異空間(エッセイ)
納期が重なっていた別々の仕事を終えた。
業種は異なれどどちらも新技術と新製品、そして米国の新サービスについてのものだった。
金曜午後、仕事の忙しさにかまけてここ数日休んでいたウォーキングをしてみる。
目の前にそびえ立つ高層マンションの駐車場から赤い1台のフェラーリが現れた。
さほど交通量の多くないマンション前の通りに出ると、信号は赤に変わり先頭で停まった。
ノリノリの音楽をまき散らしたフェラーリの運転席を見ると、カジュアルなネイビーシャツを着て真っ黒のサングラスをかけた40歳代くらいの男性が、窓の外に肘を出してこちらを見ていた。
歩道の信号が点滅から赤に変わった瞬間、白いマスクをした40歳代くらいの女性がスーパーマーケットのロゴが入った大きなビニール袋を持って急いで横断歩道をこちらに渡ってきた。
ブゥォーン、ブゥォーン
けたたましい音が鳴り響き、フェラーリが女性を追い払ってゆっくり走り出す。
驚いたのか、女性が振り返ってフェラーリを見つめていた。
すぐ次の国道の信号も赤なのに、フェラーリは二度三度とエンジンを噴かして次の信号待ちの列に並んだ。
歩道を反対方面へウォーキングし始める。
前からクロネコヤマトの配達員が自社製の緑の台車を押しながら歩いてきた。最近はもう緑とベージュのヤマトの軽トラックを見なくなった。
ウォーキングの足を速める。手は下ろしたまま。手を振るといかにもウォーキング中ですとアピールしているようで、恥ずかしい。服装も普段着だ。
目の前の車道をかなりのスピードでUber Eats(ウーバーイーツ)の自転車が向かってくる。車より速いのではと思うくらいのスピードだ。すれ違うとき、自転車を漕ぐ男性の顔はスマートで、うしろの黒い配達バッグはかすかにカタカタ鳴っていた。
ウォーキングの足をさらに速める。じわっとマスクの中が汗ばんできた。十字路で右に曲がり、交通量のさらに少ない通りをウォーキングする。
1年生だろうか、向こうからランドセルを背負った女の子3人が、横に並んで歩いてくる。
なにやらきょうあった出来事でも話しているのか、明日の授業のことを話しているのか、みんなにこやかだ。
すれ違う時に真ん中の女の子の背負っているランドセルに目を奪われた。水色だった。もうひとりはピンク。
女の子たちの赤色、水色、ピンク色というランドセルを後ろから眺めた。
振り向いてウォーキングを続ける。
この道を通るとき、最近かならず入っていく路地がある。
きょうもその路地を曲がる。
目の前を、歩行補助用カートを押すおばあちゃんがゆっくり歩いている。
その脇で野良猫も黙って見守っていた。
なぜかこの路地は杖を突いたおばあちゃんや腰の曲がったおばあちゃんが歩いていることが多い。野良猫も何匹かいて、いつもこの路地を見守っている。
ウォーキングの足が散策の足に変わる。
小鳥のさえずりを小さく真似てみて、野良猫の興味を引いてみる。野良猫は小首をかしげながらこちらを見ている。これまでは近寄ると逃げたので、ソーシャルディスタンスを保つ。
野良猫はまったく逃げない。よそ者はこちらだった。
そういえば、最近は野良猫もあまり見なくなった。
散策の足が立ち止まる。
道端の草に目をやる。雑草の生命力には驚かされるばかりだ。
この路地にも人が住まなくなった住居がある。その家の玄関には雑草が生えている。今までここにいた住人の魂が乗り移ったかのように。
どんな人が住んでいたんだろう。誰もいなくなった家を眺める。
意識してこの光景を心のフォルダにしまい込んだ。
散策の足はゆっくりゆっくり亀の歩みに変わった。
いつか野良猫に触れる時がくるかな。
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