見出し画像

毎日noteが55日でストップか!? 僕の記事を書くサイクル。

こんにちは。2020年6月末にはじめ毎日noteにするつもりはなかったのですが、書きたいことがたくさんあり、結果的に毎日noteになってました。

ですが、ここにきて少し様子が変わってきたので整理します。


順調な時

始めたころ、昔別の媒体(UNGA!)で書いていた連載のネタがあってそれのリバイバルもあり記事のストックは潤沢でした。

そのストックを1日1つnoteに書いていきながらも、さらに新しく書きたいことが頭に浮かびます。それをiPhoneのメモや、noteの下書きにラフに書きます。

それを、整えて清書します。この循環が続いておりました。


noteの記事を書くサイクル

「新しいことが頭に浮かぶ」→「ラフに書く」→「整える」→「清書」

このサイクルがある限り続きますね。ラフに書いたものはストックになりそれは安心感になってました。

大事なのは最初の部分です。「新しいことが頭に浮かぶ」ですね。この部分を紐解くとどうなるかというと、いろいろな体験によるinputに自分の感性が絡まって「あえて僕が書くもの」としてフラグが立ちます。

このフラグが立つまでの部分が大事で、これが全てといっても過言ではありません。つまりこれがなければ終了ですね。


記事にするかしないかの判定基準

判定の審判は自分です。なので判定基準も勝手に変えられます。だから基準を下げればいくらでも続けられるでしょう。でもそれって手段の目的化ですよね。そうはしたくないです。


何を大切にしようか

じゃあ何を目的に書くのか。ここに戻る。

noteを書き、続けてよかったです。」で書いたのですが「深度が上がる。そして忘れない。つながる。使える。」です。これは自己成長ですね。そして、記事を公開することでどなたかのひとつの気づきやきっかけになれば更にいいなと思っています。

このように、目的ははっきりしています。でもこれを達成できるそもそものネタが思い浮かばなかったとしたら?? 決してハードルは下げたくありません。

こうなってくると「ひねり出す」という行動が起こり始めます。でもこれは自分の中で少し反則なんですよね。もしかしたら書きたくもないことを無理に書いているようで。「不本意なひねり出し」はしたくない。

だからやっぱり、たくさんの体験(input)から想起してひらめくことが根源になります。つまりここにきて今の状況は、体験の量が少ない、もしくは鈍化しているのかもしれないです。


胸をはって送り出せる記事のネタが想起されるような活動をしなきゃですねと、(勝ってないけど)兜の緒を締めます。

こうして1日進み56日となりました。(これ不本意なひねり出しではないです)

さいごまで読んでくれてありがとうございます。今日もダジャレを贈ります。

大仏買ったけど、だいぶ使ってない」4649!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?