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感想"仮面ライダーセイバー"という物語 一章

「物語の結末は俺が決める!」という言葉と共にデビューを果たした令和2作目の仮面ライダー、仮面ライダーセイバー。
ここまで最初から苦境の中で生まれた仮面ライダーもそうそう無いだろう。言うまでも無いがウイルスにより撮影手法を変えざるを得ないことは簡単なことでは無いことくらいは誰にだってわかる。仮面ライダーゼロワンは緊急事態宣言に伴い撮影を続けることが出来なくなり、総集編を重ね計6話ぶんの話数が欠けてしまい劇場版は冬にセイバーと共に延期になったことももはや懐かしい。
いつ誰がウイルスに感染するかもわからない中、放送中止にもならず、誰一人も欠けることのなく走り切ることができたことにまずはお疲れ様でしたの言葉を贈りたい

本作はそんな変化の過渡期に生まれる新しい仮面ライダーです。これまでとは違う様々な発想、表現、撮影、演出手法を取り入れ、新しいことにチャレンジしていきます。今の環境でも撮影を続けていくこと、そしてその中でも驚きと楽しさを伝えていくこと。仮面ライダーは内容とともに撮影方法と表現方法も進化していきます。
変わっていくもの、変わらざるを得ないものがある一方、変わらないものもあります。監督、脚本家をはじめとした番組スタッフ、キャストは番組を作れる喜びと、番組を届けることを今まで以上に強く意識し、一丸となって撮影に臨んでいます。そしてもう一つ、人が持つ力、人との絆は変わるどころか今まで以上に強くなっているように思います。

第1章見どころより

そんな仮面ライダーセイバーが1年間紡いだ物語に想いを馳せていきたいと思う。しかしあまりにも色々あり過ぎたためその事を振り返ると、良いことばかり書けるわけではない。だが仮面ライダーセイバーという物語に付き合ってきた1人のオタクとして、この1年間の感情をここに置いておきたいと思う。それもまた1つの物語になるのかもしれない。

1年間という時間の中で

このことについては書くべきかやや迷うのだがセイバーについての嘘偽りない気持ちとして残しておきたい。

まず作品外で主演の内藤秀一郎くんが素行不良と言いたくなる(週刊誌にすっぱ抜かれてしまう)出来事が番組開始直後にあった。作品終了後にやらかしてしまった例は幾度か思い出せるが、作品が始まってしまう前にやらかしてしまうことは前例が無かった。特撮作品の面白さとは物語の面白さだけではなく、じっくりキャストが一つの役と向き合っていくことでキャスト達の成長を見守る側面もある。ニチアサか大河ドラマでもない限り1年も1つの役と向き合うような作品もない昨今。特に何の色もついていない役者が1年経った中でその面構えの変化を観るとわけもなく嬉しくなる。

だが、こういったことが続くようならセイバーという作品を応援する中で内藤くんがノイズになるかもしれないという、辛すぎる現実と向き合う覚悟もしていた。それが嫌で一時期彼の公式Twitterアカウントのフォローを解除していたこともあった。
しかし、もし彼が1年間神山飛羽真と向き合うことで成長することが出来たならば私はそれこそ仮面ライダーセイバーが成し遂げたことの1つになるだろうと期待を込めていた。実際監督に「丁寧に芝居をしろ(生きろ)」と言われたのが響いたと語るように、演技力も上がっていき「彼以外に神山飛羽真はありえない」と私も思うようになった。

ゴースト→セイバー

本作のメイン脚本家である福田卓郎さんは6年前の仮面ライダーゴーストのメインライターでもあるのだが、ゴーストという作品を振り返ると福田卓郎さんについて思うのが、「壮大な歴史を抱えた作品を得意としていて、その設定自体は面白いのだが、作中でお出しされる情報が少なすぎる」という問題があった。
小説 仮面ライダーゴーストを読んだことはあるだろうか?


こちらの小説はテレビ本編のほとんどの謎を「あ、彼の意味深な言動ってこういうことだったんだ!!!」と解消させることが出来るほどで、視聴者が見ていたテレビ作品「仮面ライダーゴースト」は壮大なバックボーンの上に存在する物語だったのだ。タケルも龍さんもマコト兄ちゃん、アラン様にも歴史があって我々が見ていたのはその一部だったのだ、と新たな気づきを与えてくれた反面、「どうしてこれを、もっとテレビシリーズで分かりやすく言ってくれなかった……知ってさえいれば……」と仮面ライダービルドが放送時(つまり作品が終了して1年以上経ち)に刊行された本書を読みながらやり場のない気持ちを抱えてしまったことを覚えている。

