大切なものを慈しむ未来

3年ぶりに会うお友だちは、私の住む地域より、ずっと南の方に住んでいます。

もとは関西に住んでいたので、その頃を思えば、新幹線でほんの数時間の距離となった今。
会える可能性はぐっと高くなったはずですが、お互いの時間になかなか折り合いがつきません。
そして気づけば、3年の歳月が流れていました。

便りのないのは良い便り。
身近にいる人たちがよく口にしていました。

私が育った環境は人の出入りが激しく、身の回りには常に大勢の他人がいました。
厳格な実家と、酒造業を営む母の実家に共通項があるとすれば、いつもたくさんの人が関わっているということです。

私は酒蔵の暮らしがとても好きでした。
蔵で働いてくれる男衆さんたちの居心地のいい環境を作ることに燃えていた子ども時代だったと思います。

魔女の宅急便のキキの次くらいには、デッキブラシを使っているだろうと自信を持っていました。
蔵に入り、神棚と大きなしめ縄の先は、酒を造る場所です。
その手前のコンクリートの床をデッキブラシで磨く。
それが、お泊まりの許可をもらえた夏休みの朝のお手伝いでした。

蔵の男衆さんたちの朝は早いので、お夕飯の時間がとても早かったです。
私が普段できるお手伝いは、その準備。
自分自身は極度の小食ですが、おいしそうに、お腹いっぱいご飯を食べる人を見ると、わけもなく心がほっこりするのは、そういう経験があるからなのかもしれません。

周りにいる人たちに、細やかな目配り気配りを届けること。
声や仕草、歩き方からは普段通りなのか、そうでないのかが伝わります。
違和感を持ったら、何気ない言葉をかける。
私はそれがとても大事だと思っていました。

そういう生活を通して、身をもって感じたことがあります。
便りを出せないほど苦しんでいる時もあるということです。

私は感受性が豊かだと周囲の大人たちから言われることが多かったです。
もの作り、特に麹菌という生き物を扱う場所で育ったので、心の動きには敏感だったと思います。

酒蔵にとって一番の主役は、その年にできた酒です。
そして、その酒を造る先頭に立ってくれる杜氏さん、協力してひとつのものを生み出してくれる蔵男さんたち。
まるで家族のように敬い、ねぎらい、みんなで完成を目指すものだから、いいものができているという気持ちがありました。

江戸時代から続く母方の酒蔵は、派手に売れるような酒を造っていたわけではありません。
それでも、長く呑んでもらえる酒を造り続けていました。
私はそれを誇らしく思っていました。

商売なので、利益を出すことは大切です。
しかし、それが勝ってしまうと、人はそれまで守ってきたものを安易に捨ててしまうのだと知りました。

お金で変わっていった人たちは、思春期まっただ中にいた私を猜疑心の塊に変えてしまいました。

私は深く考えるクセがあるせいで、感情がないわけではないのに、うまく表出することができなかったと思います。
言葉にすると、本心を的確に言い表せていないという感じがするのです。

そして、そのことに目が行きすぎると、感情を出すことを忘れて、消化できないまま通り過ぎていました。

ただ、「怖い」とひと言でいいから誰かに言えていたら、ここまで苦しみが続かなかったのかもしれません。

少なからず「言語」を扱う仕事をしていた私には、言葉が時として人を徹底的に傷つけることを知っています。
自分が傷つける側になったこともあります。
悪意の有無にかかわらず、言葉はとてもデリケートなものです。

私は調和を何より大切にしていました。
そのために選んだのは、持ちすぎないことです。
人との関係も、モノも、丁寧に扱える量は個人で違います。

私は周りにとても気を配るのに、自分の気持ちをひどく疎かに扱ってきました。

祖母が嘘をつき、生活は一変しました。
それは孫であった私の生活だけではなく、関わるすべての人の生活を変えてしまいました。

私は「怖さ」の奥にある、様々なもつれを見つめすぎたために、「怖い」と言えず、ここまで来てしまいました。
周りを傷つけることは極力避けられても、自分自身にずっと嘘をつき、たくさん傷つけてきたということです。

バランスを崩し、高価なものに価値を見いだそうとしていました。
持ちすぎていた時代もあります。
もともと抱えることができる量が少なめだった性質のバランスも狂いました。

私はあまり、人と関わることを求めません。
自分から関わることもなく、友だちだと思える人はとても限られています。
そしてそれは、たいていの人が想像する人数よりはるかに少ないのです。

モノを増やしたせいなのか、人との関わりはそれまで以上に億劫に感じるようになっていました。

何もかもが嫌なのに、表面上は人当たりよくみせる自分のことが一番嫌いでした。

3年ぶりに会うお友だちは、年齢がかなり下です。
出会ったのも、そんなに昔というわけではありません。

初めて彼女の顔を見たとき、幼い頃に大切にしていた宝物を思い出しました。
オルゴールの中にしまっている、とびきり大事にしていた模様入りのビー玉。
たくさんの中の、特別なひとつです。
そのビー玉を見つけた瞬間に感じたわくわくドキドキを、彼女の瞳の輝きの中に見つけました。

お友だちなれないかな、声をかけてみようかな。
そんな特大の勇気を出した場所は、今、彼女と旦那さんのホームタウンになりました。

折にふれて届ける便りや、ふたりへのお誕生日のプレゼントなど、相手のことを想って用意することが幸せだと感じます。

誰かに気持ちを話すこと自体になれていない私は、相談する時にまだ勇気が必要です。
それでも、打ち明けられる存在ができた事実を見つめたいと思うようになりました。
だめだなぁと思っている自分の悪いところを教えてくれる、大事な存在です。

お互いに似ているところがあり、反対に世代の差を感じることもあります。
彼女と話していると楽しいので、年齢はすっかり忘れています。
生きている年月が長いので、その分私の方が経験は多いと思います。

でも、結局「年齢差」というのはそれだけのことなのかもしれないとさえ思えます。

どんな事柄からも学ぼうとする姿勢は、彼女の素晴らしさです。
嫌なことは嫌と言える強さ。
弱いところに向き合う一生懸命さ。
お茶目なかわいらしさ。
いろんな側面が、彼女の魅力につながっているのだと思います。

会えなかった3年の間に、私は何度目なのか分からない人生の岐路に立ちました。
選択を誤ったとは思いません。
一度立ち止まる時間が必要だったので、どの道を選んでも、結局体を壊していたでしょう。

長いお休みの時間は、そろそろ明けそうです。
だけど、これから先の未来は、大切なものを今まで以上に丁寧に扱う時間の使い方をしようと思います。

楽しみを分かち合う存在は、今後増えるのかどうか分かりません。
心に余裕ができれば、自然に増えるかもしれません。
それはそれで、とても豊かなことなのかもしれないと思えるようになりました。