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ひとり暮らし初日のポトフ

 私は高校卒業と同時にひとり暮らしを始めた。あれから20年近く経つというのに、ひとり暮らし初日に作った夕食のことは今だによく覚えている。その料理はポトフだ。

 当時私は気になるレシピをスクラップすることに凝っていた。レシピの切り抜きを集めたファイルにはラタトゥイユやビーフストロガノフなど食べたことのないおしゃれな料理のレシピでいっぱいだった。ひとり暮らしを始めたらこれを作って、おしゃれな生活をするんだとずいぶん意気込んでいたものだ。その中のひとつがポトフだった。ポトフは本来、家庭の素朴な煮込み料理なのだが、田舎から出てきたばかりの当時の私にはとてもしゃれた料理に思えたのだ。材料もキャベツ、にんじん、じゃがいも、ソーセージと手に入りやすく、調理方法も切って煮込むだけと手軽さからポトフを作ろうと決めたのだった。

 食材を買いに行ったときのこともよく覚えている。野菜を選んでいるとき、一人前の大人になったような気がした。ひとり暮らしで自炊をして、野菜もちゃんと食べて健康のことを考えてるんだぜと誇らしげに思い、「ちゃんとした大人」の仲間入りをした気分になっていたのだ。そしてちょっぴり奮発して、噛んだときにパリッと音がするソーセージを選んだ。スーパーのプライベートブランドの一番安いソーセージだったけれど、私にとっては背伸びして買った贅沢品だった。ささやかな自分への引越し祝いのつもりだった。

 ワンルームのキッチンは狭く、調理は思っていた以上に大変だった。まな板よりも小さなシンクのすぐ隣は一口しかない電気コンロ。食材やまな板を置くスペースは一切ない。シンクにまな板を橋のように渡して、買ってきた野菜を洗い、まな板の上に置く。実家のキッチンと勝手が違いすぎて、たったこれだけの作業がとても大変だった。やっと煮込む段階にたどり着いたと思えば、電気コンロはなかなか熱くならず、レシピに書いてある煮込み時間を過ぎても野菜は固いままだった。あとどれくらい煮込めばよいか検討がつかなかった。結局、じゃがいもが菜箸で割れるようになったあたりで火を止めた。

 初めて作ったポトフははっきり言って失敗だった。にんじんとじゃがいもは固過ぎた。比較的火が通りやすいキャベツですら芯の部分が固かった。圧倒的に煮込み不足だった。

 西日の射し込むワンルームで失敗作のポトフをもそもそと咀嚼した。はりきってひとり暮らしをスタートさせたのに、思うようにはいかなくて落ち込んだ。ひとり暮らしに理想を抱いていたぶん、落胆は大きかった。夕暮れ時のメランコリックな雰囲気も相まって、情けなさに涙が溢れた。簡単だと思っていたことが予想以上に難しくてこの先やっていけるのかと不安になった。思い描いた「ちゃんとした大人」はこんな些細なことにもつまずかず、もっといろんなことを簡単にこなしているように思えた。食材を買いに行ったときはそんな大人の仲間入りができたかのように思えたのに、それは間違いだった。そして自分がそんな「ちゃんとした大人」になれるとは到底思えなかった。打ちのめされたような気分だった。泣いたせいか、コンソメ味が少ししょっぱく感じた。

 せめてもの救いは奮発して買ったソーセージがおいしかったことだ。噛むとパリッと音がして肉汁がじゅわっと口の中に広がった。辛いときでもおいしいものは変わらずおいしかった。奮発して買ってよかったと心から思えた。辛いことがあったらおいしいものを食べようと、このとき私は心に誓った。

 あれから20年近く経ち、あの頃に比べると私は大人になった。苦い思い出のポトフは今や我が家の定番メニューとなっている。最近野菜が不足しているなとか体の調子が悪いなというときの頼れるひと皿だ。あの頃はひとり暮らしだったけれど今は家族がいて、味噌汁用の片手鍋で作っていたポトフは大きな鍋いっぱいに作るようになった。人気の具材のじゃがいもは3、4個使い、キャベツもまるごと使う。ソーセージはパリッと音がするものを選ぶところは変わらない。よくよく煮込んでじゃがいもはトロトロ、キャベツはクタクタにするのが我が家流だ。今ではもう失敗することはない。

 この20年弱の間、ポトフを失敗したようにたくさん失敗し、情けない思いもたくさんした。あの頃の私に教えてあげたい。あなたの思う「ちゃんとした大人」はみんな人知れずたくさん失敗していろいろなことができるようになったんだよ、と。西日の射し込むワンルームで落ち込む私にそう声を掛けてあげたい。だから大丈夫、と言ってあげたい。

 今の私が、あの頃思い描いた「ちゃんとした大人」に少しは近づいていたらいいなと思う。

 

 

 

 

 

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