故にセイバーで同じような問題が起こるだろうというのが想像に難くなかった。故にセイバーを100%楽しむために、ある程度視聴者側で「これってこういうことなのでは?」と前のめりで感じ取っていく姿勢が必要だろうと予測していた。一方でゴーストを踏まえより情報の開示を上手くやってくれればすごく面白い話を観れるのではないか?という期待もあった。

全知全能の書

では、実際に明かされたセイバーの世界観とは何だったのか。
それは全知全能の書という一冊の本にこの世界の技術、出来事の全ては記されていて、果ては世界の終わりまで記されているというものだった。クウガ以降20作以上も作られた仮面ライダーの世界。神(アギト)や人類の上位種(オルフェノク)、未来人(電王)や宇宙人(ビルド)、並行世界(ジオウ)も登場してきたが、これほどまでに絶望的な世界は無いだろう。
世界の始まりから終わりまで記されたアカシックレコード。仮面ライダーセイバーの闘いで産んだ数々の奇跡も全知全能の書に書かれた出来事であった。ご都合主義、脚本の都合などと言うメタメタしい言葉すらねじ伏せる力技のような設定。しかもそれは何と本作のストーリーテラー、タッセルにより1話より語られていたことだったというのだから恐ろしい。我々はそのビジュアルの奇抜さで聞き流してしまっていたのだ

その全知全能の書に自分が生み出したと思った詩も、それで人々が喜んだことすらも記されていたことを知り、人間に何かを生み出す力はないと絶望しせめて美しく世界を滅ぼすラスボスとなる道を選んだ詩人ストリウス。
そして2000年の時を経てルナ(ワンダーワールドの導き手)に選ばれた主人公たる神山飛羽真
紆余曲折ありながら戦ってきた仲間の剣士達とストリウスの居城へ最後の決戦へ向かう。多人数ライダーでありながら味方ライダーが誰一人欠けることなく、朝日の中各々の信念を胸に1つの目的のために同じ道を進む流れはこれまでの仲間割れなどを思い返すとついに…!という感慨もあった。

ストリウスが蘇らせた4賢神を足止めし飛羽真をストリウスの元に向かわせる仲間達。ソードオブロゴスの剣技の始祖と言われる賢神を倒す為にデザストの技を使う蓮、自身ごとスラッシュに撃たせる尾上さん、折れた時国剣を突き刺す麗花、コンビネーションで辛くも倒した蓮と賢人など、ゼロワンやルパパトで魅了した杉原監督や渡辺淳アクション監督の演出も際立っており10人もいながらサブライダー全員見せ場があったのは素晴らしかった。

そして最終回、ストリウスに対峙する飛羽真。そして駆けつけた倫太郎、賢人の3人。新たなワンダーライドブック、ワンダーオールマイティワンダーライドブックを創造し、ストリウスを打ち倒す。
だがストリウスを倒しても世界の消滅は止まらず全知全能の書の結末通り世界は消滅したに見えた。しかし芽依ちゃんが世界から物語が消えていく中で人々に「忘れられない物語」のことを呼びかけたことで物語により世界が満たされ世界は崩壊から救われた。
この忘れられない物語を語る人々の劇中での映像は実際に視聴者から募集したもので、次回予告でも視聴者である我々に「あなたに忘れられない物語はありますか?」と問いかけているのが心憎い。

このオチの良いところは「この世界の結末は全知全能の書に決められている」という前提をひっくりかえさずに収めたところだと思う。全知全能の書の結末通りいちど消滅した世界を人々(視聴者を含めた)が物語へ想いを馳せることで新たな世界を創造する。人が物語を産むなら、物語から人を産むことも出来るはず。
そして飛羽真は1年かけてワンダーワールドを、作中で消滅していった人々の物語を書くことで復活させ帰還を果たした

かつてウルトラマンネクサスで話数短縮に見舞われながらも最終回を綺麗に納め切ったように、この世界の結末が決められているという袋小路な展開でも見事にそのルールを崩さず大団円に持って行った長谷川圭一先生の手腕には拍手を送りたい。(注1)

ストーリーを思い返す

仮面ライダーセイバーには私は多大な期待を寄せていた。学生のころは文学作品を読んでいたし、一番好きな仮面ライダーは剣なので、両方の要素を併せてもっていたセイバーのキャッチコピーが「文豪にして剣豪」と記されていたとき、「勝った……」と誰に言うでもなく独り言を言ったことを覚えている
しかもこの作中の重要なファクターに物語がある。物語を描く物語。セイバーという物語の中で、そしてセイバーという作品自身の面白さやエネルギーという二重のフィルターを通されて描かれる物語に期待を寄せていた

