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アタック25大敗の記録~17番を探しています

noteでは初めてつぶやくことかもしれませんが、わたしはクイズ番組が大好きです。
今でもyoutubeの検索履歴は『Quizknok』『カプリティオチャンネル』といったクイズに関するものがほとんどで、学生時代にクイズ研究会に所属していた…といった経歴はないのですが、本を読むことや勉強することが嫌いではなかった(得意とは言ってない)ので、クイズに興味を持つのも自然な流れだったのかな…と思っています。

そして、もう10年以上前のことになりますが、20XX年、わたしがまだまだ若者だったときに『パネルクイズアタック25』に出場したことがあります。
記憶もだいぶ薄れてはきていますが(笑)「エッセイとは自慢話である」と、かの有名な作家、井上ひさし氏も言っておりますので、本日は自慢話にお付き合いいただけますと幸いです。


なぜ出場しようと思ったのか?

テレビに自ら出ようとする人なんて、よっぽど自分(の知性や容姿)に自信があるのだろう…と思われそうですが、わたしが番組に出場したい!と思ったのは以下の3つの理由からです。

①クイズ番組が好きだから。
②正社員の職場を退職しアルバイトとしてゆったりした職場にいたから。
③お金がなかったから。

①は当然求められる要素だと思うのですが、②と③に関しては「?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。②は当時のわたしの状況ですが、③に関しては何故か。
実は、アタック25ではパネル1枚獲得につき、賞金1万円がいただけるのです。要は、お金に困っていたんですね!

これは、優勝者のみ賞金がもらえる他のクイズ番組ではありえませんし、何よりも芸能人でなくても早押しボタンを押してクイズが出来るのです。た、た、楽しそう!
令和となった今でこそクイズブームで高校や大学、社会人でもクイズを楽しむサークルが増えたと思いますが、わたしが出場した時代はそんなにブームでもなかったように思います。しかも!優勝すれば海外クルーズのチャンスもあります。これはもう、出るっきゃないでしょう!

予選会招集のハガキが届いた!

早速、応募のハガキを送りました。当時、応募はネットからでもハガキでの郵送でもよかったような気がしますが、熱意を伝えるために(?)あえてハガキで送りました。なんかそっちの方が目立つかなって思って。

しばらく経ってから朝日放送様から「予選会のお知らせ」というハガキが届き、予選会を受けにいきました。予選会の日時場所は変更不可で、確か日曜日の午後でした。その日は昼まで出勤して、そのまま会場に向かいました。職場の方に「予選会大丈夫?間に合う?」と聞かれた記憶があるので…。アタック25の予選会とは、すなわち筆記試験と面接のことです。

この予選会に呼ばれるだけでも結構な倍率のようですが(とある記事によると予選会への応募が年間3万通、実際に予選会に呼ばれるのが7000人程度だそうです)、わたしは初めて送った応募ハガキで予選会に呼ばれたので、かなりラッキーだったのではないかと思います。若いって、無知って…怖い☆

筆記試験&面接

予選会の席順は自由でした。「アタック25」ロゴ入りのシャープペン(ボールペンだったかも)が置いてある席に自由に座って待つ感じでした。ちなみにこのペンは記念品として予選会が終わったら持ち帰ってOKでした。
一部屋に80から100人くらいはいたのではないかと思います。複数の部屋で予選会が行われていましたが、そのほとんどが男性でした。

予選会の会場で、エントリーシートを記入しました。
名前以外にも「本選出場への意気込み」や「クイズの得意ジャンル」を書きました。これは本選(つまりテレビ出場)に選ばれた際に、他の出演者とのジャンルの被りがないかどうか、また、出演者がテレビ慣れしていない一般人のため「出たはいいものの、緊張で全く活躍出来なかった…」ということがないように出演者の得意ジャンルを考慮してくださるのだそうです。

わたしが受けた試験は、確か、40問を8分間で解答する全員一斉のペーパーテストでした。アタック25は口頭で解答するクイズ番組なので、答えをひらがなで書いても良い、という説明が事前にありましたので、漢字に自信のないものはすべてひらがなで書きました。
筆記試験の内容は、知識を問うクイズの「ベタ問」や時事問題など、いろいろなジャンルから構成されていたような気がします。当時の職場がのんびりしていたので、朝から職場にある新聞を読んだりして時間を潰していたことが功を奏しました!!

