと思う。怖いと思わなかった。ある日の夜父と母が喧嘩をしその翌日母は妹を連れて出て行った。「どこに行くの?」と聞いた私を振り返りもしなかった。それからもうずっと会っていない。
参観日にはずっと祖母が来ていた。たまにみんなが母親に車で連れて帰られる日に車を持っていない祖母は来られなかったので私は帰り道を1人で歩いた。たまらなく嫌だった。でもどうしようもなかった。
9人しかいないクラスで1人の女の子とだけよく一緒に遊んだ。面倒見の良い子だったので私の我儘によく振り回されていた。悪いことをしたと思う。未だに付き合いがあり、彼女は今結婚して子供もいる。幸せでいてほしいと思う。

中学校、よく休んだ。保健室登校なんて言葉もなかったので休むと言うと祖母に散々詰られた。人格否定というやつ。思えば小学校低学年の頃からうっすらと死にたい気持ちがあった。祖母に怒られたり喧嘩したりするとこの家は私の家なので出ていけとよく言われた。小規模な家出をしても怒られた。父は大体家にいなかったし、たまに家にいる時にどこかに連れて行ってくれても私の行きたいところには連れて行ってくれなかった。父のやってやりたいことと私のしたいことは何一つ噛み合わなかった。
学校が好きではなかった。先生も嫌いだったし例の友達以外あまりみんな好きではなかった。いじめまではいかないが揶揄われたりとか勝手に机の中を見られたりとかはあった。その頃にはそれなりに気が強くなっていたので適当にしていた。たまに気が負けて休むことを繰り返した。内申点は最悪で名前を書けば受かるような高校にしか行けなかった。
3年生の夏休み妹と弟が遊びに来た。弟がいたのは初耳だった。父も知らなかったらしい。なんだそれ。1週間ほど一緒に生活した。とても可愛らしかった。兄弟というものが羨ましかったので会えたことが嬉しかった。祖母はずっと素っ気なくしていた。あちらの母が嫌いだから妹と弟のことも嫌いなんだそうだ。間に入りとても気を遣った。妹達はなんと無く察してか祖母に近寄らなかった。
親族が皆教師だったりしたので集りのたびに私立はお金掛かるので公立校に行くようにと散々言われていたが公立は受験もしなかった。そのことを叔父が碌でもないと言っていたらしい。祖母から聞いたと父に言うと祖母は父に怒られていた。言わなければよかった。
父は私に大学に行きたくなったらタバコと酒をやめてでも行かせてやると言っていた。
私立を奨学金で行き成人してから月に2万ずつ全て自分で返済をした。父は今に至るまで酒とタバコは一度たりと欠かしたことがない。
高校も色々あったが結局勉強は頑張れなかった。やる気がなかった。だけど休まずに通っただけ中学校よりはマシだったと思う。
デザインの専門学校に行った。途中で最初の母から学資保険といって掛けた額より少なくなったらしいお金を振り込まれた。お金が無くて後期の学費が払えないと祖母に言われた後だったのでとても助かった。海外研修にもいけた。
卒業してから印刷会社のデザイン部に就職したが長い残業と合わない職場環境に1年で辞めた。一旦実家へ戻ったが何かのきっかけに父と喧嘩をした。私は父の再婚が早かったことを浮気していたからではないかと思い問い詰めたが事実は母が浮気をしていたので対抗して父も浮気をしたということだった。だから幼い頃まだ血のつながった母と暮らしていた頃に後の母と会ったことがあったんだ。謎解明。だからなんだというのだ、この後12年父と口を聞かない年月が過ぎた。いまは祖母の介護周りのことで当てにされているために連絡を取り合っている。
今は介護の仕事をしていて専門学校に行った意味がなかったかもしれないと思うことも少なくないがその時の友人と何やかんやルームシェアをしていたり楽しく生活させてもらっている。

やっと明日自分の家が手に入る。出て行けと言われなくて済む、私の家。全部自分で決められる。祖母が嫌いなので絶対にダメだと言われていた私の大好きな猫とも暮らしてる。今が人生で一番楽しい。だけど家を買うことは父にはずっと内緒にするつもり。そのくらいは許されたい。

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