ではそれが100%上手くいったのか?と言われると……。

私は上で情報の開示を上手くやってくれればすごく面白い話を観れるのではないか?という期待をしていたと書いた。しかしそうは上手くいかなかった。
セイバーのストーリーを振り返るに序盤は「そもそも飛羽真達ソードオブロゴスもカリバー達メギド組も何をやっているのか」という点が致命的なほどに分かりにくかった。
例えばジオウなら最悪の未来を変えるためにライドウォッチを集める。ゼロワンなら序盤はヒューマギアを守る為に滅亡迅雷.netの暗躍を止めるというざっくりとではあるが分かりやすい目的があった。
しかしセイバーはメギドの暗躍を止めるという出来事はあれどそれが何につながるのかは非常にわかりにくかった。特に序盤はゴーストが眼魂を集めていたように、セイバー達の目的もワンダーライドブックを集めることが目的と勘違いした人もいるのではないか(しかもキングオブアーサーが眠るアヴァロンにたどり着くために実際問題WRBを集めていたので余計に混乱を招く)。私である。
最悪撮影所内だけで撮影が完結できるように色々配慮しているとはいえいつ撮影そのものが止まるかもしれない中で①キャラをたくさん出して、販促をする。②話を進める。③その中に今後の導線まで散らばせないといけない。
これらの事情を考えると、詰め込みすぎだ!と同情もしたくなるが。



特に13話の賢人の消滅シーン、35話のセイバー坂、と揶揄されるシーンなどが顕著なのだが、キャラクター側ではすごい熱量でドライヴしているのに観ているこっちは意味深なセリフ、そして視聴者が全容が把握できていない出来事が立て続けに襲ってくるので視聴者の感情が作中の人物の感情とシンクロできないという「いや、落ち着けよ」と言いたくなってしまうような距離感になってしまっていたのだ。
特に13話は肝心の賢人の最後の戦いに赴く際の掘り下げを剣士列伝というスピンオフで行ってしまうし、35話は全ての勢力が集結し、劇場版で登場したバハト、エモーショナルドラゴンの再登場という絶対盛り上がるだろこれという予告から、作中で起きた出来事を読み解くには公式HPの巻末付録というコラムを読んでくださいとなってしまうのでよりウーンとなってしまう

番組中盤からは敵が組織に潜む黒幕=マスターロゴスに一本化されたことである程度分かりやすくなったものの、変わらず「全知全能の書」「世界をつなぐ少女」「力を手にする運命」「選ばれし者」「最悪の未来」となんとなくは分かるがフワフワしたワードが「つまりそれって何なの?」という疑問の暗雲が晴れぬまま物語が進んでいく。しかも幸か不幸か一部の人間は全てを把握しているため知っている者同士で会話が進む中で新たな情報が開示される。そのため生まれるいくつもの点と点と点、点、点、点点点……。
点は置かれるものの、それが線に結ばれない、観ている側が点を拡大してどうにか線を引いてるという状態だった。

私は最終回前にセイバー2周目を視聴したのだが、「世界の全てが全知全能の書に全て記されているという事実」を分かったうえで観ると意味深な言動もカッチリはまる部分も多い。
それに作中であれってなんなの?という疑問の大体は翌週などで芽依ちゃんや尾上、大秦寺らが聞く。ユーリが答えるというプロセスが出来ているために後で補足はされることはされている。しかしリアルタイムで作品を追うことの弊害とでも言うべきなのだが、リアルタイムで作品を視聴するということは、作品全体ではなく、その回その回単独での評価になってしまうのだから1週間後に説明されるのでは遅い!と思う人がいても当然のことではある。
それに全知全能の書の真実を中盤に開示していたなら全てが茶番に見えてしまうだろうから開示のタイミングは最終回直前しかない。

だが、ルナ⇄飛羽真⇄賢人という幼馴染三人組は明らかにこの作品の縦軸の1つですという素振りをしながら「俺たち3人は大切な友達でずっと仲が良かった」ということの表現で出てくるのがいつもの公園で本を読み遊んでいる3人というOPで何度となく視たような光景だけなので「もっと他にないの?」という顔をしかめてしまったことも事実だった。46話の飛羽真のセリフで、つまりルナは小説家:神山飛羽真としてのルーツだということが明かされたがちょっと遅すぎる。というのが正直な気持ちである。

これが上手くいっていたなら作品と劇中でガッチリ歯車が噛み合い、物語を描く物語として素晴らしい相乗効果による感動を生んでいただろう。しかしセイバー全体の感想として言いたいことは分かるのだが、映像としてそれが上手くかみ合ってないという片方の車輪が外れたまま爆走しているような車を観ている歯がゆさをセイバーを一年間見ながら多々感じ続けていたのもまた事実だった。

第二章へ続く

注1:最終4話がメインライター福田卓郎さんではなく、長谷川さんなのは監督らが結末から逆算したうえで演出したいということとスケジュールの都合の兼ね合いで福田さんには話は通したうえで長谷川さんに依頼したということがTTFCでの座談会で語られている



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