筆記試験の問題については他言しないように言われているので、10年以上たった今でもはっきり覚えている問題もあるのですが、ここに記すことは控えたいと思います。

わたしは事前に筆記試験のための対策はしていきませんでしたが(なんせ予選会に呼ばれただけで満足していたので)、小さい頃から見てきたクイズ番組の知識の蓄積や、誰かが言った小さい雑学をムダに覚えていたり(忘れろよ)、某学習塾の「なぜなぜカレンダー」を毎日見てすくすく育ってきたので、そのあたりが筆記試験で役に立ったのかなぁと思います。

解答用紙はその場で回収され、数十分待機時間の間に採点、成績上位者のみ名前が呼ばれ別会場での面接に案内されました。自信はあまりなかったのですが、無事に筆記試験を通過し、面接会場に案内されました。(筆記試験を通過しなかった方はその場で帰宅です。)筆記試験を通過したのは会場の1割程度の人数でしょうか。でも、結果的に自分が40問中何点正解していたのかは教えてもらえないので、合格のボーダーラインが何点なのかとかはわかりません。

会場を移動するとすぐ面接が始まりました。
面接で見られているのは基本的な言葉使いや服装(スーツか?とかではなく個人的には奇抜な恰好ではないかくらいしか見てないと思うけど…?)、それと声の大きさと受け答えが大事なのではないかと思いました。マイクが拾うとはいえ、声が小さいと答えられませんし、テレビ番組として成立しないので。
わたしは、大きさを意識しなくてもよく通る声だと周りから言われるので、聞かれたことに素直に答えて、割とすんなり終了しました。

秋に予選会を受け、初冬には「出場候補者として登録された」いう旨のハガキが届きました。アタック25は、筆記試験・面接を突破しても必ずテレビに出場できるとは限らないのです。この時点では「出場候補者として1年間登録される」だけであって、テレビ局から直接電話がこない限り本選に出ることはできないのですが…年をまたぎ、冬が深まり始めたころ、わたしの携帯に本選会出場依頼の電話がかかってきて、なんと、あのお金目当てで思い付きで出した応募ハガキが、テレビ出演への切符に化けてしまったのです。
えええええ~~!?

緊張しまくった本選会

出演打診を受けてしまった以上、クイズに向き合わねばなりません。
わたしはエンタメ問題(映画やアニメ)に疎いので、エンタメ系の雑誌を買って対策しました。職場の昼休みに新聞を読みこみ、時事問題対策をしました。アタック25では放送日前後の日にちに関する問題が出題されることが多いので、その日に生まれた偉人や記念日などを覚えて臨みました。それに加えて基本的なことですが、テレビ収録という性質上、替えがきかないと思うので、体調管理にはかなり気を配りました。

当日は、収録前に早押しボタンの動作確認や、パネルの点灯確認、声出しの練習などがあり、それが終わるとそのまますぐ収録が始まりました。
「テレビの照明って思っているよりも白いんだなぁ」と思ったことしか覚えていません。

それと、あの、色のついた回答者席に座ると、高揚感よりも緊張感がすごいんですよ。手練れのクイズプレイヤーならともかく、わたしは20歳そこそこの好奇心旺盛なだけの一般ピーポー。
ボタンに添えた右手が震えているのがわかりました。「楽しそう!」と思って自ら応募したのに、結局、緊張しっぱなしで、ボタンは押し負けるし(なんとなく周りにつられて押したのもある)焦って誤答はするし(もちろん「2問の間ご辛抱」で立っていた…けどちょっと立ってみたいと思った自分がいたことも今更告白しとくね!)、アタックチャンスまでに取れたパネルは、なんと1枚のみ、17番のパネルだけでした。

大事な大事なアタックチャ~ンス

この記事を読んでくださっている方はご存じかと思いますが、当時のアタック25には「アタックチャンス」というものがありまして、残りの空パネルが5枚になった時点で差し込まれる問題のことをアタックチャンスと言うんですね。

放送時は司会者が「大事な大事なアタックチャ~ンス」と言って、CMに入るのがお決まりだったと思うのですが、アタックチャンスの問題に正解すると、すでに他の色で埋まっているパネルのうち1枚をフリーにすることが出来ます。わたしの戦略では、5をフリーにして連答し正解すれば、角の5と17で斜めのラインが出来て、そこから一気に枚数が増やせるという状況でしたので、かなり狙いに行きました。

他のパネルにどの色が入っていたかまではさすがに覚えていないので…。
「5」を取れれば角のため1枚は確実にゲットしたままフィニッシュできる。

…が!

アタックチャンスを見事モノにしたのは別の方で、わたしの大事な虎の子「17番」がその方の一声であっさりとフリーパネルになり、その次の問題も同じ方が連続正解し、わたしの17番を起点にした大立ち回りを見せ、ぶっちぎりの枚数を獲得して優勝されました。つまりわたしの獲得パネルは0枚。戦意喪失してこのあと1問も正解できずそのままゲームセットを迎えたのでした。パネル1枚1万円とか言って鼻息荒くしてたのはどこのどいつだい?

