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【イタリア・ドイツ旅日記09】フランクフルトで30年ぶりに恩人と再会する

2022年イタリアに旅して(最後にドイツに寄って)思ったことあれこれ 〈第9回〉

 約30年ぶりに会うバウアーさんは、それなりに歳はとっていたけれど(今回あらためて尋ねると76歳)印象は変わらなかった。ただ、股関節の骨が擦れる症状をずっと抱えていて、それがまたひどくなってきたので、近いうちに5回目の手術をするとのことだった。

 薬はのんでいるが、時々強く痛むらしく、家の中でもそろそろと歩く。外出はタクシーを使うしかない。食料品などの日常の買い物もままならないので、週に1度、友だちの息子さんにまとめて頼んでいるという。

バウアーさんの家がある通り

 イタリアで写真展があるのでフランクフルトに寄ろうと思っています。会えますか。そう連絡するとバウアーさんは驚きながらもとても喜んでくれて、ぜひうちに泊まってね、と言ってくれた。

 バウアーさんの家はとても広くて、ゲストルームもある。それはわかっていたので、言ってもらったとおり甘えることにしたが、歩くのもたいへんそうな姿を見ると、無理させていないかと気になってしまう。

 それでも、話し相手ができたのはよかったのかもしれなかった。約1年前にご主人が亡くなってから、広い家にひとり。友だちは少なくないはずだけれど、皆、どこかしらに不調を抱えていて、会うのは年に数回らしい。毎日、何かひとつ、今日はこれをすると決めてるの。クリーニング屋さんにいくとか、手紙を書くとか。そうしているうちに1日は終わるのよ。

泊まらせてもらったゲストルーム

 家の中にいきものの気配がないのがたまらないわ。バウアーさんと私はそこで意見が一致する。私も長年一緒に生きてきた愛犬を3年前になくし、同じことを感じていた。ドイツ人も犬に対する愛着は非常に強いので、ここで一緒にするなという反論を受ける心配はない。

 バウアーさんも動物好きだ。かつてはインコを飼っていたが、鳥カゴにずっと閉じ込めておくのはかわいそうだと、自分が仕事に行っている昼間はカゴから出していた。その間に貴重な本をつついていたりしても、あらまあ、と笑っていた。

 鳥でもまた飼う? 魚は? 亀は? 亀はかわいいらしいわよ。結構なつくんですって。そんな話題でひとしきり盛り上がる。でも、どちらも、これからふたたびいきものと一緒に暮らすことはおそらくないのを知っている。

マイン川にかかる橋。向こう側がザクセンハウゼン

 フランクフルトの、そして今回の旅行の最後の夜、バウアーさんはザクセンハウゼンのフランス料理店にいこうと言う。ザクセンハウゼンというのは、マイン川の南側で、昔ながらの街並みが趣深い地区だ。日本で言えば、隅田川の向こう側という感じだろうか。

 家で一緒にお料理してもいいのよ。和食を作りましょうか。材料を買ってくるわ。外出が辛そうな様子を見てそう提案しても、ごちそうしたいのよ、とバウアーさんはさっさとタクシーを呼んでしまった。

 いかにも高級なフランス料理店で、バウアーさんは顔なじみのようだった。よく来るの? ヘルムートが好きだったのよ。ヘルムートというのはご主人の名前だ。大きな会社で重役を務めていた彼には似合いそうな店だった。体格も立派だった彼がこの店でオーナーシェフと大声で笑い合っている姿は簡単に想像がつく。

 メニュー選びはバウアーさんにおまかせした。ワインは?と聞かれて、普通なら、喜んで、と答えるけれど、バウアーさんはアルコールを飲んだら薬がのめなくなると言っていたのを思い出す。答えにつまっていると、バウアーさんは、サンセールのワインがいいわ、とボトルを注文して、自分も少し飲んだ。サンセールのワインもご主人が好きだったのかもしれない。 

 ヘルムートが亡くなってから初めて来たわ。やっぱり美味しいわね。帰りのタクシーの中でバウアーさんは確認できてよかったというような感じで言う。私は、美味しかったわ、ごちそうさま、ありがとう、とバウアーさんの手を握る。

 翌朝、タクシーに乗り込んで空港に向かう。バウアーさんはいつまでも手を振ってくれていた。手術が終わったらまた歩けるようになるし、旅行もできるわ。もう一度、日本に行きたい。私たちは再会を約束する。歳をとるにつれ、無邪気な約束はできないことを知る。でも、きっと。

「さようなら」のドイツ語、"Auf Wiedersehen" は "wieder"(再び)と"sehen"(会う)でできている。

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