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詩うたいのバラッド~俳句を始めた話

 俳句歳時記(角川書店編)を買った。

 ぺらぺらと眺めるだけで、これまで日本人が積み上げてきた季節感の豊かさを感じることができる。

 序文を読むと「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」という詩人寺田虎彦の言葉が紹介されている。

 歳時記には、季語と一緒に、その季語を使った代表的な俳句が収録されていて、句集としても楽しめる。

 例えば、夏の季語を探してみる。

 「夕立」 蓬生(よもぎう)に土けぶり立つ夕立かな  芝 不器男

 激しい夏の夕立が、草むらの土を打ちつける様や雨の匂いが浮かんでくる。

 僕は、最近、仕事を終えて帰宅したあと、この歳時記を肴にチビチビとお酒を飲むことをささやかな楽しみとしている。

 俳句って日本人の独特の季節感と風景描写が17文字の中で表され、独特の言い足りなさというか、「あとは自分で感じてねっ」ていう感じの余白感がたまらない。

 初めて俳句に興味を持ったのは、高校生のときだろうか。教科書で松尾芭蕉の句を読んでだったと思う。

 奥の細道で僕の好きな句はこんな感じ。

  「風流の初めやおくの田植えうた」(須賀川で読んだ句)

  「夏草や兵共が夢のあと」(平泉)

  「閑さや岩にしみ入る蝉の声」(立石寺)


 芭蕉で一番好きなのは次の二句。

  「行く春を近江の人と惜しみけり」

  「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(笈日記)

 最後の句は確か、芭蕉の時世の句で、これまで和歌の伝統をベースに自然を題材にした句を読んできた芭蕉が初めて、自分の気持ちを読んだ句だったんじゃないかな。

 池澤夏樹さんが個人編集した日本文学全集(河出書房)の12巻に「松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶・とくとく歌仙」がある。僕はこの本の中で長谷川櫂さんが書いておられる、小林一茶のある句の解説をとても興味深く読んだ。

 それはこんな句である。

  「初雪や古郷見ゆる壁の穴」

 この句に対して、長谷川さんはこう言っている。

「みごとな心理表現といわなくてはならない。雪の句というだけでいえば、芭蕉にも蕪村にもこれほど深く自分の心の襞を表現した句はなさそうだ。近代俳句の開拓者といわれる子規に先立つこと百年。ここにはすでに古典を典拠とせず、生身の言葉で自分の心を表現する近代が生まれている。」

 芭蕉の句でもそうだが、古今和歌集、新古今和歌集などで詠まれた和歌の知識がベースにあり、その積み上げの上に句を読むから、その句を味わう人も古典の知識をベースに読むというのが、江戸時代までの和歌や俳句の世界だった。

 その伝統に対して見たものをそのまま詠む「写生」を主張し、近代短歌の扉を開いたと言われているのが正岡子規である。その子規よりも百年早く、小林一茶は、その境地に達していたという。

 つくづく面白いなと思う。

 高校生の頃は、俵万智さんの「サラダ記念日」にも衝撃を受けた。こんな短歌があってもいいのかと思った。

 短歌や俳句の世界は、新しい感性によってまだまだ新しい展開を見せて

いくだろう。俵さんがnoteで紹介されていたホスト短歌も面白い。

 僕も俳句や短歌を詠んでみようかな。

 

 

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