収録が終わって、とぼとぼと一人で家に帰るまでの間に「今日のこと、この世を去るときに流れるという走馬灯の1ページとしてしっかり刻まれたよな」と100万回は思ったし、わたしが大事に持っていた17番のパネルの色が他の色に変わった瞬間の絶望のこと、そしてそこからゲームの潮目が変わったこと、なによりも戦う気力を失ってただ解答者席に座っていただけの自分の不甲斐なさを思いました。
近しい人には放送日のことを伝えていたので、友人やふるさとの家族がテレビ放送を見てくれたのですが、当時Twitterには「今日のアタック25、優勝者以外弱すぎ」「こんな問題俺でも答えられる」「見ごたえのないゲームだったな」などといった感想がいくつも並んでいました。そのつぶやきで傷つくことはありませんでしたが「出てもいない奴らが偉そうに語るなよ」と、鼻っぱしらの強い若者であったわたしはそう思いました。

17番を探しています

放送からしばらく経ち、気持ちが落ち着いてくると「アタック25に出場し、アタックチャンスで色を変えられ0枚で大敗した話」は、わたしが親しくなりたいと思う人だけに、女子会や飲み会でこっそり話す、とっておきの話に変化しました。そして、わたしが「この人になら話しても大丈夫だろう」と(勝手に)判断した相手は、十中八九この話に興味を持ってあれこれと聞いてくれます。これは社交辞令とは全く違う毛色のものだと、わたしは感じていました。

友人作りの間だけではなく、婚活の場でも役に立ちました。
出会いの初期段階で話すにはちょっとレアな体験な気もしたので目立ちたがり屋で自己主張の強い女として映る懸念もありましたが、わたしは次第に自分の「勘」のようなものを信用するようになりました。

わたしは20代後半から婚活をはじめ、合コンや友人からの紹介、街コン、マッチングアプリなどで、おそらく累計すると30人近い人数の男性とお会いしてきましたが、唯一この「アタック25大敗記」の話をしたいなと思ったのは、一番最後にお茶をしにいった男性だけでした。

彼は「え!すご!なんで?なんで出ようと思ったの?」と興味深く聞いてくれました。順を追って話していくうちに、彼が小さい頃に通っていた学習塾がわたしと同じだったことや、人生で初めて買ったCDが同じ歌手だったことがわかり、人生がさらに面白くなりはじめました。(年代が一緒なので単なる偶然かもしれませんが…笑)
わたしは、この会話から約1年後、彼の妻になりました。

妻にはなりましたが、夫と一緒に楽しむための料理をしながら、最初にあげたようなクイズ系youtuberの動画を見たりもしますし(危ないからよしなさい)、時にはひとりでクイズの本を読んだりして、今でも、もくもくと、いつ役に立つのかわからない知識を蓄えて生きることが面白い、と思って暮らしています。

けれど、あの絶望の帰り道で感じたような「絶対にもう一度出場して、失ったアタックチャンスを取り返して見せる…!」という、燃える復讐のような思いには、もう、ならないのです。取り返したくて取り返したくて仕方のなかった17番のパネルは、もうすでに私の色で埋まっているような気がして、そう思えてならないからです。

その空いたフリーの17番のパネルに入っているのは、コロナ禍を経ても細々と繋がり続けてくれる友人たちであったり、夫そのものであったり、時には泣きながらした残業であったり、読むとその才能がうらやましくて本を放りなげたくなるような素敵なエッセイ集だったり、noteというプラットフォームだったりしました。

わたしが出場したときに優勝した方は、収録中の勝者インタビューでこのようなことを言っていました。

「クイズが好きで、ずっとクイズのゲームをやっていました。暇さえあればそのゲームをやっていました。クイズが好きなので、この大会で優勝できてとても嬉しいです。」

クイズとは、好きだから求めてしまうものなのです。
知識で誰かをうちのめすために他者に向かうものではなく、放たれたクイズが向かう先は、すべからく自分に届く愛なのだと、わたしは思います。

わたしの17番のパネルには、もうたくさんの色が入って、それぞれが賑やかに楽しんでいるようです。
けれど、まだまだ人生は思ったよりも壮大で長く、17番にはたくさんのものが入りそうで、わたしはずっと、わたしにとっての17番を、暮らしの中で目を凝らして探しています。

~完~

(追記)
『パネルクイズアタック25』は、2021年に地上派での放送に幕を閉じ、現在はBS放送で『パネルクイズアタック25 Next』として放送が続けられているそうです。わたしが『パネルクイズアタック25』の予選~本選を受けたのはもう10年以上も前のことなので、クイズ対策でこの記事を見に来られた方がいらっしゃったら、本当になんのお役にも立てないことをお詫びいたします。
また、かなり昔のことですし、親しい人にしか話していないので「身バレしないだろう」と思い今回記事にしたのですが、もしこの記事のせいで「もしかして〇〇さん?」と声をかけられたりしたら、そのときは、アタックチャンスのフリーパネルよろしく色を変えられるまでだんまりを決めこむ予定ですので(=記事を下書きに戻します)、そこんとこよろしくお願いしますね!

~これにて本当に完結!~

#私だけかもしれないレア体験


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