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知らない方が良かったこと、香港の今、時代錯誤

 使い古された言いまわしだが、「知らないほうが良かったな」と最近思うことに、香港情勢がある。そもそも僕は香港がどこにあるかということすら知らなかったし、世界史の時間に「香港の中国返還は1997年」(引っ掛けの選択肢として1999年というのが必ず用意されている)と覚えさせられたくたいのイメージしかなかった。ブルース・リーやジャッキー・チェンが香港人だということも後から知ったくらいだった。

 ところが香港に出向することになって、3年半暮らしたことで、当然のことながら香港に対する関心や愛着や好意や情や好奇心が生まれた。香港の持つ複雑な歴史と、中国との未来に関しての不安と恐怖に対する知識も増えた。そして2018年の秋に僕が日本に帰国した後から、デモをはじめとした政治的なキナ臭さが一気に香港に漂いはじめた。離れてしまったからこそ気になってしまう部分もあるが、香港がどうなっていくのかが気がかりになっていった。

 僕が今密かに感じている、香港人に対するやり場の無い憐みの感情と共産党に対する強い疑念。そしてほとんどの日本人がこの香港問題に無関心であることへの苛立ちと、自分自身は何もできないという無力感。サッカーのワールドカップがブラジルで開かれていたときは、香港がどこにあるのかすら知らなかった僕のままであれば、この小さいながらも確固なストレスは感じなかっただろう。余計なストレスなのかなと感じなくもない。

 8月という時期的に太平洋戦争を取り扱ったテレビ番組を目にするが、日本もかつて人道的に野蛮な侵略を行っていたことを日本人として恥じることが、ここ数日多い。と同時に、(香港問題に関わらず)共産党がこの21世紀に行っている全体主義的な政治的動向や疑惑も含めた工作の数々は、太平洋戦争時代に逆戻りしたような時代錯誤さをも感じる。教育方針が国ごとに異なるのは当然だが、思想までもを力づくで均一にすべく取り締まる必要があるのだろうか。一方で、現在日本で生活しているような、ほとんど多くの中国人に対して余計な偏見も持ちたくない。国の方針と個人は無関係だと信じたい。おかしいのは(日本も同じかもしれないが)国の中枢にいる一部の人間だけだ。

 ともかく、僕が無知なままであれば、香港や中国がどうこうというニュースなど気にもとめなかったのになと、つくづく感じてしまう。ただかつての大日本帝国よりも、ナチスよりも、残忍で用意周到でかつ強大な力と金を持っている共産党の脅威は注意しておかなければいけないだろうけど。

▲『365日広告コピー』より


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