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先生が元気そうで何よりです【転生!太宰治 転生して、すいません】

本屋で目を疑いました。そんな本がこの世に存在するのかと。
「転生!太宰治 転生して、すいません」

太宰治という名前はよもや知らない人のほうが少ないと思います。「走れメロス」の作者であるし、他の著作を読んだことは無くともなんとなくなら分かるでしょう。1949年に人気絶頂の中、入水自殺をし彼の39年の人生の幕は閉じました。

そんな彼が転生した。2017年の現代日本に

…………?

本の話の前に少し私の話をしましょう。
恥の多い生涯を……いややめましょう。文体のトレスなんて、できもしないことを私みたいなボンクラがやるべきではない。どうせ書き上げてあとでワッと恥ずかしくなって記事ごと削除してしまうのが目に見えているのだから。
私は中学、高校という人格形成において重大な6年間に太宰治に噛り付いた典型的なタイプであり、新潮文庫の黒い背表紙の太宰の文庫本が本棚に段々と埋め尽くされるのを見てニヤついていた人間でした。三鷹にも行ったし、実家の青森県金木町へも行きました。20代になりラブライブ!サンシャインの主人公、高海千歌の実家のモデルが太宰治の宿として著名な安田屋旅館という奇妙過ぎる縁に戦慄したことも覚えています。(先日の虹ヶ咲1話で桜坂しずくが女生徒の一節を引用していたりもしましたね)

しかし、20代も後半になり、太宰がどうしたこうしたということも今更言うことも無くなっていました。そんな矢先にこの本を見つけました。

序章  太宰、西暦2017年の東京に転生する
第1章 太宰、モテる
第2章 太宰、心中する
第3章 太宰、自殺する
第4章 太宰、家庭の幸福を語る
第5章 太宰、カプセルホテルを満喫する
第6章 太宰、自分の本を見つける
第7章 太宰、ライトノベルを読む
第8章 太宰、メイドカフェで踊る
第9章 太宰、芥川賞のパーティでつまみ出される
第10章 太宰、インターネットと出会う
第11章 太宰、芥川賞を欲する
第12章 太宰、才能を爆発させる
第13章 太宰、講談社に行く
終章  太宰、生きる

目次から、トバしている。いくら太宰が著名な作家だからってやっていいことと悪いことがあるのではないでしょうか?私は転生ものを全く読まないのですが、歴史の偉人をそのまま現代に甦らせるのはポピュラーなジャンルになっているものなのでしょうか?
しかしこんな目次を見せられては読まざるを得ないというか。怖いものみたさ?でしょうか。読んで激怒の感情にかられることすら期待してしまう。

感想

笑って、ホロりとさせて。

本当に太宰が転生してこれを書いたたのでしょうか?それとも作者、佐藤裕也氏は太宰に取り憑かれたのでしょうか?
この作品はキャラクターとしてのエッセンス抽出ではなく、本人そのものの転生です。太宰は現代でも沢山の人に読まれています。昔ほどでもありませんが私もその1人。これを読み「太宰治はこんなこと言わない!」となってしまわないか。大悪党だ。刺す。このように憤慨することすら覚悟して読み始めました。

しかし、そこには、太宰治がいました。

卑屈でありながら自己愛を捨てきれない、読者を楽しませようとお道化を演じ、数々の作品を生み出したたあの小説家がそこにいたのです。

転生して出逢って数日の女性とまた心中はする
書店で自分の著作が並んでることに衝撃を受け、死の直前にケンカを売った志賀直哉の著作が並んでいないことに勝ち誇る
盟友:坂口安吾の太宰心中に際しての文章「不良少年とキリスト」を読み言い訳をする
ドルチェ&ガッバーナの服を店員に言われるまま買わされる
メイドカフェに来る客のみすぼらしさを彼らは没落貴族なのだと思い込み涙ぐむ
太宰治が『キャラクター』として人々の中で根付いていることを知り、文豪スト〇イドックスや文豪とアル〇ミストのデザインのイメージにこれが私か……とぎょっとしたり、けも〇フレンズを自身の著作「カチカチ山」の模倣だと指摘する。
異世界転生小説を事実のレポートと勘違いし体験記として皆読ませようと技巧を凝らしていると賞賛する。
芥川賞を狙うため地下アイドルのプロデュースをはじめてしまう(しかもアイドルマスターの同人誌を読みPに惚れこみ自身の位置づけをプロデューサーと自覚する)
etc……

かつて彼の著作を読みふけった私も(太宰ならこういうこと言うだろうな)と思わず「フフッ」と読ませてしまう勢いと、驚くほど太宰治調の文章、痛快な現代批評。小ネタの多さにニヤニヤします。おそらく太宰に詳しくなくとも読めるのでないでしょうか。日陰者の苦悩を描きながら(でもアナタは教科書に載るほどの存在になってるんですよ……)と学生時代の私は彼の著作を読みながら幾度となく思いましたが、自身の著作が書店にズラリと並んでいるのを見た太宰には吹き出すかと思いました。
そして現代に甦る太宰。インターネットに現代のマイ・コメディアンを垣間見、地下アイドルのブログをプロデュースするという現代へブラッシュアップされた彼の行動は太宰が時代を越え現代でも通用していることの何よりの証拠ではないでしょうか?

そして何よりラスト。名著、富嶽百景を読み終えた時のようなこころを抜ける読後感。あのころ太宰治を読んだ時に感じていたこの感覚。
今度久しぶりに三鷹へ行こうと思います。彼の残り香を感じたくなりました。

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